最後の仕上げです。
水面に浮かぶ桜の花びらが流れる様子を筏にたとえて、花いかだというらしい。俳句の春を表す季語に使われる。桜吹雪といえば、散る様を雪にたとえて呼んでいるが、何とも奥ゆかしい言葉ではある。散った桜を愛でる風情は、絵になるし、華やかに咲いた後でも一面に広がる花びらの絨毯は、それも美しいものである。筏とは花びらが連なって、木材等をつなぎ合わせて運ぶ様子に重ね合わせた先人の風流を感じさせる。
物の本によると、花いかだの語源は、骨壺を筏状に編んで、川や海に流して死者を弔ったとされ、骨壺を結んでいたひもが切れると灰が水面に浮かび、浄土とやらへ向かう様子であったという。江戸時代以前の話であるが、死者の灰をまくというのは、ヒンズー教でインドのガンジス川で現在でも行われている埋葬方法の一つである。我が国での埋葬は、火葬であり、法律で決まっていて、焼却後は埋葬許可証なるものが交付される。それを持って、墓地管理事務所へ届け出る。
花いかだといえば、低木で、公園等に植えられているモチノキ目落葉樹がある。のこぎり状の葉の上に花を咲かせる木であり、不思議な木である。花をつける組織が葉に移動したと考えられている。
筏師という職業がある。筏を操る人であるが、木場には筏を操る妙技が受け継がれている。竿を持って、バランスをとりながら丸太を回転させるというものである。将に曲芸の分野にはいる。粋を生き甲斐とする筏師は、今の時代ではいずれ廃れてしまうのであろうか?木材を切り出し、急峻な川を筏に乗って下り、貯木場まで運ぶ仕事であった。交通網が発達していない山間部での仕事であったわけで、現在では考えられないであろう。
筏師が必要なくなったのは、河川にはダムができ、運搬はもっぱらトラックで運んでいて、木材の加工場も、山間部にある。筏師の仕事がなくなったためである。もっとも、多くの山林を抱えている我が国であっても、切り出しに人手がかかり、人件費も高いため、多くの木材は輸入に頼ってきた。今後は国内の消費は、国内で供給できれば、林業も活発化すると思われる。山師といわれる職業にも女性の活躍が話題になってきている。伐採や運搬等が機械化されれば、女性が働ける分野も広がると思う。
話は飛んでしまったが、眠っている山林が生き返るための知恵が必要になってきているといえる。