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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

主体性の喪失 2/2

2019-11-10 04:46:02 | 教育

>  有用性のない勉強は、害毒である。

無哲学と序列メンタリティの害毒でしょうね。

>  何を信じ、どう生きたらいいのかを教えず、しかも、民主主義社会で生きていくために最低限必要な知識や礼儀、技術も与えないまま、子供達を社会へ放り出しているのである。>これは、泳げない者を、浮き輪も与えないで、大海原に放り出すのに匹敵する。>それが現行の教育である。

自分自身で考えることのできる人間に育て上げることが必要ですね。

>  さらに、教育の現場も主体も分裂していて、その間には何の脈絡もない。

無哲学・能天気の日本人は、つかみどころのない人間であります。ですから、その間には何の脈絡もありません。

>子供達は、家庭と学校、一般社会、そして、仲間の社会、それぞれに、価値観、行動規範を使い分けなければならない。>これでは、アイデンティティ(自己の同一性)は保てない。>その結果が、自己の喪失である。

序列社会においては、人は相手により態度を大きくしたり・小さくしたりしなくてはならない。その変化が奇妙に見える。つかみどころがない。

>自己を喪失すれば自律的意志を維持することはできない。>行き着くところ、人格の破綻、人格の分裂である。

そうですね。
‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)

>  問題は、現実の中にある。>我々は生きていく上で、まず一番に、その問題を見つけだすことが、求められる。

問題は、日本語の特性によるところが大きいと思いますよ。

>そして、答えは、本来、結果が出す。

英米人は、日本語を話していても日本語特有な閉塞感には陥らない。彼らの考え方はいくらでもある。だから、その正解も幾らでもある。

>だとしたら、学問で大切なのは、問題を設定することであって、必ずしも答えを出すことではない。

そうですね。問題を見つけ出すことが大切ですね。

>  学校や子供達の生活の場は、非日常的な空間である。>ところが、子供達にとって学校やテレビ、ゲームに取り囲まれた生活の場が現実なのである。>この様に、子供達の生活している空間と現実との乖離は、子供達から、非日常的空間と現実と区別する正常な感覚を奪い取ってしまう。

学校生活も家庭での生活も、どちらも日常でしょうね。それらは、現実であって、天国・地獄のような非現実 (考え) の内容ではないでしょう。

>そして、非日常的な空間を現実と子供達に錯覚させ、現実を受け入れられなくしてしまう。

日本人には、非現実 (考え) の内容はありませんからね。時制を持たない日本人が非現実の内容を考えると、それは哲学にはならずして、空想・妄想になる。お陰様でわが国は、漫画・アニメの大国になりました。

>その結果、子供は、現実から分離され、非現実的、非日常的世界へ隔離されてしまうのである。

学校は、序列競争に特化された空間でしょうね。

>  この様にして、学校やメディアは、無自覚に現実離れした人格を、作り出してしまっている。

序列マニアの日本人は、いくらでも序列を作りますね。お手の物です。

>  最も最低なのは、偏差値によって、すべても学童の序列を決めてしまっていることである。

これは、公認の序列ですね。

>偏差値によって、全人格を、決めつけとしまうような事は、即刻やめることだ。

そうですね。偏差値の存在は、叙勲の存在に匹敵しますね。

>評価すべき事も曖昧な上、評価する基準や、方法も確立していない。+

日本人は、人間としての価値を求めています。これは、同次元序列の争い (スポーツ競技など) の結果とはまた別のものです。

>それでありながら、序列だけが、明確に決められてしまう。

それでありながら、皆が ‘正一位’ を望んでいる。

>それによって、人生の進路まで決められてしまう。>これは、非道だ。>人倫の道にもとる。>人間として許されざる事だ。

残念なことに、日本人には ‘もの’ (物・者) しかありません。

>何を、根拠にして、人に序列をつけるのか。

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。だから、日本人は、’上と見るか・下と見るか’ の判断なしでは暮らせない。上下判断を繰り返して行えば、それは全体で序列になる。我々は、序列社会 (縦社会) に生きている。だから、だれもが認める標準となる人間序列が必要になる。それで社会は序列判定に精を出している。

>偏差値主義こそ、最も忌むべき差別思想である。

偏差値が廃止されれば、我々日本人はまた別な序列を作り出すことでしょうね。日本人の礼儀作法は、序列作法である。序列順位を知らない人間は、礼儀正しい日本人にはなれないでしょう。序列なきところに礼儀なし。

>偏差値は、我が国の教育制度の非人間性を象徴している。

そうですね。存在するのは、人間ではなくて単なる ‘もの’ (物・者) ですよ。日本語には、人称 (person) がない。



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主体性の喪失 1/2

2019-11-10 04:26:56 | 教育

>もはや学校は終っている >348528 現代教育の弊害 >kanarchy ( 22 会社員 ) 19/08/15 PM09 【印刷用へ】 >以下リンク 参照
>  現行教育最大の弊害は、主体性を喪失させることによって多くの人格破綻者と精神異常者を生み出していることである。

主体説のない人間は、厄介者ですね。

>  個人主義をベースにした民主主義社会において、主体性を喪失することは、致命的なことである。

そうですね。主体性を喪失すれば、民主主義は衆愚政治になります。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.

>個人主義社会では、自分の意志で、物事を判断していかなければ、生きていくことはできない。

そうですね。意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way.

>ところが、主体性を喪失する事は、自分ではなにも判断できなくなることを意味する。>自分で決めなければならないのに、自分ではなにも決められない。

日本人には、意思がない。意思の無い人は、意思決定ができない。だから、自分ではなにも決められない。
意思は、未来時制の文書内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳には未来時制は無く、日本人には意思がない。

>このような状況は、大変なストレスを生み出す。

そうですね。緊張しますね。肩の凝る社会ですね。 

>解消のしようがないストレスは、やがて人格を破綻させ、精神に異常をきたす。

残念なことですが、それは現実ですね。

>  子供達から、自信をなくさせ、自分の未来や可能性を信じられなくしてしまう。>これは、子供達から、夢を奪い取ることを意味する。

そうですね。子供は、未来のない若者になりますね。

>  何よりも恐ろしい弊害は、教育によって、子供達が、何も信じられなくなることだ。>信じることすら、できなくなることだ。

リーズンのない世界には、信じるものはありませんね。

>自分の未来や自分可能性、そして、自分自身を、親を、教師を、上司や先輩を信じることができなくなることだ。

そうですね。子供たちは、序列社会の枠の中に閉じ込められていますね。

>  子供は、興味のないことに対する勉強を強要された時、なぜ、勉強しなければならないのと、親や教師に質問してくるだろう。>  それに対し、親や教師はどう答えるだろう。 >仮に、自分の為よと答えたとする。

その答えは、分かりにくいですね。

>そうすると、子供は、小首を傾げて、また聞くだろう。>何が、自分のためになるのと。

そういう事になるでしょうね。

>それに対しどう答えるのか。良い学校に行くためによと答えたとする。>良い学校にはいると、何か自分のためになるの。

良い学校というのは、英米にもありますね。知的教育の質の問題ですね。

>このような親や教師の答えに、子供は、納得するだろうか。

それは、難しいでしょうね。

>こうしているうちに子供は、親の嘘や教師の嘘に気がつく。

日本人は、序列 (ものの上下) の存在を指摘されると、それで黙る。序列は現実の内容であり、それを否定することはできない。日本人にとって、序列の価値は当然であり、天下の真理に見える。
英米人には、’あるべき姿’ (things as they should be) の内容と、’今ある姿’ (thing as they are ) の内容がある。あるべき姿 (非現実) の内容を基準にとって今ある姿 (現実) を批判すれば、その人は批判精神 (critical thinking) を示したことになる。が、日本人には、これがない。あくまでも、現実対現実の比較に終始する。‘あるべき姿’ は、非現実 (考え) の内容であり、その文章内容は時制 (tense) のある文章により示される。英文法には時制があるが日本語文法には時制がない。

>  役にも立たない、しかも、おもしろくもないことを、強要されることは苦痛である。>その苦痛に耐えるために、子供は自分に言い聞かせるようになる。

そうですね。日本人は常日頃、お互いに ’頑張って’ とか、’お疲れ様’ と声を掛け合って励ましている。’気楽にやれ’ (Take it easy.) とか、’うまくやれ’ (Good luck.) とは声を掛け合わない。

>しかし、それでも納得がいかなくなると、勉強や学校を生理的に受け付けなくなる。

子供は、不登校になりますね。

>頭が良くて、感受性の強い子ほど、この傾向は強くなる。

子供にも、リーズン (理性・理由・適当) による判断が必要ですね。

>  信じてきた人達、信じようとしている人達が、このような耐え難い苦痛を強要する。

それは、アンリーズナブル (理不尽) な環境ですね。

>そして、何も信じなくなる。

‘民信無くば立たず’ ですね。政治は、民衆の信頼無くして成り立つものでない。

> 自己が確立する以前にこのような仕打ちを受ければ、自己を喪失してしまう。

そうですね。わが国の人間序列は、廃止すべきですね。これには、個性を認めることが必要ですね。個人主義の徹底が必要です。

>つまりは、学問への情熱どころか、生きることに対するひたむきさをも、失ってしまう。

そうですね。

>そのことによって、自分の未来や自分自身を信じられなくしてしまう。

未来のない若者が出来上がりますね。


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