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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

多数決

2015年09月22日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 以前から疑問に思っていたことに、少数意見を尊重することの重要性が、結果として無視されることに違和感があった。民主主義は多くの異なる考え方を持つ者がいるが、そのことを前提として、多数決は構成員の多数意見に対し、その中で1つに絞る又は集約する意志決定方法である。多数決は、多くの場面で登場するが、決して絶対で唯一の意志決定方法ではない。前提となるルールがあって始めて機能する方法と思っている。

 

 紙面で、ゲームの論をベースに、メカニズムデザインを専門とする慶応大学の教授が提言しているが、多数決は万能ではないとの理論展開をされている。多くの委員会等では議論の場で、進行や取り纏めの役目を果たす座長を決める。意志決定の最終方法として、構成員は座長に一任することがある。これは多数決ではない。多くの場合は、賛否を取る場合には挙手か起立か、投票かの方法で、答えが出される。同数の場合は、座長が判断する場合もあるが、幾つかの意見に分散した場合には、得票数の多い上位2~3件について決選投票などの方法を取る。

 

 多数決が最終的には、異なる意見を排除し、または、譲歩して異論を制するわけであるが、内在する問題として、愚衆政治へ発展する可能性を排除することは出来ない。つまり、烏合の衆化した場面では、集約して決定した1つの意志決定が、目的に対して逆作用となる場合もある。最大多数が結果的に最大幸福とはならないのである。これを防ぐために賛成意見の割合を過半数とはせずに、案件によって、全会一致、2/3や3/4等の賛成を求めることも行われる。ただし、数の論理は、愚衆政治を排除するものではない。

 

 三権分立の中では、立法府であっても、裁判を行う司法の判断を仰ぐことになるが、通常では紛争処理などの場に決定事項が持ち出され、決定した事項が、個人や団体に著しい損害を発生させる等の具体的な損害が発生するなどの場合では司法の判断が優先される。

 

 意志決定は、投票によるばかりはなく様々な方法があるが、多数決が持つ限界も知った上で、活用すべきで、少数意見を尊重することであるが、どのようにそれを担保していくかは常につきまとう問題である。人工知能や蓄積されたデータ解析の導入によって、歴史的な事実が明らかにされるようになれば、案件の処理も投票結果がもたらす影響等について、シミュレーションが可能となり、多数決によらずとも最適解を求められる時代が来るであろう。