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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

大下英治氏  

2025-02-24 17:34:27 | 文化

>文春オンライン   >「おれはやくざ者だ」「オヤジに何かあったら体をかけて守る」伝説のヤクザ 稲川聖城と 日本一の右翼 児玉誉士夫の深すぎる関係性   >大下英治によるストーリー・  >22時間・  

2人は睨み合い、ひと言も発しなかった」“日本一の右翼”と“伝説のヤクザ”がついに初対面…児玉誉士夫と稲川聖城の“関係”が深まったきっかけ 〉から続く   

> 昭和最大の黒幕として、政界や経済界に絶大な影響力を誇った児玉誉士夫。   

7歳で母を亡くし、関東大震災で父を亡くして孤児となった児玉は戦前、中国・朝鮮半島で暗躍。   

>戦後は自民党創設にも関わり、ロッキード事件で倒れるまで日本の政財界に影響を持ち続けた。   

>「事件の陰に児玉あり」と言われるほどの影響力があった児玉誉士夫とは、いったい何者だったのか。   

>ここでは、児玉の生涯に迫った大下英治氏の著書 『児玉誉士夫 黒幕の昭和史』 (宝島社)より一部を抜粋。   

 

日本の政治家は無哲学・脳天気ですから、黒幕の影響力は政治家同様に大きいですね。   

 

>“日本一の右翼”児玉誉士夫と、稲川会“伝説のヤクザ”稲川聖城の関係を紹介する。   

>◆◆◆   

>「おれは、ヤクザ者だ」ロッキード事件後、稲川が児玉の家に顔を出さなかった理由   

> 戦後最大の疑獄事件といわれたロッキード事件で児玉誉士夫の名があがったとき、稲川会総裁になっていた聖城は、いの一番に児玉邸に駆けつけたい思いにかられた。   

>稲川にとって、ロッキード事件と児玉とのかかわりは、まったく寝耳に水であった。   

> 稲川は、稲川会本部の奥の会長室で、理事長の石井進ともども見舞いにいくべきかどうか、迷っていた。   

>世田谷区等々力の児玉邸に押しかけては、マスコミの餌食になる。   

>〈おれは、ヤクザ者だ〉   

> そのおれが、このような事件のさなかに真っ先に児玉邸にいけば、マスコミは、児玉とおれとの関係をまるで鬼の首でも取ったように書きたてるにちがいない。   

>児玉にとって、不利な展開になることになる。

>〈おれが見舞いにいかないほうが、かえって親孝行になる〉   

> 稲川は、事件のほとぼりが冷めるまで、児玉邸には顔を出すまい、と心に決めた。   

> ただし、稲川は、児玉邸に電話を入れた。   

>秘書の太刀川恒夫が出た。   

>稲川が昭和35年の60年安保の後、児玉邸に単身乗り込んだとき、案内したのが秘書の太刀川だった。   

> 当時は新入りの秘書であった。   

>昭和38年から41年までの4年間は、のちに総理大臣になる中曾根康弘の秘書として修業し、この当時はふたたび児玉の秘書に戻っていた。   

>児玉に電話して「世間でどういおうと、オヤジを信じています」と伝えたら…   

> 太刀川が児玉に稲川の名を告げると、児玉がすぐにかわって電話に出た。   

>稲川は、児玉の体の心配をまずし、元気であることを確認すると、児玉にいった。   

>「オヤジ、世間でオヤジのことをどういおうと、おれは、オヤジを信じています」   

 

そうですね。かつて日本は必ず勝つと言ったようなものですね。盲目の判断結果がひっくり返らぬといいですがね。      

 

> 稲川は、児玉とは稼業がちがっていた。   

>雲の上でおこなわれている政治の世界のことは、まったくわからなかった。   

>ただ、政治には裏の裏があることはわかっていた。   

>単純にとらえることのできない複雑な世界であることもわかっていた。   

> 児玉は、少し気分の晴れたような声でいった。   

>「稲川君、心配かけてすまないね……」   

> 稲川は、児玉にいった。   

>「オヤジ、おれにできることがあれば、何でもいってください」   

 

そうですね。これが手柄を立てるチャンスでもありますね。  

 

> これからも、児玉の命をねらう者がいるかもしれなかった。   

>稲川は、児玉にどういうことが起ころうと、体を懸けても守るつもりであった。  

 

そうでしょうね。自己の序列に対する滅私奉公は序列日本人の鑑ですからね。

理性判断 (rational judgement) というものがない。これが序列社会の情けなさでしょうね。      

 

>「稲川君、本当にありがとう」   

> 稲川は、電話を切るなり、石井に命じた。   

>「オヤジも、これからは何かと大変だろう。   

>毎週、日を決めて、必ずオヤジのところに何か届けろ」   

 

そうですね。付け届けが一番分かりやすいですね。   

 

>(大下 英治/Webオリジナル(外部転載))   

 

我が国の日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答を出せる編集者が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。高等教育機関において自己の個人的見解示せば学位 (博士号など) が得られる。だが、自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走に迷走を続けて、いつまでたっても国家目標に到達しない。だから、わが国の政治家は若者にも夢と希望を与えない。    

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)