多摩川にもアオサギとコサギが飛来するようになりました。羽を広げるアオサギ独特のポーズです。
防災の日は大正12年に発生した関東大震災を契機としている。地震が発生した日でもある。防災について考える機会として、年に1回の特別な日である。組織を離れると、地域の防災について気にかかるところであるが、特段の防災行事もないため、自身の周りについて考えてみたい。広く考えれば危機管理となるが、想定もままならず、自宅の管理でも行っておこうと思った次第である。自宅には夫婦と愛犬しか居ない。非常時の持ち出し品、非常時の備品は平素から最低限は準備しているが、今回重点として、懐中電灯のチェック、緊急放送が聴ける携帯ラジオのチェック、灯油ランプや、ガスランプ等の燃料のチェック、非常用ポリタンクの水道水を交換、非常食品のリストアップ等を計画した。
元来、災害は突然襲ってくる。想定が出来ないのは、自然災害の予知が不可能であることが、火山の噴火、巨大地震、人的な災害等が、専門家自らの反省から、想定出来ないという発言が成されてからである。災害が起こった後の分析や、解説は耳にたこができる位に聞いているが、予知を目的とした機器類の設置は行わないよりはましかといった程度であることは、何とも不安をかき立てる。
多くの研究者は、過去の自然災害の痕跡から、周期説や、再現性を強調するが、ではどのくらいの精度で、また、確率で発生するかとの質問には、確信を持って答えたためしが無く、占い師や祈祷師と何ら変わらない戯言を繰り返してきたのが実態では無かろうか。潔く、真実について語らないのも情けない話である。所詮、我が身は自分の判断でしか守ることは出来ないのである。かといって、何も対応しないで居ることを推奨しているわけではなく、日頃からの危険予知は当然行っていなければならない。そのためには、予兆をどのように判断するかに尽きるが、経験していなければ、予兆も判断出来ない。(次回へ続きます)