『ダーウィンの子供たち(上・下)』 グレッグ・ベア (ヴィレッジ・ブックス)


『ダーウィンの使者』の続編。ずいぶん前に読んだので人間関係とかすっかり忘れていたけど、それなりに読めたよ。
マスコミ的な揶揄ではなく、正真正銘の新人類として、旧人類の腹から生まれた子供たち。
イカの色素胞のようなそばかすを自在に制御したり、二重発声で多層的な会話をしたり、身体から発する匂いでコミュニケートして、その匂いで旧人類の感情を制御することもできる。彼らはニューチルドレン、または、ウィルスチルドレン。
旧人類は恐怖に駆られ、実の子孫である彼らを迫害し、隔離し、収容所同然の寄宿学校へ閉じ込める。そして、旧人類の体内から新人類に対してのみ猛威をふるうウィルスが発生し、世界は混沌に包まれる。
そんな社会中で、前作からの主人公である考古学者ミッチ、生物学者ケイ、そして二人の娘である新人類のステラをめぐる家族の絆の物語。
SF的なネタは前作から受け継いだウィルスによる劇的進化のみに抑えられ、そこから思弁される社会の問題、家族の問題へと物語の焦点が絞られていく。
少しだけ違うモノに対する嫌悪、自分より優るモノへの恐怖。差別と迫害。それは荒唐無稽なSFネタを越え、今ここにある社会の問題、心の問題でもある。
後半にミッチが訪れた発掘現場にて、ネアンデルタール人と現生人類の女性たちが抱き合って折り重なるように倒れ伏していたのは、ひとつの象徴的なシーンだ。かつての旧人類と新人類は、いかにして世代交代を成し遂げたのか。
ネアンデルタール人は平和主義だった。ホモサピエンスは争いが多くてイクない。ネアンデルタール人を見習え。そういう短絡的な物の見方ではなく、異なる種族が、異なる人種が、異なる文化が、どのようにしたら、平和に共存していけるのかということに思いを馳せる。
SF的な大仕掛けで驚かせるわけでもなく、差別反対の旗印の元に押しつけがましい主張を載せているわけでもなく、ただ淡々と、社会と家族の物語を紡ぎ続けるあたりが、静かに心に染みる。


『ダーウィンの使者』の続編。ずいぶん前に読んだので人間関係とかすっかり忘れていたけど、それなりに読めたよ。
マスコミ的な揶揄ではなく、正真正銘の新人類として、旧人類の腹から生まれた子供たち。
イカの色素胞のようなそばかすを自在に制御したり、二重発声で多層的な会話をしたり、身体から発する匂いでコミュニケートして、その匂いで旧人類の感情を制御することもできる。彼らはニューチルドレン、または、ウィルスチルドレン。
旧人類は恐怖に駆られ、実の子孫である彼らを迫害し、隔離し、収容所同然の寄宿学校へ閉じ込める。そして、旧人類の体内から新人類に対してのみ猛威をふるうウィルスが発生し、世界は混沌に包まれる。
そんな社会中で、前作からの主人公である考古学者ミッチ、生物学者ケイ、そして二人の娘である新人類のステラをめぐる家族の絆の物語。
SF的なネタは前作から受け継いだウィルスによる劇的進化のみに抑えられ、そこから思弁される社会の問題、家族の問題へと物語の焦点が絞られていく。
少しだけ違うモノに対する嫌悪、自分より優るモノへの恐怖。差別と迫害。それは荒唐無稽なSFネタを越え、今ここにある社会の問題、心の問題でもある。
後半にミッチが訪れた発掘現場にて、ネアンデルタール人と現生人類の女性たちが抱き合って折り重なるように倒れ伏していたのは、ひとつの象徴的なシーンだ。かつての旧人類と新人類は、いかにして世代交代を成し遂げたのか。
ネアンデルタール人は平和主義だった。ホモサピエンスは争いが多くてイクない。ネアンデルタール人を見習え。そういう短絡的な物の見方ではなく、異なる種族が、異なる人種が、異なる文化が、どのようにしたら、平和に共存していけるのかということに思いを馳せる。
SF的な大仕掛けで驚かせるわけでもなく、差別反対の旗印の元に押しつけがましい主張を載せているわけでもなく、ただ淡々と、社会と家族の物語を紡ぎ続けるあたりが、静かに心に染みる。