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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

ガチ中華  

2024-10-28 14:28:44 | 文化

>ダイヤモンド・オンライン   >中国人が異民族を「同化」させようとするワケ、日本人とは本質的に異なる頭の中”      >楊海英によるストーリー・   >9時間・   

>気が付けば近所や職場に中国人がいることが珍しくない日本社会。   

>中国人の考え方を知る上で、知らなければならないキーワードが「同化」である。   

>モンゴルに生まれて中国で学び、日本に帰化した著者が述べる、「日中文化の本質的な違い」とは?    

>※本稿は、楊海英著『中国を見破る』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです。   

>町中華から“ガチ中華”へ   

> 数年前から“ガチ中華”が増えたという話を聞くようになった。   

>いわゆる「町中華」が日本人の舌に合わせた中華料理であるのに対して、“ガチ中華”は中国人が好む本場の料理を食べられる店のことをいうそうだ。   

> ブームの火付け役となったのは東京・池袋にある中華店だといわれる。   

>池袋といえば豊島区の大繁華街で、日本を代表するターミナル駅がある。   

>その豊島区に居住する外国人の国籍は中国人がおよそ半数にも上っているという。   

> 東京全体を見ても、20241月時点の都内在住外国人約65万人のうち約40%が中国人(都総務局人口統計部データ)であり、26万人近い中国人が都内に住んでいることになる。   

>これだけ多くの中国人がいれば、昔ながらの町中華ではなく、中華圏の人々が好む味の中華料理店が東京で増えるのは当然かもしれない。   

> いうまでもなく、日本には、古くから多くの中国人が移住してきた。   

>華僑と呼ばれた従来の移住者は、横浜、神戸、長崎といった各都市でチャイナタウンを形成している。   

>つまり中国のローカルルールはチャイナタウンのなかに限定して、地元の日本人とは良好な関係を築くことで共存共栄を望んできたように思う(日本が好きになって、私のように、日本に帰化する人も多数いたにちがいない!)。   

>背後に見え隠れする国家の存在   

> そのように日本のルールを尊重しながら地元社会との間では衝突を避け、静かに暮らしてきた人たちがいる一方で、そうでない中国系の人たちもいる。   

> たとえば、202210月にサンシャイン60のフランス料理店で起きた大乱闘事件は記憶に新しいところだろう。   

>サンシャイン60といえば池袋のシンボルタワーであり、家族連れや中高生も訪れる有名スポット。   

>そのような場所で起きたことは衝撃的だった。   

> また地方の私立高校では、経営難から脱するために、中国人留学生を積極的に受け入れていたら、いつのまにか留学生ばかりの学校になったという例もある。   

> 日本でもようやく経済安全保障推進法が成立したが、中国人留学生を介して、先端技術が流出、漏洩するリスクに対する責任を日本企業が負う時代になっている。   

> さらには、マネーロンダリング、スパイ、日本国内の攪乱といった非合法な行為を目的に入国した中国人が、一般市民が暮らす社会に潜伏していることも否定できない。   

> そうかと思えば、共産党支配に嫌気がさし、純粋に日本で暮らすことに希望をもち、祖国と決別し、移住してくる中国人もいる。   

> そうしたことは何も「中国人」だけに限ったことではないだろう。   

>しかしこと「中国人」に関しては、それぞれの背後に「中国」という国家の存在が見え隠れすることに注意を払う必要がある。   

 

そうですね。漢字圏の人はその外に出るのが難しいですね。あたかも漢字圏は一つの国 (漢字圏=中国) のようなものですね。   

序列人間の日本人が日本人序列に帰属意識を持ち続けるのと同じ様なものですかね。      

 

>日本人にとっては、長年の歴史から身近な存在であるだけに、その本質が見えにくくなっていることに気づかなければならない。   

>「心が異なる」相手は同化させる   

> 紀元前の非常に古い文献である『左伝』(春秋左氏伝)に「わが族に非ざる者は、その心もまた異なる」という有名な言葉が記されている。   

> 要するに、中華以外の人間は心がわれわれと違うので、自分たちとは違う人間だと言っているのだが、これを「異心論」という。   

>その「わが族に非ざる者」に対し、中国がたどり着いたのは「同化させるべき」だという考え方だった(私はこれを「同化論」と呼ぶことにした!)。   

> 欧米でいう「カルチャー」に、「文化」という訳語をつけたのは近世の日本人で、中国語の「文化」は意味がまるで違う。   

>それは、相手を「文明化」させることであり、別の言い方をすれば、「中華化」することだ。   

>つまり中国人(漢族、漢人)と同化させることである。   

>この「中華化」は、「華化」「華夏化」と言い換えることもできる。   

>「華夏」とは、まさしく「中華」そのものを指し、あるいは「中華民族」そのものを意味する言葉だ。   

>異民族を華夏にすることこそ、中国人にとって「文化」だといえる。   

 

そうですね。同文学院において勉強すれば文化人ができますね。それは文化国家の人民に成ることですね。      

 

>漢字圏に生きる日本人だからこそ、見えにくい例のひとつである。   

>中国語の祖型   

> ところが話をややこしくするようだが、最初に「われわれは華夏だ」と称したのは漢人ではない。   

>五胡十六国時代の五胡、つまり万里の長城を越えて南下してきた北方異民族の匈奴(きょうど)と鮮卑(せんぴ)が、自らを「華夏」と呼んだのである。   

> これは1990年代にNHKの後藤多聞氏が、台湾の中央研究院で電子化された漢籍をつぶさに検索したところ、最も古い「華夏」の文字が五胡十六国時代の文献で見つかったことからわかったものだ。   

> 五胡十六国、つまりテュルク系言語やモンゴル系言語を話す匈奴系・鮮卑系の人々が大挙して万里の長城以南の地に入り、互いに融合して共存をめざすなかで、ある種のスローガンとして自分たちを「華夏」であると唱えた。   

> 彼らは長城以南の地に暮らしていた中国人(プロト・チャイニーズ)たちともコミュニケーションをとるため、一種のピジン語(異なる言語の話者間で通じる混合言語)を話すようになった。   

>おそらくは漢語の語彙をベースに文法表現をアルタイ語化した言葉で、それが後に現代の中国語の祖型になっていったと考えられる。   

>つまり中国語とは、諸民族融合の必要性により生まれたピジン語だといえるのだ。   

 

そういう事になりますね。漢字圏はあたかも一つの国家のようなものですね。そこから脱出するのが難しい。         

 

> ちなみに、北方から遊牧民がやってきたことで、それまで長城の南に暮らしていたプロト・チャイニーズはどう対応したかというと、一部は異民族の支配からどんどん南へ逃れ、いわゆる「客家(ハッカ)」となった(どこへ行っても客人扱いされるがゆえに、そう呼ばれるのだ!)。   

>歴史を書き換えたのは漢人である   

> ところで今、私が説明してきた意味での「華夏族」は、自らを漢人と名乗ったか。   

>もちろんそうではなく、もともとが遊牧民であることに誇りをもっていた。   

>祖先が匈奴であることを示す石碑が数多く長城沿いに残っているのは、その証左であろう。   

> つまり、「北方異民族は野蛮人であり、万里の長城の南に入ってきた人々を当時の漢人たちが漢化すなわち文明化した。   

>それゆえに異民族たちは北方からきた民族であることを隠していた」というような現代中国がいう歴史は、後世に書き換えられたものだといえる。   

 

そうですね。   

 

> 歴史を書き換えたのは、いうまでもなく漢人だろう。   

>「中国文化は優れているため、野蛮な遊牧民を同化したのだ」という論理とその実行プロセス。   

>それこそ、中国人にとっての「文化」なのである。   

 

それは中華思想ですね。漢字を介して交流することがそれぞれの遊牧民にとっても便利なことですね。      

 

> 同時に「北方異民族たちは漢化したからこそ華夏と呼ばれるようになった」という見解もあるようだが、これも適切ではない。   

>繰り返すようだが、実際は北からきた異民族らが、長城の南に暮らしはするものの、いわゆる漢人になるつもりはなかったため、新たに華夏と自称したのである。   

>「負け惜しみ」の思想としての朱子学   

> こうした「中国文化が優れているため、異民族は漢化した」という歴史認識が打ち出されたのは主に近代以降で、その祖型は宋代にまでさかのぼる。   

 

漢字は漢字圏内の文化交流に有用ですね。だが、その外に出るのは難しい。     

 

>南宋の儒学者である朱熹が形にしたといわれる、日本人が近世からとくに受け入れてきた朱子学の「負け惜しみ」論がその原型となる。   

> 宋は国力が弱く、モンゴル系の契丹(キタイ帝国)や満洲系の金と軍事的に対抗できなかった。   

>契丹や金と戦って五胡十六国の再来を招くことを恐れたがゆえに、金によって南に追われて南宋を建国したとき、「自分たちは野蛮人と異なり戦いには興味がないが、代わりに文化がある、それゆえに強い」という一種の自己満足、言い換えれば負け惜しみの思想として朱子学が誕生した。   

 

修身斉家治国平天下 (しゅうしんせいか ちこくへいてんか) ですね。[修身斉家治国平天下: まず身を修め、それを家庭に及ぼして家を整え、その後に国を治めて天下を平和に保つこと。   

 

> それが近世に入り、とりわけ満洲人の清朝が崩壊していく過程を見て「満洲人も漢化=漢文化に同化した」という考え方が生まれ、歴史を書き換えるという不合理な仕業が合理的なものへと転換していったといえる。   

>すべては漢人や漢人の文化が優れているという物語を捏造するためである。    

 

自己中心的ですね。それは中華思想ですね。   

中国は中原 (ちゅうげん) に鹿を逐 () う伝統的な覇者の国である。だから、覇者の物語 '三国志' は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。独断専行に陥りやすい。印欧語族のインド哲学を経文 (漢文) に表すことが至難の業であることがわかる。経文など漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。

・・・・・

中華 (ちゅうか)  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]    東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。北狄 (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。   

 

「中国には地球の人口の約6分の1の人が住むが、実際は秦朝時代から中国はずっと『1人』しかいない、驚くべき専制国家。高速で物を運べる機械のようなものだが、逆に言えばとても危険な機械だ」 艾未未(アイ・ウェイウェイ)   

朕は国家なり。国を愛せ。朕をも愛せ。個人崇拝・権威主義者より。 

 

 

 

 

 

 

 


日本経済の衰退  

2024-10-28 10:51:56 | 文化

>東洋経済オンライン   >今こそ言いたい「日本経済を衰退させた真犯人」選挙で日本経済の未来が議論されない異常事態   >野口悠紀雄によるストーリー・   >19時間・   

>総選挙において、日本経済の衰退という本当に重要な経済問題は、論議の対象にならなかった。   

>この背後にある政策の貧困こそが、日本の経済を30年間にわたって弱めてきた基本的な原因だ。   

>昨今の経済現象を鮮やかに斬り、矛盾を指摘し、人々が信じて疑わない「通説」を粉砕する──。

>野口悠紀雄氏による連載第132回。   

>総選挙で論議されなかったこと   

>衆議院選で、経済問題についてさまざまな論議が行われた。   

>【図】日本の1人当たりGDPは見事なまでに右肩下がり   

>自民党は地方創成プランを掲げた。   

>野党からは、消費税の減税や見直しに関する提案が出された。   

>また、さまざまな給付金などの提案があった。   

>ただし、日本経済を長期的な観点で捉え、現在の衰退過程を変える政策は何か、といった議論はほとんどまったく行われなかった。   

 

そうですね。日本人は長期が苦手ですね。   

 

>そもそも、日本経済が長期的な衰退過程にあり、このまま放置すれば、将来に大きな問題が生じるということさえ、論議の対象にはならなかった。   

>日本経済に関する最も重要な問題が、総選挙では議論の対象にならなかったということになる。   

>言うまでもないことであるが、これは今回の選挙の特殊事情ではない。   

>どの選挙においても似たような状況であった。   

>そして、選挙においての問題だけでなく、実際の政策で行われるのが人気取りのバラマキ政策ばかりであり、日本経済を強くするための政策がなおざりにされることの反映である。   

>こうした「政策の貧困」が、日本の経済を衰退させてきたのだ。   

 

そうですね。   

 

>選挙で経済の長期的問題が論議されないのは、そもそも、日本経済の劣化がどれほど重大で深刻な問題であるかが、理解されていないからではないだろうか?   

>そこで、日本経済の長期的な動向を理解するために、図表に、ここでは、1人当たりGDPの日米比の長期的な推移を示そう。   

>これを見ると、日本経済の長期的な衰退が明らかだ。   

>このグラフは、1990年代以降に、日本経済が長期的衰退に陥ったことを示している。   

>そして他方において、1980年代には不調に陥っていたアメリカ経済が、その後IT革命という新しい技術を生み出したことによって力強い成長を続けたことを、雄弁に物語っている。   

>アメリカと比べて5割も豊かだった日本   

1980年代の後半には、日本の1人当たりGDPは、実にアメリカの1.5倍になっていた。   

>これは、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われていた時代のことだ。   

>だが、2023年における日本の1人当たりGDPは、アメリカの約7割程度でしかない。   

>いまとなっては、日本がアメリカより豊かであり、しかも5割も豊かであった時代があったことが信じられない。   

>しかし、このような時代は、実際にあったのである。   

>その後、中国の工業化とIT革命という世界経済の大きな変化によって、日本の相対的優位性が崩され、日本とアメリカの1人当たりGDPの比率は低下した。   

>それでも、2000年における値は1を超えていた。   

2000年は、沖縄でサミットが行われた年だ。   

>日本は、この時、参加国中で最も豊かな国だったのである。   

>ところが、2023年に広島で行われたサミットにおいては、日本の1人当たりGDPは参加国中で最低になってしまった。   

>この20数年の間に、極めて大きな変化があったのだ。   

>しかも、日本の地位の低下は、その後も止まらずに続いている。   

>この状況が続けば、未来の日本は、さまざまな面において、大きな困難に直面せざるをえないだろう。    

1980年代に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称された日本が、その後、世界における地位を下げたのは、1980年代、1990年代に生じた大きな世界経済の構造変化による。   

>なかでも重要なのは、中国が工業化に成功したことだ。   

>そして、情報関連技術において、IT革命と呼ばれる大きな変化が生じたことだ。   

>このいずれに対しても、日本は適切に対応することができなかった。   

>それに加えて、政府の政策や企業が対応を誤ったのだ。   

>つまり、やりようによっては、中国工業化やIT革命に対して、対応が可能だったはずなのである。   

>それだけでなく、こうした条件変化を利用して、新しい経済成長を実現することができたはずだ。    

 

遅かりし由良之助。

 

>そうした対応に実際に成功した国・地域を、いくつも挙げることができる。   

>アジアにおいては、韓国、台湾、香港、シンガポールがその例だ。   

>これらの国・地域は、1990年代頃には1人当たりGDPで日本とは比較にならないほど低かった。   

>しかし、いまでは日本よりも高い。   

>香港、シンガポールは世界のトップクラスになっており、日本はとても追いつかない。   

>韓国や台湾も、最近時点で日本を抜いた。   

>これらの国・地域に共通しているのは、新しい技術やビジネスモデルを導入して、新しい経済活動を展開していることである。   

>これがとくに顕著なのが台湾だ。   

>半導体の受託製造会社TSMCの躍進ぶりは、よく知られている。   

>アベノミクスが日本の劣化を加速した   

>それに対して、日本の地位は、この間に低下を続けた。   

>新しい技術も、革新的なビジネスモデルも現れなかった。   

>こうなってしまったのは、円安や金融緩和といった目先の政策に終始して、新しい技術の開発やビジネスモデルの導入、あるいは人材の育成といった問題をなおざりにしたからだ。    

>本稿の最初で、経済問題に対する最も重要な論点が、総選挙で議論されなかったと述べた。   

>これは選挙においてだけの問題ではない。   

>実際の政策面においても、最も重要な政策がなおざりにされ、円安や低金利などの政策が続けられたからだ。   

>図表1で注意すべきは、アベノミクスが導入されても、日本の劣化は止まらなかったことだ。   

>むしろ、最近の数年間では、日本の低下がより顕著になっている。   

>つまり、アベノミクスは、日本の劣化を加速したのだ。   

 

残念ながら現象論だけではどうにもなりませんね。   

 

>アベノミクスは大規模金融緩和を中心とした政策であったが、それが日本を再生させることなく、かえって衰退を加速したことに注意が必要である。   

>新技術の開発や人材の能力向上といった課題は無視し、ひたすら安い金利で資金を利用可能とし、かつ円安を追求した。   

>それに応じて、日本経済が衰退していったのは、必然であった。   

>アベノミクス見直しを見送った石破首相   

>したがって、本来であれば、今回の総選挙においても、アベノミクスの見直しが主要な争点になってしかるべきだった。   

>実際、石破首相は、かねてアベノミクスの再点検が必要だとしていた。   

>しかし、総選挙ではこの問題を封印してしまった。   

>また、不思議なことに、野党からも、この点についての突っ込んだ議論はなされなかった。   

>金融正常化とは金利を引き上げることであり、それは金利負担を重くすることであり、借入人の負担を重くするから望ましくないという考えが支配的だからだ。   

>実は、低い金利を続けることこそが、日本経済にとっての大きな問題なのだ。   

>しかし、そうした議論はまったく行われなかった。   

>つまり、日本経済にとっての最も重要な論点が、今回の総選挙においては論議されなかったことになる。   

>事態はすでに深刻なレベルにまで達している。   

>それにもかかわらず、政治は、この問題から目をそらしている。   

 

政治家は経済の話が嫌いですね。   

 

>国民も目を覚まさない。   

>この状態を打破するには、いったいどうしたらいいのだろうか?   

 

その答えは経済の専門家に聞くと良いですね。   

弱い企業を淘汰すれば、わが国には強い企業ばかりになりますね。   

我が国の農民は耕作放棄地を作った。わが国に弱小企業は必要でしょうかね。

我が国には人手不足はあっても、頭脳の話は聞いたことがない。これも天下の秀才が揃っているのでしょうかね。   

頭脳不足が起これば人材の引き抜き (headhunting) が盛んになる。

序列に対する帰属意識が薄れて、労働力の流動化が進む。知的外国人の参入もあり、賃金の上昇も可能になるでしょうね。      

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるかもしれませんね。       

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。

「「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」 (中根千絵)    

 

日本人は氏名を正しく (?) 読むことができない。だから役所の書類にはフリガナ欄が設けてある。これをローマ字欄に換えるだけでも国語の改革になる。これは国の指導ですぐにでもできる国語改革である。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)