『エンド・ゲーム』 恩田陸 (集英社文庫)

常野物語の3冊目。『蒲公英草紙』とまったく違って、サスペンスホラーチック。
拝島家は「オセロゲーム」(『光の帝国』収録)に出てくる一家。彼らのその後の“戦い”が描かれる。洗濯屋の火浦家は初登場か。
なんだかこれを読むと、常野の一族は古来から敵(あれ)と戦ってきたように読めるんだけど、常野物語ってそんな話だったっけ(汗)
実際、常野じゃない(ネタばれ)っていう話にもなるし、常野物語じゃなくてもよかったような気が……。
記憶が“洗濯”されているおかげで、真実を知っているはずの人物が信頼できない証言者になってしまっていていたり、さらに常野の能力「裏返す」「消す」「包む」が、発動者の意図を超えた効果を与えてしまっていたり、物語は混沌に吸い込まれる。はたしてこの結末は本当に書かれた通りのものなのかというところに一番うすら寒さを覚える。
常野物語はオカルトというよりはSFの系譜だと思っていたのだが、この作品はかなりオカルト、理不尽寄り。唐突に出てきた謎の生命体仮説は一体何なのか。
しかし、良く考えてみれば、ゼナ・ヘンダースンの〈ピープル・シリーズ〉というのは露骨に常野物語のキーワードになっており、最後には映画『ヒドゥン』のビデオが登場する。まぁ、要するに常野の人々は宇宙人であるということが、再確認されただけというわけだ。
さらに言えば、この小説だけでは、肇と暎子のどちらが「あれ」なのかわからないという処がポイントなのではないか。薬局のおばちゃんたちもわけのわからないことをやっているし、彼らは本当に常野?
となれば、「あれ」こそが「常野」という逆転のオチも見えてくる。裏返して、裏返されて、すべては混じり合い、混沌の中へ……。
ところで、輪廻しの少年は『蒲公英草紙』にも出てくるが、不吉の使者か何かなのかね。恩田陸のトラウマか何かだったりして。
『20億の針』が『ウルトラマン』を生み、『ウルトラマン』が『ヒドゥン』を生み、『ヒドゥン』が『エンドゲーム』を生む。こうしてミームが受け継がれながら育っていくのもSFの面白いところのひとつだろう。
#そこ、パクリとか言わない!

常野物語の3冊目。『蒲公英草紙』とまったく違って、サスペンスホラーチック。
拝島家は「オセロゲーム」(『光の帝国』収録)に出てくる一家。彼らのその後の“戦い”が描かれる。洗濯屋の火浦家は初登場か。
なんだかこれを読むと、常野の一族は古来から敵(あれ)と戦ってきたように読めるんだけど、常野物語ってそんな話だったっけ(汗)
実際、常野じゃない(ネタばれ)っていう話にもなるし、常野物語じゃなくてもよかったような気が……。
記憶が“洗濯”されているおかげで、真実を知っているはずの人物が信頼できない証言者になってしまっていていたり、さらに常野の能力「裏返す」「消す」「包む」が、発動者の意図を超えた効果を与えてしまっていたり、物語は混沌に吸い込まれる。はたしてこの結末は本当に書かれた通りのものなのかというところに一番うすら寒さを覚える。
常野物語はオカルトというよりはSFの系譜だと思っていたのだが、この作品はかなりオカルト、理不尽寄り。唐突に出てきた謎の生命体仮説は一体何なのか。
しかし、良く考えてみれば、ゼナ・ヘンダースンの〈ピープル・シリーズ〉というのは露骨に常野物語のキーワードになっており、最後には映画『ヒドゥン』のビデオが登場する。まぁ、要するに常野の人々は宇宙人であるということが、再確認されただけというわけだ。
さらに言えば、この小説だけでは、肇と暎子のどちらが「あれ」なのかわからないという処がポイントなのではないか。薬局のおばちゃんたちもわけのわからないことをやっているし、彼らは本当に常野?
となれば、「あれ」こそが「常野」という逆転のオチも見えてくる。裏返して、裏返されて、すべては混じり合い、混沌の中へ……。
ところで、輪廻しの少年は『蒲公英草紙』にも出てくるが、不吉の使者か何かなのかね。恩田陸のトラウマか何かだったりして。
『20億の針』が『ウルトラマン』を生み、『ウルトラマン』が『ヒドゥン』を生み、『ヒドゥン』が『エンドゲーム』を生む。こうしてミームが受け継がれながら育っていくのもSFの面白いところのひとつだろう。
#そこ、パクリとか言わない!