羽を乾かすポーズは愉快です。
最近の動向を見ると、教育改革を巡る動きについての試みが展開し始めている。一方では、少子化による入学者の減少問題が学校経営難となって表面化し始め、景気の停滞感が払拭され、景気上向きを見据えた就職率の向上、求人倍率の上昇傾向等が見え始めている。一時の行き詰まり感は、影を潜めつつあるが、少子化の傾向と、ミスマッチによる就職後の不適応現象は根本的な問題解決には至っていないため、これから表面化する。現在の状況は、軌道に乗ったとまではいえない状況にある。就職率の改善によって、大学等の教育改革にとってブレーキとならないようにしなければならない。
産業界が求める労働力は質の高い労働力である。新卒の新入社員は果たして産業界が求める質の高さを潜在力として持っているかが問われることになる。学校教育が現在までに行ってきた制度のほころびは既に顕在化していて、大学を出たが就職できない状況は、そのことを物語っている。大学が抱えている問題は、資金不足、教員の資質、大学組織と戦略性などであり、大学の存在と目的が、我が国の経済、社会に対する影響力の低下を指摘されて久しい。
新入社員の質だけに目を向けることだけで、産業の活力を取り戻すことが出来るわけではなく、大学を卒業した者を能力がないからといって、大学へ戻すわけにはいかない。大学を出て、運良く就職できたとしても、社会人としての潜在能力すら短時間で構築することは不可能である。能力がなければ、必要な能力を自前で教える良い機会でもある。また、教えないで新入社員自らが自学自習できると思うことは考えない方がよい。武器も持たずに戦場へ送り出すようなもので、傷ついて戻ればよい方で、社名を汚し、契約破棄など世間は決して甘いものではない。つまり、新人の教育訓練体制がなければ企業の存亡に拍車をかけるだけである。
何故そのような卒業生を生んできたかの答えとしていえることは、学校教育の根幹をなす教員の資質に問題の大半があることである。教員は企業の倫理を知る立場にはなく、企業人育成を最終の仕上がり像としていないため、何ら教えることが出来ないのである。更に、決して自らの能力の100%は教えない。精々8割教えればよいとしていて、自らより秀でる学生を排除する傾向にあるからだ。出藍の誉れなど到底考えられず、出る釘を打つ仕事をしてきたからである。グローバル化は言葉だけで、役に立たない自己の古い専門性を後生大事にし、己の保身で教育現場を蹂躙してきた。自らが矢面には立たず、風向きが収まるまでのたこつぼ戦略は多いに教育現場を駄目にしてきた原因であろう。