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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

キングメーカー  

2024-09-23 20:53:05 | 文化

FRIDAYデジタル   >「キングメーカー争い」で崖っぷちの麻生太郎氏がついに動いた水面下で「高市早苗に入れろ」指令  >FRIDAYデジタルによるストーリー・   >1日・   

>「高市に入れろ!」   

>政界2大“キングメーカー”の1人、麻生太郎元首相がそう号令をかけたという。   

 

派閥政治はやめられませんね。   

 

>9月19日、政治記者の間で一斉に情報が回った。   

>混沌とする自民党総裁選(27日投開票)は候補者乱立で、1回目の投票では決着がつかない可能性が極めて高い。   

>その場合、上位2人による決戦投票となり、国会議員票368、都道府県連票47の計415票の総数で決まる。   

>スタートダッシュを決めたのは小泉進次郎氏だったが、討論会などを重ねるうちにボロが出て失速。   

>代わりに猛追しているのが高市早苗氏だ。   

>進次郎vs石破なら麻生氏は「出る幕ナシ」    

>これに“小躍り”しているのが、麻生氏だという。   

>「現在、永田町には菅義偉元首相と麻生氏の2人がキングメーカーと呼ばれています。   

>両者は関係性がよろしくない。   

>今回の総裁選の裏テーマは『真のキングメーカーは誰だ?』なのです」(全国紙政治担当記者)   

>当初、上機嫌だったのは、進次郎氏と石破茂氏を“手駒”に持つ菅氏だった。   

>決選投票で「石破氏vs進次郎氏」ならしめたもの。   

>どっちに転んでも影響力を行使できる立場にあった。   

>しかし、期待していた進次郎氏が伸び悩み、高市氏が急伸していることで麻生氏に“お鉢”が回ってくる可能性が出てきた。   

>「石破氏と進次郎氏が決選投票に残るようなら、麻生氏は蚊帳の外に置かれるところだった。   

>そこへ高市氏が割って入ってきたことで、麻生氏は地元福岡の事務所関係者を通じて、派閥50人以上の議員に『高市に入れろ』と呼びかけた。  

 

派閥の議員は十把ひとからげにして派閥の領袖により数合わせに使われますね。これは彼らが無哲学・能天気のためですね。      

 

>裏金問題発覚後、派閥を維持しているのは麻生派だけ。   

>最初こそ空気を読んで『自主投票』と言っていましたが、ついに親分自ら動き出したというわけです」(政界関係者)   

 

我が国は序列社会で出来ている。派閥と序列は一心同体ですね。派閥は序列を区別する印半纏の様なものです。         

 

>麻生派も一枚岩ではなく、親分の号令に何人が応えるかはわからない。   

>それでも総裁選のカギを握る存在になったことは間違いない。   

>「面白くないのは菅氏です。   

>まずは決戦投票に進次郎氏か石破氏のどちらを残すか。   

>票読みが必要となってきました」(同・政界関係者)   

>猛追する高市氏の“懸念材料”   

>一寸先は闇の政界権力闘争。   

>これがテレビドラマならさぞ面白いが、国民にとってはたまったものではない。   

 

権力闘争は年中行事ですね。彼らには他にすることが無い。   

 

>高市氏をめぐっては、総裁選前に党員らに政策リーフレットを送っていた問題や、推薦人20人のうち、杉田水脈氏ら13人が“裏金議員”であること、旧統一教会との“関係性”について多くの疑問が残る。   

>なかでも“裏金”推薦人問題では、17日放送のテレビ番組で「どの方を(推薦人に)入れるかは選対、チームに任せた。   

>翌日、新聞を読むまで知らなかった」とシラを切り、「裏金議員」という呼称についても「正しくない。

>選挙区で説明を尽くされて、皆さんに納得いただいている方もいらっしゃる」とクギを刺した。   

>「自身が総裁となった暁には、裏金事件の対応をめぐり『追加的調査を行うことは考えていない』と明言している。   

>各候補、言葉を濁していたが、はっきりと言ったのは高市氏だけ。   

 

高市氏はとりわけ裏金議員を大切にしているのですね。   

 

>これは裏金議員を自軍に引き寄せるための“隠れメッセージ”といわれている」   

 

彼女は闇将軍の様な人なのかな。   

 

>高市氏は故・安倍晋三首相の意志を受け継ぎ、経済面では異次元の金融緩和を行った「アベノミクス」を踏襲する方針だ。   

>野党関係者の話。   

>「結局、総裁選は国民不在の権力闘争にすぎないのです。   

 

政治哲学がなければ、政治屋は権力闘争オンリーで決着を付けるしかない。  

 

>彼女に熱烈なシンパがいるのも、安倍氏の幻影を見ているから。   

>自民党は変わらないのです」   

 

そうですね。自民党は変わらない。日本人も変わらない。   

 

>野党も野党で一枚岩とはいかず、立憲民主党に至っては総裁選自体が全く話題になっていない。   

 

日本人には世界観がない。だから未来社会の建設を提唱する政治家がいない。夢と希望の無い政治が行われています。未来の無い若者を見るのは残酷ですね。しかし若者には責任が無いというわけではない。   

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて ) 

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。             

 

>冒頭の全国紙記者は「森友公文書の改ざん問題をはじめ、本来ならば政権交代クラスのスキャンダルはいくつもあった。   

>それをモノにできない野党のふがいなさが一番の問題だ」と断言する。   

 

そうですね。日本人には意思が無い。意思の無い人間には加害者意識 (罪の意識) がない。だから、日本人はどんな時にも深刻な反省には至らない。それで、原因究明には手が届かない。全てはうやむやになって終わる。         

 

>早ければ年内にも行われる解散総選挙。   

>歴史は繰り返すのか――。   

 

そうですね。賽の河原の石積みですね。   

日本人は思考を停止している。それで、自分自身の意見を持たない。マスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら情報を流しても、それが社会の木鐸 (世人を教え導く人) の役割を果すことはない。

‘それがどうした、それでどうした’ の問いに答えが出せない。我々日本人は自分自身の見解を述べる訓練をしてこなかった。だから日本人は個人として価値が低い。      

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

 

 

 

 

 

 


片田珠美氏  

2024-09-23 13:31:13 | 文化

>現代ビジネス   >「自分はこんなに優秀なのに」日本社会で根強い「平等幻想」が生み出す「大きな不満」   >片田珠美 (精神科医) によるストーリー・   3時間・  

>根性論を押しつける、相手を見下す、責任をなすりつける、足を引っ張る、人によって態度を変える、自己保身しか頭にない……どの職場にも必ずいるかれらはいったい何を考えているのか。   

5万部突破ベストセラー『職場を腐らせる人たち』では、これまで7000人以上診察してきた精神科医が豊富な臨床例から明かす。   

>背景にある構造的要因   

>職場を腐らせる人を変えるのはきわめて難しい。   

>しかも、自分が悪いとは絶対に思わず、自己正当化に終始する思考回路に拍車をかけるような構造的要因が現在の日本社会にはいくつもある。   

>その最たるものとして、次の三つを挙げておきたい。   

>(1)平等幻想   

>(2)渦巻く不満と怒り   

>(3)「自己愛過剰社会」   

平等幻想   

>まず、戦後の民主的な社会で驚異的な経済成長を成し遂げ、一時的にせよ「一億総中流社会」を実現した日本では、平等幻想が浸透したが、その後格差が拡大するにつれて、この幻想を持ち続けるのはきわめて困難になった。   

>もはや風前の灯といっても過言ではない。   

>皮肉なことに、戦後の民主的な教育によって「みんな平等」とわれわれが教え込まれ、平等幻想が浸透したからこそ、ちょっとした差に敏感になったという側面も否定できない。   

 

そうですね。   

 

>この点を指摘したのは、19世紀のフランスの思想家、アレクシ・ド・トクヴィルである。   

>トクヴィルは1805年生まれだが、彼の両親は貴族だったので、フランス革命が1789年に勃発したときギロチンで処刑されそうになったという。   

>そういう家庭環境もあって、20代でアメリカに渡り、精力的に現地の社会を見て回って書き上げたのが『アメリカのデモクラシー』だ。   

>この著書で、トクヴィルは次のように述べている。   

>「私が考えたところでは、平等が人々に約束する幸福を予告しようとする人はたくさんいるであろうが、それがいかなる危険に人々をさらすか、これをあえて早くから指摘しようとするものはほとんどいないであろう。   

>私が目を向けたのはだから主としてそうした危険であり、これをはっきりと見出したとき、臆して口を噤むことはしなかった」   

>さすがに先見の明があったと思う。   

>たしかに、「みんな平等」という考え方が浸透するほど、「同じ人間なのに、なぜこんなに違うのか」という思いにさいなまれ、歯ぎしりせずにはいられなくなる。   

 

考え方ではどうにもならない個人差というものがありますからね。  

 

>また、「あいつはあんなに恵まれているのに、なぜ自分はこんな目に遭わなければならないのか」と怒りを覚えることもあるはずだ。   

>それをトクヴィルは200年も前に見抜いていた。   

>歯ぎしりも、怒りも、「みんな平等」という考え方が浸透し、他人と自分の間に残る違いにより敏感になったことによって一層激しくなった。   

>江戸時代のように歴然たる身分の差があった時代なら、違いがあってもそれほど気にならなかった。   

>いや、より正確には、あきらめるしかなく、気にしていられなかったというべきだろう。   

 

それは背の高さの様なものですね。   

 

>ところが、平等化が進むにつれて、ちょっとした違いに敏感になる。   

>もともと別の世界の「違う人間」だと思えば、違いがあっても腹が立たなかったが、現代のわれわれは「同じ人間」だということを刷り込まれているので、あきらめきれない。   

 

われわれは共に同じホモサピエンスですね。   

 

>だから、少しでも違いがあると許せない。   

>とくに、日本は「一億総中流社会」をかつて築き上げたことがあり、その頃に浸透した「みんな平等」という意識がいまだに根強く残っている。   

 

我が国は没個性の社会ですからね。   

 

>もちろん、それ自体は悪いことではない。   

>だが、最近は必ずしも「みんな平等」とはいえない現実を思い知らされる機会が増えているにもかかわらず、平等幻想だけが漂っているので、「平等なはずなのに、なぜこんなに違うのか」と不満を抱かずにはいられない。   

 

個人の考えは皆別々ですね。   

 

>こうした不満は、羨望を生み出しやすい。   

 

見たもの乞食のようですね。子供の頃は皆がそうでしたね。      

 

>だから、羨望で胸がヒリヒリするような思いをしながら、羨望の対象が転げ落ちるのを今か今かと待ち構えている。   

>ところが、なかなかそうならないので、待ちきれなくなる。   

>そこで、しびれを切らして、羨望の対象を少しでも不幸にするために不和の種をまいたり根も葉もない噂を流したりするのだ。   

 

それは卑怯な真似ですね。   

 

>とりわけ、自身を過大評価していて、「自分はこんなに優秀なのに、能力を正当に評価してもらえない」「自分はこんなに頑張っているのに、努力をちゃんと認めてもらえない」などと承認欲求をこじらせている人ほど、「平等なはずなのに、なぜこんなに違うのか」と不満を募らせやすい。   

 

そうですね。   

 

>羨望の対象が周囲から認められ、高く評価されているのは、元々の能力に加えて本人の努力のたまものだったとしても、そういうことは目に入らないのか、不公平だと不平を漏らす。   

>このような不満を抱えていると、「努力しても報われない」「頑張ってもはい上がれない」などと思い込み、地道な努力をコツコツと積み重ねようとはしない。   

>努力もせず、不平ばかり漏らしていたら、承認欲求が満たされるわけがない。   

 

そうですね。   

 

>だから、ますます腐ってしまう。   

>そうなると、陰で他人の足を引っ張るようなふるまいを繰り返すわけで、こうした悪循環に陥ったら、なかなか抜け出せない。   

 

それは残念な人ですね。   

 

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屋上屋  

2024-09-23 04:48:22 | 文化

>デイリースポーツ   >石破茂コバホークをド迫力喝破「今のままでいいなんて誰も思っていない!」自身主張の防衛省創設を「無駄」にカチン   >デイリースポーツによるストーリー・   >1時間・   

> 自民党総裁選が告示された12日、9人の候補者がフジテレビ「イット!」で討論会を行った。   

> ヒートアップしたのが石破茂氏だった。   

>自身が主張する防災省の創設について、小林鷹之氏が「屋上屋(屋根の上に屋根をつけるように、無駄なものをこしらえること)」と表現したことにカチン。   

>「今のままでいいなんて、世の中の人は誰も思っていない!」と声のボルテージを上げた。   

> 小林氏は1日、神戸市で「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター」を視察した後、「防災省」の創設について「屋上屋を課すことになる。   

>必要性を感じない」と否定した。   

> このやり取りに対して、討論会で石破氏が小林氏に「全国知事会がこれは必要だ。   

>6割以上が必要だと。   

>屋上屋といって否定する根拠は?」と問いただした。   

> 小林氏は「屋上屋と申したのは、防災対応は多くの場合、自衛隊が派遣される。   

>最高指揮官は総理ですから、本来なら、指揮命令系統は、官邸の総理-官房長官のラインで迅速にやるべきと思う。   

>その意味では、いま内閣防災の機能、企画立案能力がまだまだ弱い。   

 

そういう事に成りますかね。   

 

>そこを強化することがあるべきやり方なのでは」と釈明した。   

 

それも一案ですね。   

 

> しかし石破氏は「避難所が100年前のままで本当に良いんですか。   

>実際にそういう任にあたっている市町村長たちが『頼むからそういう役所をつくってくれ』と言っているのを、どうして無視するんですか」とド迫力で息巻いた。   

 

選挙民がそれを聞いて判断するでしょうね。  

 

> 小林氏が「人員の話について言えば、わざわざ防衛省をつくらなくても、各省の連携はいま、比較的よい体制が構築できていると思っています」と対応すると、石破氏は「はぁ」と深いため息をついて呆れ顔。   

 

それは専任の大臣を置かなくても良いという事ですね。各省の連携という一言で、全ての問題は解決するのでしょうかね。      

 

>「今のままでいいなんて、世の中の人は誰も思っていない!」と断じると、小林氏は苦笑した。   

 

やり方はいろいろありますからね。正解はいろいろある。箱もの志向でなくてもやっていける場合もありますね。箱モノは為政者の実績としては分かりやすいが、後でお荷物になる場合もある。        

 

 

 

 


八牧浩行氏  

2024-09-23 04:07:14 | 文化

Record China   ><自民党総裁選候補者9人が論戦> 対中対話重視は共通、安全保障・抑止力では濃淡   >Record Chinaによるストーリー・   >1日・   

>自民党の総裁選挙(12日告示、27日投開票)に立候補した9人が日本記者クラブでの公開討論会(914日)などに臨み、外交や安全保障政策、対中姿勢でも活発な論戦を繰り広げた。   

>米国は11月の大統領選を控えて内向き志向を強め、中東ではパレスチナ自治区ガザで交戦が続く。   

>隣り合う大国・中国の経済・軍事両面での台頭も顕著だ。   

>新総裁は首相就任直後から外交の手腕が問われる。   

>自民党総裁選討論会では中国への対応を巡り活発なやり取りが展開されたが、対話を重視する姿勢は各候補とも共通だった。   

(略)   

>総裁選候補者の主な発言   

>■高市早苗経済安全保障担当相   

日本は核不拡散条約を批准しており、「持たず」「つくらず」。   

>これを守らなければいけない。   

>ただ、米国の拡大抑止の下にあるのであれば「持ち込ませず」という部分についてはどう考えるのか。   

>これをしっかりと議論しなくてはいけない。   

 

そうですね。我が国は平和国家です。必ず戦わずして勝つでなくてはなりません。ですから、わが国には膨大な抑止力が常に必要です。      

 

>■小林鷹之前経済安全保障担当相   

中国が南シナ海や東シナ海の現状変更を進めている。   

>日本の防衛力を抜本的に強化する。   

 

そうですね。戦争に対する保険金は、支払われなかった時に我々の幸せは最高になる。      

 

>■林芳正官房長官   

>私は知中派。   

>己を知り、敵を知れば百戦あやうからず。   

>中国と向き合っていくためには中国のことを知っていることは一つのポイント。   

>また農産物の輸出一つをとっても、規制緩和解除についていろんな交渉をしているが、相手を知って交渉しなければ結論を得ることは難しいだろう。   

>中国と仲が良いからといって、譲ったことはない。   

 

中国は中原 (ちゅうげん) に鹿を逐 () う伝統的な覇者の国である。だから、覇者の物語 '三国志' は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。独断専行に陥りやすい。印欧語族のインド哲学を経文 (漢文) に表すことが至難の業であることがわかる。経文など漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。

・・・・・

中華 (ちゅうか)  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]    東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。北狄 (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。   

 

朕は国家なり。国を愛せ。朕をも愛せ。個人崇拝・権威主義者より。  

「中国には地球の人口の約6分の1の人が住むが、実際は秦朝時代から中国はずっと『1人』しかいない、驚くべき専制国家。高速で物を運べる機械のようなものだが、逆に言えばとても危険な機械だ」 艾未未(アイ・ウェイウェイ)   

 

>立憲民主党代表選挙 候補者4 「裏金問題」自民党の対応を議論   

 

>■小泉進次郎元環境相   

>(中国訪問の経験は?)台湾は多くある。   

>自民党青年局長のときに、自民党青年局は基本的に台湾との窓口をやっていたから。   

>中国には当時、私の父が総理で2001年から務めていて、そのときに靖国参拝で大変なこともあり、リスクを取ることは賢明ではないだろうと…。   

>中国には行ったことはない。   

>中国は今、一党独裁から一人独裁になりつつある。   

>トップ同士での会談ができない限り、さまざまな懸案事項に大きな前向きな打開はないと思う。   

>父の純一郎元首相が金正日総書記と会談している。   

>歴史の中で関係を築いた礎の下に、同世代同士で新たな対話機会を模索する。   

 

北朝鮮のロケットマンは同世代の会話を望んでいるのでしょうかね。   

 

>■上川陽子外相   

>安全保障戦略の第一の要諦は外交にあると思っている。   

>抑止力を発揮していくのが大前提。   

>そのためには平和的外交をいかに進めていけるかが問われている。   

>日本は伝統的に中東で大変バランスの取れた外交をしてきた。   

 

我が国は中東において平和の使者になれるのでしょうかね。   

 

>■加藤勝信元官房長官   

>日朝首脳会談で拉致問題に答えを出す方針で取り組んできた。   

>時機を見極めて話ができる関係をつくる。   

 

加藤勝信氏の計画は遠大な計画のようですね。   

 

>■河野太郎デジタル相   

>いかに中国の過剰生産問題に当たるか、中国の半導体その他の問題に当たるか。   

>民主主義の国々でしっかりと同じ戦略を持って当たっていくことが、中国に対しての力になっていくと思う。   

>日本はパレスチナの2国家解決にずっとコミットし、いずれ条件が整えばパレスチナの国家承認をすると言ってきた。   

>日本がこの2国家解決にコミットしているというのを今こそ示すため、パレスチナの国家承認をすべきだ。   

>少なくとも在京の公館の地位を高める。   

>それを今こそやるべきではないか。   

 

日本人に意思決定ができるのですかね。優柔不断・意志薄弱ではないですかね。   

 

>■石破茂元幹事長   

>アジアで集団安全保障を模索していくべきだ。   

>国連が機能しない時代にアジアに集団安全保障の仕組みを作るのは喫緊の課題。   

>アジア版NATOの創設を検討すべきだ。   

 

アジアは一つですかね。一つは大東亜戦争の幻ではないでしょうかね。     

 

>日米同盟の対等性は常に希求されるべきものであり、日米地位協定の改定を目指す。   

 

日本人には忖度がある。忖度 (推し量ること) は相手の意思を期待している。だから日本人には自発性が無い。   

求めよさらば与えられん。(自ら積極的に求める態度が必要であるという事。)   

 

>(トランプ氏が米大統領に返り咲いた場合、日本防衛などの条件として在日米軍の駐留経費などの負担増を求められる可能性を問われ)負担増は正当性を持たない。   

>(日本がすでに十分な負担をしており)論理的に数字で説明する。   

>■茂木敏充幹事長   

>アジア版NATOは現実的ではない。   

>欧州と異なりアジアは多様な価値観、体制の国があり、アジア集団安保は現実的ではない。   

 

そうですね。アジアには西洋の哲学体系がない。心ここにあらざれば視れども見えず。   

 

115日の米大統領選で次期大統領が決まれば早期に会談する。   

2025120日の大統領就任式に先立って意思疎通し、日米が共通の認識を持つ状況にする。   

>候補者は総裁選を勝ち抜いて首相に就けば「日本の顔」として外交の舞台に立つ。   

11月にはアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議や20カ国・地域(G20)首脳会議があり、新首相と習近平国家主席が顔を合わせる可能性がある。   

>対等に渡り合える候補は誰なのか、論理構成力、アピール力、胆力などが問われる。   

 

神は死んだ。もはや我々は上からの指導を必要としない。我々は、自分自身の指導者でなくてはならない。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. 

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。思春期の到来とともに言語能力の発達する頃を待ってこの教育は行われる。英文法の中の時制 (tense) を活用して非現実の内容を文に表現する訓練である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供から大人に変わる人間に哲学を獲得させようとする仕組みである。すると浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも英語の高等教育に力を入れることになる。

日本語は現実の内容だけを表す言語である。哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本式の判断だと、見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実ばかりの言葉 (日本語) を話す人が非現実の内容を語る学習をすると常に失敗する。嘘(きれいごと) ばかりを語っていては学習に力が入らない。だから思考停止になっている。それで日本人は相変わらず無哲学・能天気の民となっている。わが国の有権者はあらかた高等教育の真価を体得していない。だから高等教育の無償化は国民の総意が得られない。わが国は英米流の高等教育の導入に失敗し続けているので、何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する親はいない。  

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制の下にある。個人の哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。彼等の出世は高等教育の賜物である。

当の日本人の若者はいまもなお国内の序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。これは日本語文法に階称 (hierarchy) がある為である。’上と見るか・下と見るか’ の判断に囚われざるを得ない。 難関出身者が序列社会でどれほど優位に立つているかの話ばかりで持切りである。それで入試地獄が存在する。世界に関する注意力の不足で日本人は井の中の蛙になっている。国際社会で印欧語族の知識人を相手にして苦戦を強いられることになる。  

 

>■筆者プロフィール:八牧浩行   

1971年時事通信社入社。   

編集局経済部記者、ロンドン特派員、経済部長、常務取締役、編集局長等を歴任。   

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日本人は思考を停止している。それで、自分自身の意見を持たない。マスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら情報を流しても、それが社会の木鐸 (世人を教え導く人) の役割を果すことはない。

‘それがどうした、それでどうした’ の問いに答えが出せない。我々日本人は自分自身の見解を述べる訓練をしてこなかった。だから日本人は個人として価値が低い。      

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)