鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

彼岸花

2015年09月17日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 暑さも一段落、朝夕はめっきり秋めいてきた。もうお彼岸の時期に入る。時期を察したように、庭には彼岸花が咲き始めた。曼珠沙華(マンジュシャゲ)ともいわれ、緑の生い茂った庭の片隅を鮮やかな赤色が彩っている。彼岸は、春分・秋分の日を中日として、前後各三日を合わせた七日間をいう。各寺では彼岸会と称した仏事が行われる。煩悩を脱して悟りの境地に達することをいっている。

 

 藤あや子がマンジュシャカと歌っていることを聞いたことがあるが、サンスクリット語でマンジュシャカと言うそうで別段間違っているのではない。マンジュシャゲは、根に毒を持っていて、田圃のあぜ道によく見かけるが、鱗茎という部分の毒が、ネズミ等の動物を避けるため、田圃の漏水を防ぐ働きがある。鱗茎にはでんぷんを持っているため、長く水に曝すことによって毒が消えて食料にもなるとのことで、食糧難の時代には、畑に植えられたと聞いている。原産地は中国で、米作の伝来時に土に紛れて持ち込まれたようである。

 

 つい先だって、お盆の墓掃除に行ってきたが、また出かけなくてはと思っている。先祖や両親の霊に会ってくることにはそれなりの意味がある。供養ばかりではなく、自らも悟りの境地になるよう精進しなければならない。仏教を自分の宗教としているが、普段は全くといってよいほど、仏教徒らしいことはしていない。宗教が生活の場から離れていること自体が問題ではある。檀家ではないため、地元の寺とも余りお付き合いはないが、お寺さんと名字がおなじため、古くから知っているが、先代がなくなって以降、ご子息が、仏教大学を卒業され住職をされている。

 

 地方でも廃寺が増えていることは何度かブログで紹介したが、最近は深刻な問題として、仏教界自体もいろいろと手を打ってきている。しかしながら、宗派間の縄張りが強く、少子化や、人口の都市部集中による檀家制度の崩壊が根本にあるため、そう簡単に話は進んでいないようである。さらに、追い打ちではないが、従来の仏事での埋葬方法も変化が出てきていて、同じ団塊の世代では、散骨や、樹木葬、永代供養等、子供等に面倒をかけたくないとの配慮も影響しているようである。

 

 生活に宗教感が希薄となっていることは、どうしたものであろうか、決して無宗教ではないのであるが、果たして対外的にはどのように映るのであろうか、精神世界は不明な点が多いと思う。特に精神を患う方が増えているといわれるが、ストレス社会の行き着く先を案じているのは自分一人だけではない。