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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

五輪エンブレム後日談

2015年09月04日 00時00分01秒 | 提言

 白紙撤回が世の中に投げかけるに至った背景は、不動と思われた決定事項が覆された失態である。多くのコメンテーターがネット社会の成熟化による画像等の検索、閲覧、取り込み、模倣、加工が容易となったことを指摘しており、案件が浮上してエンブレムの応募条件、選定方法から決定に至る過程が、非公開でなされ、オープン化されなかったことが問われている。

 

 白紙撤回によって、振り出しに戻ったわけであるが、今日までに費やした労力が大海の藻屑となったことや、既にエンブレムが公開された後に広告の利用に着手している企業等では、取り下げによる損失に対する責任論が浮上している。責任論の矛先は、エンブレム原作者、選定委員、大会組織トップ、関係者全員に及ぶが、責任の所在が明確でないという指摘もあり、その所在を突き止めることから始めるようである。

 

 同様な案件の再発防止はよいが、今後どれだけその教訓が活かされるのか疑問である。なぜならば、今回の問題は過去にも同様な例があり、今に始まったことではないからである。そのことは既に、このブログで指摘してきたことである。責任を果たさなければならない対象者は、一時期、本人の名声、名誉、利権等を得た方々で、日本人が持っているある種の競争意識、勝利者になる欲望、自己満足が、先鋭化し、歪曲化されて現れた顕著な例である。決して特異な例ではなく、日常どこでも起こり得る事象である。

 

 個々の問題はほぼ出揃っていて、今後新たな理由は限られると思われる。この種の問題は、組織が持っている責任分散のメカニズムであり、責任回避方策なのであろう。しかし、同様な事柄が起こるリスクをどう減少させるかを問題視する方が得策のように思われる。

 

 原作者のパクリ問題はそれ自体が犯罪行為であることの過ちを率直に認めないオリジナリティと正当性の固持や態度、及び、同類のパクリを起こしたスタッフに責任を押しつける管理者としてあるまじき行為はもはや虚飾の世界を証明したことに他ならない。当然、パクリによって生じた損害は返済しなければならない。

 

 大会組織委員会は文科省の下部組織であり、リーダー不在の責任回避の顕著な例であり、最も厳しい追及が必要であろう。口では国民のため税金を使わせて貰っているなどといいながら、職位に付くと謙虚さは消え、横暴な権力者として采配を振るうことが出来るという錯覚があるようだ。組織はアメーバであり、唯一存在する自浄能力が、不要な部署を容赦なく切り捨て、不要となった構成員は抹殺する。組織自体は存続し続け、増殖する。責任を追及されても、本来、有耶無耶にする機能を持っているのである。牙城を切り崩すのは厄介である。