住宅地にも飛来するカワラヒワです。
不慮の事故、盗難、詐欺等の人為的犯罪、放火、殺人、自然環境の破壊、爆発事故等の方針や判断の欠如等は人災であり、火山の噴火、地震、台風、豪雨、雷、竜巻、異常気温、等は自然災害に二極二大別することが出来る。双方が関連する治水事業の失敗が、洪水を引き起こし、家屋の流失、インフラの機能不良、死亡者や負傷者、不明者を生む。地震や津波は、想定出来ない巨大化した地震や津波の想定範囲を超えていれば、言い訳となり、免罪符になるのか。火山の噴火は突然噴火し、逃げ遅れた人を犠牲にする。このところの事故の発生は自然災害、人災を問わず、発生しているようである。
自然災害は時間的な周期が過去の発生記録から分かっているが、将来の発生を予知出来ないことは、人知が及ばない部類にはいるのであろうか。人災においても、科学技術や情報技術が発達した現代においても、未解決な分野にはいるのであろうか。最近の報道を見ると、人命救助は大切であるが、事後処理にばかりが目立ち、起こった後に話となる原因の究明や解説が主流であり、予知や再発防止についての対策が、後手に回っていることを憂慮している。常に不安の生活に置かれるのは、平凡な市民であり、大衆である。人命は貧富の差があってはならず、為政者の責任は大きいはずであるが、地位や、権力を手にする一部の人間が、何もしてこなくて私欲を肥やすようでは世も末といわざるを得ない。
情報の発達によって、デマや、ガセネタは影を潜めている。流言飛語が下火になったのはよいことであるが、根拠をはっきりとさせた分析能力の向上が伴っているかと言えば、総じて、不安を増大させるばかりである。曖昧な発言を繰り返している専門家は信用を失う。特に地震や、火山噴火などは予知不能であるとの明言が欲しい。可能性をいえば実際に災害が起きてしまえば、自分が予知したといい、的中しなければ、火の粉が飛ばないように逃げ回る。天気予報ですら、可能性に始終し、明言は避けている。天気予報で最近漸く竜巻注意報が出されるようになった。
確かにオオカミが来るぞと連日叫んだ少年は、数日来ないと村民に嘘つき呼ばわれされ、信用を失うが、暫くしてオオカミが来て村人に危害を与えたという話がある。天気予報も高性能な人工衛星打ち上げで、相当鮮明な画像や精度が高い情報を得ることが出来るようになったと聞いている。多いに活用されることを望んでいるが、火山情報や、地震予知の観測機器はどうしてしまったのか、シェルターを作ることも必要であるが、常に得られた情報のデータ分析が要(かなめ)であり、データを基にした予知能力の精度を上げて貰いたい。頼る術が自分にあれば諦めもつくが、何もしない事によって起こる災害も失策である。失策による責任を放置しても良いはずはない。