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西洋思想からの脱却

2019-04-22 19:22:53 | 哲学



>.前回参加した実現塾では「近代観念の弊害」のみならず「観念そのものの持つ危うさ」についても追求が及んだ。>確かに言葉は現実を固定するのに便利な手段だが、言葉化されたとたん、現実との乖離が始まる。

そうですね。言葉は、現実をとらえられませんね。
現実の内容は、頭の外にある。見ることができる。見ればわかる。考える必要は無い。
非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。見ることができない。単なる話しである。話の内容を理解するには、文章の内容を理解しなくてはならない。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。
矛盾を含まない文章は、全て正しい考えを示している。だから、正解は一つではない。人さまざまである。
矛盾を含む文章も、その矛盾を取り去れば、正しい考えとなる。だから、対話・議論は、正しい考えを得る手段として重要である。
非現実 (考え) の内容を文章にするためには、文法に時制 (tense) というものが必要です。
時制のある文章は、非現実の独立した三世界 (過去・現在・未来) を表します。インド人なら、前世・現世・来世ということになるのでしょう。
全ての非現実 (考え) の世界は、現実とは乖離していますね。両者の所在が違います。現実の内容は頭の外、非現実 (考え) の内容は頭の中に存在しますから。
日の下に新しきものなし。現実は、進歩しない。だが、非現実 (考え) は、進歩する。人間は自分の考えを改めることができるからである。

>日本神道の「言挙げせず」、仏教の「空」、いずれもが「観念」が「縁起=事象のつながりの中でどんどん変化していく現実」と遊離していくことへの戒めを含んだ認識論である。

日本語は写生画の言葉ですから、その内容は時時刻々と変化しますね。その正解は、唯一です。描写した現実と目の前の唯一の現実との乖離は避けられないでしょう。現実を語る者は、事実を語っても、真実は語らない。
山本七平は、<ある異常体験者の偏見>の中で、絶対化について述べています。「日本軍が勝ったとなればこれを絶対化し、ナチスがフランスを制圧したとなればこれを絶対化し、スターリンがベルリンを落としたとなればこれを絶対化し、マッカーサーが日本軍を破ったとなればこれを絶対化し、毛沢東が大陸を制圧したとなればこれを絶対化し、林彪が権力闘争に勝ったとなれば『毛語録』を絶対化し、、、、、、等々々。常に『勝った者、または勝ったと見なされたもの』を絶対化し続けてきた―――と言う点で、まことに一貫しているといえる。」(引用終り)
時制のある文章は、非現実の内容を表します。未来の世界に関しては、’あるべき姿’ を語ることも可能です。英語には時制があるが、日本語には、それがない。
不動の内容を示さない人間には、信用がない。民信無くば立たず。
‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)

>潜在思念と一体となった東洋的思考の重要性を再認識していたところ、以下の「国際秘密力研究」というブログの認識論が目についた。
>「奥の院」は人々を「近代思想や宗教」を道具として使い、人々を思考停止させ、対立させ、支配していると分析し、そこから脱出するためには、「はじめにコトバありき」の西洋思想からの脱却が不可欠であると説く。

日本人は、現実オンリーの中に住んでいるので、思考は必要ありませんね。現在、日本人は、西洋思想からの脱却状態にあります。すなわち、無哲学・能天気の状態です。
一方、英米人は、非現実 (考え) の中で思考停止することは、非常に難しいことです。彼らは、大人になると ‘考える人’ になります。

>全く賛同する。

’奥の院’の見解には、賛同できませんね。’奥の院’は、世界の孤児になるのではないでしょうか。

(略)





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