カモメも種類が多くいますが群れで飛来するのがユリカモメです。今年も個体数を増やしています。えさが豊富なのでしょう。
在職時代には職場が全国に及んでいた。現在も全国に展開している。しかしながら、組織の業務はある時点から大幅に変わったが、変わるきっかけは、職業訓練の対象者が在職者や離職者となり、中・高卒者を対象としていた長期の養成訓練は募集を停止し、再編された。養成訓練は高卒対象となり、全国をブロックに分けて各ブロックにそれぞれ短期大学校2年間か能力開発大学校4年間に引き渡された。従来の養成訓練は2年間の最後の学年が訓練を受けていた時代であった。訓練施設名も職業能力開発促進センターとなっていた。
自分はそれまでに派遣されていた労働省職業訓練局海外協力課から派遣期間が満了して本部組織に復帰した。そこからの転勤となり、函館に赴任したが、新設された開発援助課の管理職であった。開発援助課は、対外的な仕事を行う課で、主に在職者を対象とした能力開発セミナーの企画運営である。雇用保険受給者である受講生の離職者訓練や、機動訓練と呼ばれていた委託訓練の受講者等のお世話役(受講開始から就職まで)でもあった。
地域性もあったが、公共職業安定所とは密接な関係があり、受講生の訓練終了後は、就職のお世話を公共職業安定所と併行して行っていた。当然とはいえ、現職には指導員がほとんどであったため、新たに嘱託を2~3名を配置することになり、開発援助課の職員として採用した。このときの嘱託の一人と数十年ぶりに電話での連絡が取れた。前職はJRの駅長をされていて、定年で退職された方であった。函館は古くから函館ドックと旧国鉄の人員整理とに関わる仕事もあったようで関係が深かった。
電話での話であるが、大変元気そうで、声に張りがあり、在職時と変わらぬ声量であった。既に90歳を迎えられたという。現在もいくつかの重要なポストでの采配をふるわれている様子で、すばらしいことであると敬服して聞き入った。誰もが出来るわけではないが、社会参加というか、組織との関係は意欲を向上させ、まさしく蓄積された経験を、世のために還元されている。人生こうありたいと思う理想を地でいっている方である。
現職時代でも、よく話しに上ったテクニックというか真情は相手の立場になって考えることで、時間と相談を厭わないことだといわれていた。そのせいか、ご本人の周りには、受講生がたえず訪れていたことを思い出す。秘訣を聞こうと思ったが答えは遠慮されて何も言われなかったがおそらく察するところ、相手の立場で考え同調し、共感することだとされるのは間違いないであろう。