同じ姿勢のように見えても周りを気にし、見える範囲を変えているようでした。
自宅近辺にガラス屋がある。現在の住居は昭和30年に東京都杉並区の母親の実家から転居した。神奈川県の分譲住宅である。当時、最寄り駅の近くにガラス屋が開店した。ボール遊び等で隣家のガラス戸を壊し、何度かお世話になった。先代ご夫婦はすでに他界し、兄弟で店を継いで現在に至っている。長男の方は相模原市の方へ自宅を持っていた。実質的には弟分が店を切り盛りしていたが、長男の方を最近見ることがなかった。
近所にあるコンビニで、弟と数年ぶりかに出会い、立ち話であったが雑談をし、その折りに長男の消息を尋ねた。長らく患っていた肺炎を悪化させて、今年の春に他界したことを知った。小学校の同級生でもあったので、同い年の幼なじみが他界したことにショックを受けた。ガラス屋は父親譲りで、生前に父親から指導を受け、ガラスの取扱を学んだのであろう。弟と店を継いだ後は、サッシの方も取り扱うようになり、地元での受注で結構忙しい様子であった。
独身を続けていたが、最近の状況は全く判らないままとなっていた。何度かTV見合いの番組で顔を見たとの話もあったが、結婚とは縁がなかったのかも知れない。淋しい死である。兄の死を受けて、店を続けていた弟も仕事から離れてしまった。店をたたんだのである。弟も腰の椎間板を悪くし、併せてパーキンソン氏病とのことであった。雑談している最中でも、身体を安定出来ないようで、左右に体を動かし続けていた。生前の兄から、仕事を卒業する旨の話があり、タイミングを同じくして弟の病気も進んだための決断であったようである。
零細・小規模店舗の経営の厳しさを知ったが、家族や親族の病気は店舗の撤退に直接影響する。まして、ガラスやサッシなどの施工・メンテナンス業者は、大規模な工事に伴う下請けの仕事が少なくなれば、生活もままならないようである。ガラスやサッシは施工が完了すれば、頑丈なせいか、壊れることもない。消費製品とは言えない物になっている。零細・小規模店の衰退を地で行っていたようである。
身近にいた者が他界する状況を経験することが増えてきたが、高度な医療の進展があっても、現実に幼なじみが他界すると、気持ちの何処かに空洞が空いたような虚無感を感じる。現世では再会出来ないという必然である。