>ダイヤモンド・オンライン >アメリカの大学に「医学部」がない意外な理由 >和田秀樹によるストーリー・ >17時間・
>日本では、医学の知識は豊富でも、人格には疑問符がつくような医者がどんどん輩出されていると指摘するのは、精神科医の和田秀樹氏だ。
>日本の医学生は医学以外のことに興味を持たず、新任教授の選び方も忖度だらけ。
そうですね。
>一方のアメリカでは入試システムから日本とは異なり、いい医師を養成し学問を発展させようという意識が段違いに高いのだという。
>本稿は、和田秀樹『ヤバい医者のつくられ方』(扶桑社)の一部を抜粋・編集したものです。
>優秀な人ほど教授になれない!? 日本の大学の理不尽すぎる現実
> 学問とは発展していくのが当たり前だという考えのアメリカの大学では、新たな教授を選ぶことも既存の教授陣に任せたりはしません。
> 新しい教授の人選を担当するのは、「ディーン(dean)」という肩書の人です。
> 比較的、若い人がつくことが多いディーンには優秀な教授を他の医学部からスカウトしてくる職務もあります。
アメリカでは医学部ではなくてメディカル・スクール (医科大学院) でしょうね。
> アメリカという国は名より実を取る傾向が強いので、その大学が信用できるかどうかは、どれだけ優秀な教授がいるかで評価します。
>優秀な教授が多いという評判が立つと、ますます優秀な教授が集まるようになり、どんどん大学の評価は上がります。
> 逆に大した実績のない人を教授にして大学の評判を落とすようなことをすればディーンはクビになりますから、変な忖度も生まれようがありません。
アッケラカンとした世界の中でドライに割り切る習慣が必要ですね。
> 日本の場合、一部の私立大学を除く多くの大学は、既存の教授が新しい教授を選ぶというシステムが取られているので、優秀すぎる人はなかなか教授に選ばれないという風潮があります。
日本は序列社会ですからね。出世は序列昇進の方法しか考えられませんね。自己の昇進は自己の主導で行うという発想がありませんね。
>自分より優秀だとわかりきっている人を新たに教授にすると、自分の影が薄くなってもう威張れなくなるのがよほど嫌なのでしょう。
日本人には世界観がない。だから、料簡が狭いですね。
> テレビでも活躍されていた考古学者の吉村作治氏は、数多くの発見をして、論文もたくさん書かれていたのに、早稲田大学でなかなか教授になれなかったのは有名な話です。
序列社会の切なさですね。
>長く助教授として過ごすことになったのは、人気が高かったことをほかの教授たちに妬まれていたからではないかと言われています。
話が小さいですね。
> 世の中の人たちが性善説で語りがちな大学教授の中には、このように私欲だけで動いているとしか思えない人たちがたくさんいます。
> そして、入試面接や教授選がこんな人たちに都合のいいかたちで遂行される限り、日本の大学はこのまま弱体化していく一方だと思います。
そうですね。天罰覿面ですね。
>なぜ医学生は医学以外に興味を持てないのか?
> 大学の医学部で医者になるための知識や技術を学んだあと、医師国家試験に合格すれば、その後、臨床研修が義務付けられてはいるものの、形式的には医者になれます。
> ただし、大学の医学部の授業で教わるようなことだけを学んでおけばいいわけではなく、一人前の医者になるためには、それ以外にも知っておくべき知識がもちろんあります。
> そのうちの1つが、医療保険の制度がどうなっているかとか、医療費をどうやって抑えていくのかといった医療経済についての知識です。
> 実は私は東京医科歯科大学と一橋大学の合同授業で、毎年のように総合診療が医療費抑制にどう貢献できるのかを医者の立場から学生たちに教えています。
>こういうテーマは医学部の授業ではほとんど扱われないので、東京医科歯科大学からの申し出で一橋大学との合同授業を設けるようになったのです。
>ほかにも審議会で医療政策に関わっているような人など錚々たる面々が講師として集まっていて、とても充実した内容だと思います。
> ところがこの授業を聞きにくるのは看護学を専攻している学生や保健衛生学科の学生だけで、医者の卵である医学部医学科の学生はただの1人もいない年がほとんどです。
> 最初の頃の授業は一橋の都心部のキャンパスだったので、もしかすると医学部のほかの授業と時間が重なってしまったのではないかという話になり、会場を東京医科歯科大学にしたり、授業の開始時間を18時半にしたりという配慮をして改めて仕切り直したのですが、結果は同じでした。
> 医学部の学生は医学以外には全く興味がないのか、まともな医者になる気はないのか、と腹立たしく思ったりもするのですが、彼らはもしかすると医学を学ぶことに精いっぱいで、医者になるのに役立ちそうなことを幅広く学ぼうという意欲や余裕を持てずにいるのかもしれません。
それもあるでしょうね。
>アメリカの大学には基本的に医学部がない
> 意外に知られていませんが、アメリカの大学には基本的に医学部はありません。
アメリカには高校卒業生を入学させて医者に仕立てる発想がないですね。
> 医者になりたい人は、大学を卒業したあとに日本でいうところの大学院にあたるメディカルスクールで学びます。
そうですね。大学院は高度な職業人を養成するところですから、大学の卒業生を入学させていますね。
>そこで4年間の課程を修めるとM.D.(編集部注/Medical Doctor)の学位を得ることができ、そのうえでUSMLE(United States Medical Licensing Examination)という米国医師免許試験を受けて合格すれば医師になれます。
> また、メディカルスクールで学ぶにあたって基本的には大学での専攻は問われないので、例えば演劇を大学で学んだあとに、医者を目指すということもできます。
そうですね。
> 日本の場合も、裁判官や検察官、弁護士になるのに必要な知識や能力を培うロースクール(法科大学院)は法学部出身でなくても進学することができますが、アメリカのメディカルスクールはそれと似たようなシステムになっているわけです。
そうですね。大学院は高度な職業人を養成するところだからですね。高校卒業生を入学させている日本の医学部は医学高等専門学校の方に近いですね。
> つまり、18歳でいきなり医者になる道に入ることは原則的になく、4年制大学においてそれなりの教養を身に付け、精神的にもある程度、自立した人間だけを医者になるスタートラインに立たせるというのがアメリカのやり方です。
>逆にいうとそれだけの経験を重ねたあとに、医者になろうという決断ができるわけです。
子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。
英米流の高等教育は子供に哲学を獲得させるための教育である。
英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。
子供が思春期になって、言語能力が飛躍的に増大するのを待って高等教育が行われる。
哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。
日本語は現実の内容だけを話す言語である。写生画の言語であるとも言われている。
日本式の判断だと見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。
だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。
嘘ばかりついていては学習に力が入らない。だからわが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。
> 多くは高校を卒業したばかりで、あらゆる意味でまだ未熟な受験生の「医者としての適性」を教育する側が判断し、それがないと決めつけた場合にはその道を閉ざしてしまう日本とは全く違います。
そうですね。医療 (医学) は科学的である必要が在りますね。科学は科学哲学ですから、無哲学・能天気の人には適当でないですね。
> また、アメリカのメディカルスクールの授業料はかなり高額ですが、それに見合うだけの充実したプログラムが組まれています。
>いい医師を養成しようという本気度は日米で雲泥の差
> もちろんプロフェッサー(教授)は、指導力の高さで選ばれているので授業の質も極めて高く、その点においても、まともな指導もできないのに教授を名乗っている人間がゴロゴロいる日本とは大違いです。
> 指導される側の学生たちもみな自立した年齢で、しかもたまたま頭がよかったからそこに来ているというわけではなく、本気で医者になりたいと思っている人ばかりなので、いい加減な授業をしたり、教え方が下手だったりするプロフェッサーは学生たちに低評価を喰らい、クビになります。
>これも教授に歯向かいそうな人間を入試面接ではじいている日本では考えられないことです。
批判はいつの世にも必要ですね。
> さらに言うと、日本での臨床研修はいい加減な指導医のもとでたったの2年ですが、アメリカでは4年もあります。
> つまり、どこを比べても、いい医師を養成しようという本気度に日本とアメリカとでは雲泥の差があるのです。
そうですね。日本人には ‘あるべき姿’ の内容というものが無い。我々日本人は無哲学・能天気ではいられませんね。
> 日本の大学の医学部は、実質的に医者になるための「職業教育」の場と考えられています。
>だから、「医者としての適性」や「医者になりたいという高い志」があることが入学の条件になっていて、それを口実に入試面接が行われているわけです。
> しかし、学問の自由は憲法でも保障されているので、当然、医学を学ぶ権利だって誰にでもあるはずです。
>医者になりたい人にしかそれを学ばせないというのは、本来はあり得ないことではないでしょうか。
そうですね。
> また、医学部が医者の養成機関となっているせいで、医学部の学生たちは、医学そのものの勉強にばかり必死で、それ以外の勉強にはあまり熱心に取り組みません。
>もしかするとそれが、医学の知識はあっても人格には疑問符がつくような医者がどんどん輩出される理由の1つではないかと私には感じられます。
無哲学・能天気な人間は信頼できませんね。
>医学部の改革の第一歩として入試面接から教授を排除すべき
> もちろんアメリカとすべて同じシステムにする必要はないと思いますが、例えば大学の医学部もほかの学部と同様に4年間にして純粋な学問の場とし、本気で医者になりたいと思う学生だけがその先の大学院の医学部に進んで、そこでみっちり医者になるためのトレーニングをするというカリキュラムに変えるというやり方はどうでしょうか。
それは良いアイデアですね。’善は急げ’ ですね。
> これであれば、医学という学問がすべての人に開かれ、当然、入試面接をやる口実もなくなります。
> アメリカのメディカルスクールと同様に大学院を4年にすれば、かなり充実したプログラムが組めるでしょう。
>もちろん教授陣の質を上げることは絶対条件ですが、いい医者が育つ可能性は今よりずっと高くなると思います。
> 医者を育てるための税金だって、主に大学院以降に投入されることになるでしょうから、大学卒業の時点で医者になる道を選ばなくても、誰に文句を言われることもありません。
> そうなると、大学院の入試に面接を課そうという話になるとは思いますが、この時点であれば「本気で医者になりたいのか」を問うてもいいかもしれません。
> ただし、「医者としての適性」はその後のプログラムで変わる可能性は十分あるので、それを入学の条件にすることに賛成はできません。
> もちろん面接官を教授が務めるというのでは、現在の入試面接の弊害が残されたままなのでこれは何としても阻止すべきです。
> そうはいってもおそらく既存の教授たちはなりふり構わず反対してくるでしょう。
> 医学部のカリキュラムを変更するより、入試面接から教授を追い出すことのほうがずっと難しいことなのかもしれません。
私の会ったアメリカの新入医学生は入学試験の時、試験官が自宅に訪ねて来て、朝から晩まで生活状態を見ていたそうです。試験官は個人の生活背景も知りたがっているようですね。