鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

薬師池のガビチョウ

2013年07月16日 00時00分05秒 | 画像

薬師池(町田市)には大賀蓮の育生池があり、そろそろ見頃と思い様子を見に行きました。この公園には写真サロンが併設しており、写真仲間の展示も見てきました。蓮の様子はちらほらでした。帰路途中でガビチョウに会い撮影しました。
















差別と平等(4回シリーズその3)

2013年07月16日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 全ての教師がそうであるとはいえないが、今のいじめ問題の原因の多くは、泣き寝入りがもたらす悪癖やPTA等保護者や教育委員会への呪縛から解き放されていない。いじめ問題が解決できない理由は、事前兆候を見逃し、組織・自己保身のために、問題を矮小化し、他人事のようにいじめ問題が全くないなどと平気で戯言を言う管理者にはあきれるばかりであるが、生徒へのアンケートや聞き取りで問題の存在が発覚すると平身低頭して誤る姿は何とも情けない。実態の根源をとらえた改善処理が出来ていない。教師集団の体たらくがあり、現在でも殆ど変わっていない。ご紹介したように、低学年でも差別の思考・行動経路はいずこも同じであり、立場が弱い(差別を受けやすい)人間を見つけると、優位を誇示し、集団でいじめる世界が存在するのである。
 今日では、教員管理や人事に介入してきた教育委員会といえば、世間の見方は大変厳しく、政治問題化しており、内閣からは改善措置の一環として、大変強い口調で改善を要望されている。評論家の意見の中には教育委員会への失望と不誠実な態度に辟易し、即刻解散し、教育委員会不要論が多出している。近々答申がでると思われるが、直ぐにいじめ問題が解消するとは到底考えられない。
スポーツ界においての女子柔道セクハラ問題も人権を無視し、指導者たる組織の長が関与していたとなれば、辞職どころでは済まされない。人権問題の徹底解明を望みたい。

 平等で思い出すのは、国際会議へ出席していたときであったが、指名されて発言を議長から求められた発言者は、始めに議長へ敬意を込めて、”Thank you , chairman” と発声する。では、女性が議長を務めた場合には、Chairwoman, Chairladyというのであろうか、答えは Chairmanでよいが、Madam Chairman という。そのときは、男性議長に対してMr Chairman を使う。無難なのはChair-person がよい。
 郵便配達人は Postman であるが、これも現在ではPost-person またはPost-officerという。
 
 職務に関係する用語では男女平等社会であり、男性優位と思われるこれらの用語の使用は注意しなければならない。人によっては差別されていて、相手に嫌悪感を憶えさせる場合は使用しない。対応する人によって使い方を変えるということは、親密さの深さによるようである。(次回へ続きます)

差別と平等(4回シリーズその2)

2013年07月15日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 川崎の方へ移住したため、杉並の方でのことは記憶から遠のいていた。地元の中学へ入学し、丸1年はそこへ通っていたが、中学2年になったときに、学区外であったが、大田区の某中学校へ転校した。そこで再びいじめに遭い、このときは前の中学校が丸刈りであったため、あだ名を付けられ、いつもからかわれていた。
 ある時理不尽な要求が原因で、いじめグループと対峙することとなった。幼いときから剣道を習っていたので体力には自信があり、度重なる相手の挑発に我慢していたが、我慢しきれずに相手より先に顔面を力任せに殴り、相手の眼鏡が割れ、レンズで目の下を数針縫うほどの傷を負わせてしまった。

 結構出血がひどかったため、取り巻いていた、いじめグループは怖じ気づき、自分への被害はなかったが、女性の担任が聞きつけ、お説教とともに有無をいわせずに一方的に加害者と決めつけられ、自宅謹慎処分となった。始末書を取られ、傷を負わせた保護者へのお詫びに、母に連れられて頭を下げに行った。
 今思えば、孤立した世界の中で、自己防衛が正しく評価されなかったことに対し、担任への不信感が深まり、謹慎処分が解かれた後の気まずい思いは今でも忘れられない。これ以後いじめグループからの挑発は影を潜め、他のいじめグループから仲間にならないかと誘われる始末である。このグループは陰では結構悪さをしており、幼い身には弱肉強食の世界を見た思いであった。
 担任の行いは教育者の多くが持ち合わせている初動対応の不味さ、状況判断力の欠如で、短絡的な暴力行為だけを悪とする勧善懲悪主義、処罰・排除優先である。(次回へ続きます)

差別と平等(4回シリーズその1)

2013年07月14日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 日常会話の中で無意識のうちに使う言葉には相手にとっては耐え難い侮辱ともとれ、人間関係を台無しにすることさえある。有名人や、評論家、政治家やマスコミ関係者までもが、一言で長年培ってきた立場を一瞬にして失うこともある。知らなかったでは済まされない言葉の重みを背負って行かねばならないことが予測できる。一般には差別用語といわれるものである。言葉は新しく生まれ、今では使われなくなった言葉も多いし、当初使っていた言葉の意味も変化している。今回取り上げた差別と平等について考えてみたい。

 言葉には話し言葉と書き言葉があり、日常会話でも丁寧語、謙譲語、尊敬語等相手によって違いがある。詳細については触れないが、家庭の中でも、職場でも、買い物や相談事等言葉を使って自らの意志を相手に伝える。意思疎通が出来なければ、社会の中では生きていくことが出来ない。
 最近の教育現場でのいじめ問題や家庭内暴力による幼児の死亡事故の報道は、被害にあった本人はもとより、関係者の多くが、問題解消に知恵を絞っていることと思われる。再発防止には何らかの役には立つであろう。しかし、被害者の立場に立てば、他人から受けた侮辱や嘲笑等の心の痛みは簡単に癒えないし、解消するわけではない。また、失われた幼い命が戻るわけでもない。今回のテーマとまんざら関係ないとは思えない。

 自らの経験から申し上げれば、読者の方に参考になるかもしれない。父の仕事が水産業で、遠洋航海であった。年に数回しか帰宅しないが、寄港地に母に連れられ何度か迎えに行った記憶がある。時には数年間居住することもあったが、小学校は3度転校した。低学年の時はあまり気にならなかったが、山口から杉並区の桃井小学校に転校したときは今でいういじめが激しかった。 特に山口弁の方言が原因していたのかもしれない。いじめグループに呼び出され、小突かれ、無理難題を押しつけられ、学校へ行くのが辛かった。(次回へ続きます)

スパイスの世界20フェンネル・セージ(2回シリーズその2)

2013年07月13日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 【セージ】サルビアのことで、よく知られているソーセージは豚肉にセージが入った腸詰めのことである。シソ科の多年草。セージは葉を乾燥し、フレーク状にしたものを使い、さわやかな芳香の主成分はシネオールで、ヨモギに似た匂いがする。ほろ苦さと僅かな辛みを持つ。セージの持つ矯臭効果を利用し多くの挽肉料理、鶏肉料理、煮込み料理など料理に使われる。ハンバーグに是非利用されたい。古くからセージは頭脳の働きを良くし、強壮作用や長寿によいとされてきた。そのような研究成果は見あたらないが、サイモンとガーファンクルが歌ったスカボローフェアにセージやパセリ、ローズマリー、タイムが登場する。

ウキペディアから引用(スカボローフェア)

"parsley, sage, rosemary and thyme"の繰り返し句は現代人にはよく理解できないが、象徴的意味に満ちている。パセリは今日まで消化の助けになり、苦味を消すと言われており、そして中世の医者はこれを霊的な意味としても捉えた。 セージは何千年もの耐久力の象徴として知られている。ローズマリーは貞節、愛、思い出を表し、現在でも英国や他のヨーロッパの国々では花嫁の髪にローズマリーの小枝を挿す慣習がある。 タイムは度胸の象徴であり、歌が書かれた時代、騎士達は戦いに赴く際に楯にタイムの像を付けた。 歌での話し手は、4種のハーブに言及することで、二人の間の苦味を取り除く温和さ、互いの隔たった時間を辛抱強く待つ強さ、孤独の間彼を待つ貞節、出来ない仕事を果たす矛盾した度胸を具えた真の恋人、そして彼女がそれらをできた時に彼の元に戻ってくることを望んでいる。また、一説にはスカーバラの市には処刑台があり、そこから魔除けの効果があるとされるこれらの香草が歌に織り込まれたともされる。
(このシリーズ最終回です)

スパイスの世界20フェンネル・セージ(2回シリーズその1)

2013年07月12日 00時00分01秒 | 緑陰随想


 【フェンネル】和名はういきょうという。桔梗類せり科、ういきょう属の多年草である。種子ではなく、乾燥した果実を香辛料に利用する。鱗茎である地下茎はサラダにも用いられる。

 スターアニスに似た樟脳の香りを持ち、香りの主成分はアネトールである。古くから歴史上に登場する薬草として中国、インド、エジプトなどで使われていたという記録がある。

 古くは目の障害に良く効く(視力強化)といわれたが、フェンネルを多用する国では眼鏡をかけている人が少ないため、我が国でも積極的に使えば眼鏡のお世話にならないかもしれない。薬用の効果もあり、健胃、腹痛などの漢方薬にも利用されている。中国の混合スパイスである五香粉(ウーシャンフェン)の成分の一つである。苦みは若干あるが、辛みは弱く、フランスでは魚のハーブとも呼ばれ魚料理には欠かせない。主として香り付けで、生ものの臭みを抑える賦香効果(矯臭効果)である。和食にはちょっと強すぎ、癖があり、なじみがない香りである。

 フェンネルは悪霊を払う力があると中性のヨーロッパ社会では信じられていたようである。薬草が邪気を払い、転じて霊力を持つものとして信じられることは自然の成り行きのように感じる。我が国でも正月に清酒や味醂に屠蘇散という漢方薬を入れてそのエキスとともに飲む(屠蘇)習慣がある。古の人々の知恵で、季節ごとに発生する流行性の病や体力増強や食欲増進、健康維持のために、湯に浮かべるゆずや菖蒲も同様に素材が持つ芳香性や抗菌作用を慣習として定着させたのであろう。地域によっては、山椒の木や月桂樹などは避ける家が多い。芳香性の強い樹木や草を玄関近くには植えないといったことも、邪気を家内へ入れないことが逆に人を招き入れないことへ通じ、失礼と考えたようである。
(次回へ続きます)

有料と無料について(4回シリーズその4)

2013年07月11日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 有料駐輪場、有料駐車場、有料トイレや有料喫煙所など以前は無料であった場所や施設においても有料となり、国定公園や、自治体が運営する多くの施設でも有料化が更に検討されている。富士山が世界遺産として登録され、理由はともかくとして、1年先には入山料を取ることになっている。そもそも国定公園内にある施設や場所の利用に費用がかかることへの明確で納得できる説明がほしい。

 小生が住む地域でも河川敷に特定の団体や企業が私有地として長期間管理(市へ賃貸料を払っている)し、一部の民間人も許可無く家庭菜園に耕作し、我が物顔に使っているため、多くの住民の利用が制限され、足を踏み入れることすら出来ない。不法ともとれる利己的な団体や不法と知りながら耕作を続ける利己的な人間をこのまま放置したままでよいのであろうか、疑問が残る。自由空間であるべき河川敷の利用を再考する時期に来ている。

 喩えどこかに使用料が支払われていたとしても、長期間独占使用の在り方は料金を払う以前の問題で、公明正大にし、多くの住民の納得のいく形に改めるべきである。(このシリーズ最終回です)

有料と無料について(4回シリーズその3)

2013年07月10日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 次に有料についてであるが、正当な価格表示は当たり前と思っていたがそうでもなさそうである。有名なデパートであっても値切る交渉は必要とのこと。経験はないが、設定価格は決まっているのではなく、売る方の自由裁量である。であれば価格交渉する余地がある。最近ではメーカーの出荷価格を参考に表示し、オープン価格といって、販売価格は店舗によって異なり、低価格にして売る商品が増えてきた。
 一見消費者にとってはよいことのようであるが、比較できる情報がないとこのことも意味をなさない。

 経済学では価格は需要と供給のバランスで変動する。一般的に言えることであるが、市場にでる商品量が一定ならば、買い手が多ければ価格は上がるし、少なければ低下する。買い手が一定ならば、商品価格を下げる店舗に買い手が集中する。商品は多品種であれば買い手の選択の幅が広がり、サービスや信頼、設置場所の便利さ、店員の態度等が良い店舗は評判が高くなる。
実際にはこのような付随する要素によって販売価格は左右する。

 有料道路は高速道路とは必ずしも一致しない。私設の有料道路は全国にいくつかあるが、鉄道や道路は公共性が強いため、大手の社団法人などが運営している。以前は、一部路線を除き、全国に張り巡らされた鉄道網は国有であった。大手の独占された企業の運営であっても、国や地方公共団体が関与する要素を持っている。料金は利用者から取るが、利用者が多い場合は短期間で敷設費用が回収できる。しかし、米国のフリーウエイ(無料道路)のように高速道路でかつ無料料金の道路がないのは我が国だけかもしれない。その理由はメンテナンスにかかる費用が発生するからとかで、同様に地下鉄などの公共輸送においても有料から無料にすることは可能性がないわけではない。全国一律に割り引くことをしないのは、路線によって格差を生じることらしい。

 取りやすい所から徴収し、過疎地区へ振りまくことが見え隠れしている。その理由だけではないであろうが、過疎地区や一部の路線区間で、実験的に、夜間や平日に料金を割り引くことが実施されているが長続きはしない。直ぐに無料にするのではなくても、混雑する路線こそ、段階的に既存の有料料金を引き下げる。制度化の定着に向けた運営努力が見えてこないのはいかがなものかと思う。(次回へ続きます)