アオサギ得意のポーズです。
国際政治は専門ではないので、残念ではあるが、正確なことを申し上げられない。最近の隣国韓国が経済危機に陥る様相であり、韓流ブームで盛り上がった日韓関係も今はその熱も冷め、日本からの旅行者は激減し、韓国産キムチの消費も低下しているという。韓国と我が国には竹島の領有権問題があり、韓国大統領との首脳会議は1回も開いていないし、慰安婦問題についてもぎくしゃくした関係となっている。中国の戦勝70年を迎えて、軍事パレードが昨日行われた。安倍首相の出席はなかったが、韓国朴大統領が出席している。
韓国は戦前から終戦(我が国がポツダム宣言を受諾し、無条件降伏するまでの間)に至るまでには我が国の一部であり、戦勝とは無縁のはずが何故出席するのか疑問を持った。また、中国共産党が中国で政権を持つのは戦後であり、戦後中国の政権争いに負け、台湾に渡った国民党であったと記憶している。ゲリラとして中国で我が国と戦争状態にあったのは毛沢東が率いる部隊であり、現在の共産党ではない。当時の中国は中華民国といっていた。
連合国との戦いは、昭和17年(1942年)6月のミッドウェー海戦で打撃を受け、8月にはガダルカナル島の上陸によって連合国軍が攻勢となった。翌年(1943年)9月に枢軸側のイタリアが連合国に無条件降伏し、翌々月に、米国のルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相、中華民国の蒋介石総統はエジプトカイロで、カイロ宣言を発表した。これがポツダム宣言の元となったのであるが、この三国同盟で日本との宣戦布告である。この中に、満州、台湾、ぼう湖島等中国から奪った一切の地域を中国に返すこと、併せて、朝鮮を自由独立させる決意が決められた。
一方韓国については、日露開戦直後、日韓議定書が取り交わされ、韓国は日本の保護国で、同盟国となり、ポーツマス条約後、明治39年(1906年)総督府が置かれ、初代は伊藤博文が総監であった。1909年12月にハルピン駅で、韓国人安重根に暗殺される。1910年に韓国併合条約8条が調印され、以後、韓国は朝鮮と呼ばれ、先にも触れたが、太平洋戦争が終わり、ポツダム宣言受諾まで、日本の一部を構成していた。その意味では朝鮮と我が国は戦争状態になったことはなく、中国の戦勝記念軍事パレードに韓国の朴大統領が戦勝という意味で参加する意図はよく分からない。
中国の習近平国家主席は、式典の演説で、歴史を曲げることは許されない等といっていたが、こちらの方も何処か自分の認識とに齟齬があり、実に妙な要旨内容であった。隣国の状況はフィルターが厚く、真実は遠いところにあるようで、グローバル化にはほど遠い気がした。