>■形骸化した大学教育と、、、、、、
>そもそも、大学が果たすべき役割が明確に定義されていないんですよ。
大学は、’考える人’ を作る所でしょう。
>先ほどもお話ししたように、現状の教育システムだと、大半の子供は思考停止したまま目的もなく大学に進学することになります。
そうですね。現実の内容には、唯一の正解がある。現実の内容が人により一致しない場合には、事実関係調べをして、唯一の正解を求めることになる。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。そして、非現実 (考え) の内容には、多数の正解がある。
矛盾を含んでいない文章は、すべて正しい考えを示している。考えの内容は人様々であるから、正解は一つではない。正解は、多数ある。多数の正解があることは、それぞれの個人に個性が存在することを示している。
多数の正解があれば、その実行に選択の余地ができる。だから、我々は、一人一人が正しい考え方の練習をする必要がある。この目的のためには、英米流の高等教育が役に立ちます。成功すれば、哲学博士 (Doctor of Philosophy: Ph.D.) の称号まで得られます。
しかし、この方法に日本人が失敗するのは、思考停止があるからです。自己の哲学を作り上げるのではなく、西洋の哲学者の内容を暗記して受け売りの専門家になることであると勘違いするからです。思考停止の状態では無理もない。日本人には、この道しかないからです。
矛盾を含む文章も、その矛盾を取り除けば、正しい考えとなる。だから、正しい考えを得るためには、対話・議論が役に立つ。我々は、正しい考えを得るために、これらの方法を大いに活用しなければならない。
非現実の内容は、時制のある文章により表される。時制のある文章は、それぞれ独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) を表すことができる。それぞれの世界は、果てしなく内容の展開が可能である。だが、人生の始まりにおいては、これらの世界は皆が白紙の状態である。この白紙の状態は、誰しも気になる所である。だから、人は思春期になると ‘考える人’ になる。そして、自分自身の内容でその白紙の状態を埋めて行く。これが、各人の世界観 (world view) である。自己の世界観 (非現実) に基づいて現実の内容を批判すれば、その人は批判精神 (critical thinking) の持ち主になる。だから、各人に、哲学 (考え) は必要である。Everyone needs a philosophy. 考えのない個人は、無哲学・能天気の人にとどまる。
>学生側に目的がないので、教授側も何を提供すればいいのか分からない。>大学が何を学ぶ場所なのか、定義づけができていないことが問題だと思います。
大学は、考えることを学ぶところではありませんか。
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