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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

責任の所在(その1)

2015年09月06日 00時00分01秒 | 紹介

 不祥事の責任所在について考えてみた。責任所在の不明確さの原因についてである。不祥事が起こるのは我が国だけではない。責任のある立場にある者は何らかの基準で、責任の所在が明確になれば、責任を負うことになる。責任を負うとは謝罪だけで済むものではなく、不祥事に伴って発生した損失を弁済し、併せて慰謝料を支払うことになる。

 

 米国のレストランで、ウエイトレスが客の食事の後、片付け中にコーヒーカップを床に落としてしまったが、自分のミスを認めると弁済義務が生じるため、日当から差し引かれる。そうならないために、日本人では考えられないような理由をいい、己の責任を否定する。実際に遭遇したことである。つまり「このコーヒーカップは落ちて、割れる運命にあったため、勝手に落ちた!自分には責任はない」と言ったのである。責任を回避することの短絡的な理由付けである。責任回避のための可能性を探る努力は見上げたものである。この理由は屁理屈に通じ、誰が信じるであろうか?

 

 逆に考えると、不祥事の責任回避が行える算段を、前もってして置くことの一つとして、責任を曖昧にする知恵が生まれたのも、まんざら嘘ではないようである。事件を有耶無耶にし、時間を稼ぎ、時間が解決してくれるという類(たぐい)である。責任者が雲隠れする、緊急入院、海外出張等の行為は一種の責任回避の巧妙な算段である。

 

 組織の長が責任を曖昧にし、責任を取らない方向が生まれたのは組織自体が構成員である各人を守るという信頼関係を醸成してきたことの結果なのであり、それがロイヤリティ(忠誠心)を育んできた。そのための意志決定の仕方は我が国独特なものである。組織は一般にピラミッド構造を持ち、意志決定の仕方は稟議書による組織全員の合意形成が行われる。

 

 不祥事が発生した場合、個人的な意図を持って不正を行わない限りにおいて、組織全体にその責任が及ぶのは至極当然ともいえる。それを最小限にする道、つまり、組織の業務方法に責任を分散させ、担当部署に責任が集中するようにし、稟議発生部署が責任を取る体制となっている。これで、ピラミッド全体に責任が拡がることを防ぐ。担当部署だけでは済まない重大な不祥事の場合はトップまで行くが、通常は担当部署の足きりで済んでいる。謝罪会見等はその現れで、一種のパフォーマンスに過ぎず、引責辞任後の顧問や、会長の座に居座るのは、引責の意味すら不透明である。(次回へ続きます)