『宇宙商人』 フレデリック・ポール&C・W・コーンブルース (ハヤカワ・ファンタジイ)
まだ《ハヤカワ・SF・シリーズ》ですらない、《ハヤカワ・ファンタジイ》のNo.3026。しかも初版。
近くの古本屋(いわゆる新古書店)にて¥500で入手。かなり傷んではいるが、出すところに出せば、最低¥1000以上するだろうに。一緒に並んでいたラインナップからすると、誰かがお亡くなりになって放出かと思われる。こういうのを見ると、ちょっと物悲しい感じになる。
それはさておき、SF史に残る名作をやっと読んだ。
促音の小さい「っ」が大きい「つ」で表記されているくらいの昭和36年発行本。どれぐらい古いかというと、同年出版(アメリカ)の未訳本としてベスターの『分解された男』やスタージョンの『人間以上』があとがきで紹介されているくらい。
しかし、大企業に支配され、格差の広がった社会の風刺は現代にもそのまま当てはまる。いわば、50年前に考えられたディストピア社会が実現してしまったのが、現代のこの世の中ということなのだ。
大企業のエリート職員(しかも、職種が今で言うところの、コピーライターというのが風刺としてもおもしろい)が、“金星を売る”というミッションに抜擢される。しかし、対抗会社の妨害や、企業営利優先社会に叛旗を翻す組織の妨害に合い、社会階層を転落。そこからのし上がる展開かと思いきや、反社会組織で頭角を現して一気に陰謀の核心へ。
かなり突っ込みどころの多い展開で、最後の真相(の一部)もどうかと思うのだけれど、そこはそういうものだと割り切ってしまおう。
経済優先で、国家予算を越える営利をはじき出す大企業によって、政治投票まで牛耳られる社会。一般市民を“消費者”と呼び、それが下層階級として扱われる社会。消費者たちは企業の広告に踊らされ、重役たちの思うがまま。
当時は「このままいけばこうなってしまう」という風刺と警鐘を込めて書かれた小説が、今やすっかり現実のものだ。そうならないためのディストピア小説がまったく機能しなかった。
なのであれば、ジョージ・オーウェルの『1984年』や、パオロ・バチガルピの“カロリー社会”が将来も現実化しないなどと、どうして言えようか。
SF作家の想像力は科学技術面だけではなかった。だからこそ、社会問題に関してもSFの中に問題提起や解決方法を求めても良い。そこはもっと認知されてもいいのではないか。
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