『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』 - goo映画

(C)2011 TWENTIETH CENTURY FOX
あの名作『猿の惑星』の前日譚。なぜ地球が“猿の惑星”になってしまったのかという発端が描かれる。したがって、不可避的に物語は『猿の惑星』へ繋がる訳で、そういった意味では結末のわかっている話である。
ただ、周りで見てた中にはそうではなかった人もいるようで、帰り道に若い女性が「ハッピーエンドだと思ってたのに……」などとほざいておりました。
ピエール・ブールの原作では、人類が怠惰になりすぎて召使いにしていた猿人に取って替わられるわけだが、この映画ではアルツハイマー病の治療薬が実験動物として使われた類人猿の知能を強化してしまい、それが発端となって類人猿たちの反逆が始まる。
この映画の中ではこの新薬開発がすべてのキーとなって、物語と共に語られる数々のテーマの発端となる。動物実験の倫理的な正当性、臨床実験の倫理的な正当性、死をどこで受け入れるのかということ、動物の保護と虐待……。それらのテーマは多岐にわたり、そのためにメッセージ性は散漫になっている。
ただ、それが却って良かったような気がする。押しつけがましいメッセージ無しに、ただ起きたことを淡々と映し出しているようで、正邪の一方的な決めつけを避けている。類人猿と人類は単純に対立する勢力というわけではない。猿たちは、ただ自由に森で生きたいたいだけだったのだ。
それを裏付けているのが、この治療薬が人類にとっては疫病のような副作用があり、飛沫感染するという設定。これにより、知能化した類人猿が暴力的に人類を滅ぼすという最悪のシナリオを避けることができるようになっている。おそらく続編があっても、類人猿vs人類の最終戦争などではなく、滅び行く人類を助けようとする類人猿という感動的な物語になるのではないか。
蛇足だが、隣に座っていた中年カップル。
「見終わって席を立つとき、周りがみんな猿になってたら怖いよね」
あなた方は、ツボが分かっていらっしゃる(笑)
もう一つ蛇足で、字幕は戸田なっちゃんだが、ちゃんと京大類人猿研が監修についているので、MonkeyとApeの使い分けも問題ない(笑)

(C)2011 TWENTIETH CENTURY FOX
あの名作『猿の惑星』の前日譚。なぜ地球が“猿の惑星”になってしまったのかという発端が描かれる。したがって、不可避的に物語は『猿の惑星』へ繋がる訳で、そういった意味では結末のわかっている話である。
ただ、周りで見てた中にはそうではなかった人もいるようで、帰り道に若い女性が「ハッピーエンドだと思ってたのに……」などとほざいておりました。
ピエール・ブールの原作では、人類が怠惰になりすぎて召使いにしていた猿人に取って替わられるわけだが、この映画ではアルツハイマー病の治療薬が実験動物として使われた類人猿の知能を強化してしまい、それが発端となって類人猿たちの反逆が始まる。
この映画の中ではこの新薬開発がすべてのキーとなって、物語と共に語られる数々のテーマの発端となる。動物実験の倫理的な正当性、臨床実験の倫理的な正当性、死をどこで受け入れるのかということ、動物の保護と虐待……。それらのテーマは多岐にわたり、そのためにメッセージ性は散漫になっている。
ただ、それが却って良かったような気がする。押しつけがましいメッセージ無しに、ただ起きたことを淡々と映し出しているようで、正邪の一方的な決めつけを避けている。類人猿と人類は単純に対立する勢力というわけではない。猿たちは、ただ自由に森で生きたいたいだけだったのだ。
それを裏付けているのが、この治療薬が人類にとっては疫病のような副作用があり、飛沫感染するという設定。これにより、知能化した類人猿が暴力的に人類を滅ぼすという最悪のシナリオを避けることができるようになっている。おそらく続編があっても、類人猿vs人類の最終戦争などではなく、滅び行く人類を助けようとする類人猿という感動的な物語になるのではないか。
蛇足だが、隣に座っていた中年カップル。
「見終わって席を立つとき、周りがみんな猿になってたら怖いよね」
あなた方は、ツボが分かっていらっしゃる(笑)
もう一つ蛇足で、字幕は戸田なっちゃんだが、ちゃんと京大類人猿研が監修についているので、MonkeyとApeの使い分けも問題ない(笑)