鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

微妙

2015年09月19日 00時00分01秒 | 紹介

 文化庁が発表した昨年度の国語に関する世論調査を紙面で見た。言葉のぼかし表現を使用することで、断定を避ける風潮との分析結果である。善し悪しを判断出来ないときに微妙を使い、自分の責任回避には「わたし的には」という。更に、同庁の担当者は、場の空気を読んで、断定を避けようとする風潮が拡がっていると指摘している。

 

 ○○とかぁ、やばい、等の言葉も年代によって普通に使われていて、増加傾向にあるとのことであった。ちなみに「やばい」はとてもすばらしいとの意味で使い、自分の感情を強調するのに便利なようである。

 

 数年前からも紙上で指摘されていたことがあった。「ぜったい」という言葉を、否定的に使うのではなく、肯定的に使われるととまどうこともあったが、この他にもTV放送局のアナウンサーが使っているのはどうも良くないのではとの思いをすることが増えた。年配の女性が敢えて使っていることもあり、余り良い感じはしない。特に相手にしゃべらせないようにと思うのであるが、「~でぇ」いう語尾を上げることが聞き手には耳障りであり、そのような言葉を話す人の話は聞かないようにしている。

 

 漫画の影響かどうか定かではないが、日本語には、男女別々の言葉を持っている。最近は女子中学生や高校生が男言葉で話しているのを耳にすることが多くなった。言葉には流行があり、漫才を演じる役者の真似をする場合もあるが、男女平等とは異なる伝統文化であると思うのであるが、隠語や符丁などと同様に、方言ではないので、流行やすたれがあるのであろう。

 

 言葉は品格を表す場合も多く、家庭の躾も影響する。大人になるに連れて、TPOをわきまえて使うようになるため、そう心配することはないと思っている。最近は言葉の使い方を注意する人も少なくなった。無関心なのか、余分なこととしているのか分からないが、希薄になった人間関係を象徴しているようである。

 

 さて、的(てき)という語尾は、自分に対しては使わないのであるが、的を付けても責任回避とは思われないし、決して断定をたしなめることにはならないのではないか。自分に的を使って、聞く相手が曖昧と捉えるかも疑問である。寧ろ自分を曖昧にすることは避けなければならず、自らを鳥瞰的に捉える意味がよく分からない。自分の持っている行動をまるで他人が判断するように、勝手に、「そういう場所には行かない人」などと話すのはどういう意図があるのか相手の判断への強制のようにも捉えられるのであるが・・・。