> 4.では、どうしたら良いのか?
> 一言で言うと、「教育を『教育に関する決定権者』から取り戻し、国民全体で議論すべきだ」ということに尽きる。
決定権者がいなくても議論はできますね。
>そのための方策には色々有りうるだろうが、たとえば私は「国会に附置した第3者機関たる『公的オンブズマン』が、国民の教育に関する意見を募集し、その中の最良の案をオンブズマンが責任を持って選び、国会に提案する」というアイデアを持っている。
良い案が出ると良いですね。国会に提案するのは、手段ですからね。目的の内容を詳しく知りたいですね。手段の目的化は危険ですね。
>しかしそんな夢物語、今の政権下では全くあり得ない・・・。
それでは、‘いつの日か、、、’ ということですね。遠大な計画ですね。
> 私は自分の孫たちに、いや日本の子どもたち全てに、勉強一辺倒ではなく、それこそ「美しい日本」の美しい自然を満喫する体験を一杯して欲しいのだ。
それには、誰もが賛成するでしょうね。
>小中学校では、子どもたちを毎年1ヶ月は海や山で過ごさせる、という案はどうか?
考えは、人様々ですからね。それも一案になるでしょうね。
>日本の子どもたちの大半は今、自然が乏しい都市部でビルに囲まれて生活し、学校や塾通いで遊ぶ暇もない。
残念ながら、それは事実ですね。環境の ‘あるべき姿’ に関する提案も必要ですね。
>一方、地方では、自然は一杯あるのに、各地で限界集落が増え続けていて、過疎問題が深刻である。>ただでさえ狭い日本の国土なのに、過疎地の多くの土地は為政者の無為・無策によって放置されたままである。
政治指導による土地の有効利用も必要ですね。
> しかし日本は本来、木々に覆われた緑の国であり、多くの島々が点在する海の国でもある。>私の乏しい海外体験から言っても、日本ほど温暖で美しい自然に囲まれた国は見たことがない。>これを利用しないのはもったいない。
そうですね。国土の有効利用は、教育と関係なくても実行すべきでしょうね。
>私としては子どもたちに、たとえば日本中に何千とある無人島のどこかで、澄み切った海と緑あふれる山々に囲まれて、たっぷりと冒険を楽しんで欲しい。
考えは、人様々ですね。
>そういう機会を子どもたちに与えることこそが為政者の務めであり、そういう施策が地方を過疎から脱却せしめ活性化させる引き金にもなりうる、と確信しているのだが・・・。
過疎からの脱却は政治家の仕事でしょうね。個人には、自由な選択が必要ですね。
日本語は、現実描写の言葉です。構想は、非現実の内容であり、現実ばかりの世界ではその内容は ‘嘘’ ということになります。ですから、偉大な構想もまともな話とはならない。真面目な話ができない。
我々日本人は、日本語と英語を良く学び、文法における時制の役割-の大切さを十分に理解する必要があります。さすれば、我々の考えは現実の世界にとどまらず、どこまでも限りなく伸びて行くことでしょう。閉塞感に襲われることも無くなります。
我々日本人には、手段の目的化が起こりやすい。それは、手段は現実の内容であり、目的は非現実の内容であるからです。現実の内容しか持たない日本人は、非現実の目的を見失いがちになり目的達成が難しくなります。わが国の憲法を改正するのは、どのような世界 (非現実) の実現を目指すのか。わが国の教育の改革を断行するのは、どのような人間 (非現実) の育成を実現するのか。こうした行き着く先の内容を多数のひとに周知徹底しなくては、全ての運動は水泡に帰すことになるでしょう。
非現実の内容を矛盾なく述べることかできれば、外国人も我々を信用するでしょう。国際協力もやりやすくなるでしょう。日本人の国際貢献ももっと大きなものになるでしょ。
日本人の無哲学・能天気ぶりは下記の内容からも読み取れます。現実の中で良いとこ取りに終始しています。非現実の内容を持たない人間の喜劇ですね。
山本七平は、<ある異常体験者の偏見>の中で、絶対化について述べている。「日本軍が勝ったとなればこれを絶対化し、ナチスがフランスを制圧したとなればこれを絶対化し、スターリンがベルリンを落としたとなればこれを絶対化し、マッカーサーが日本軍を破ったとなればこれを絶対化し、毛沢東が大陸を制圧したとなればこれを絶対化し、林彪が権力闘争に勝ったとなれば『毛語録』を絶対化し、、、、、、等々々。常に『勝った者、または勝ったと見なされたもの』を絶対化し続けてきた―――と言う点で、まことに一貫しているといえる。」と述べています。
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