>毎日新聞 >「熊本から平和伝える意味実感」ノーベル賞授与同行の高校生大使 >毎日新聞によるストーリー・ >11時間
> ノルウェー・オスロでの日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞授与に同行した高校生平和大使の九州学院高2年、島津陽奈(はるな)さん(16)が18日、熊本県庁を訪れ「被爆地ではない熊本から平和について伝える意味を感じる機会になった」と帰国報告した。
> 島津さんは県庁で木村敬知事を訪問。
>現地での様子を映した写真を示しながら、地元の高校生とのディスカッションを通じて得た気づきや、授与式で被爆者の話に涙を流して聞く人の姿に「被爆者の証言は聞いている人の心を動かすのだと感じた」と語った。
>木村知事は「被爆地ではない熊本からメンバーに選出され、大役を果たしたことを誇りに思う」とねぎらいの言葉をかけ、「今回の活動や、実体験として得た気づきを、ぜひ若い同世代に伝えていってほしい」と激励した。
> 高校生平和大使としては、島津さんのほか長崎、広島両県の高校生計4人が参加。
彼女たちを見ると当時の少年兵を思い出す。彼等彼女らの結果は如何に。今も昔も大人の役割は何であったのか。
>被団協の授与式参列メンバーとは別行動だったが、授与式では会場入りしてスピーチを見守ったほか、現地の高校で原爆被害を伝える出前授業やノーベル平和賞に関連する展示を見学したという。
高校生平和大使は核兵器についてばかり現地で話したのですか。
「アメリカがあのタイミングで原爆投下して、どれだけ破壊力があるかを世界中に知らしめられたことで、冷戦中の核兵器使用が防がれた。世界の滅亡を避けられたじゃないか。大体、日本は被害者なのか。
ユダヤ人大虐殺をしたドイツと連盟を組んで、他のアジアの国にもひどいことをしたじゃないか。それでいて第二次世界大戦といったら原爆投下の被害ばかり語るのっておかしくない? そもそも戦争中っていろんな国がめちゃくちゃひどいことをしたわけだから、日本が、日本が、って核兵器についてばかり言うのはおかしいと思う」 (あるアメリカの学生)
>今回の派遣の報告会を開くなどして活動していくという。
>【山口桂子】
我が国の日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答を出せる編集者が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。高等教育機関において自己の個人的見解示せば学位 (博士号など) が得られる。だが、自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく: 世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走に迷走を続けて、いつまでたっても国家目標に到達しない。だから、政治はわが国の若者にも夢と希望を与えない。
日本文化の特徴は形があって内容がないことである。世界観 (非現実) の内容がないからそれだけ余計に形 (現実) に強くこだわることになる。この傾向は、わが国に改革運動の必要な時に改革が進まない原因にもなっている。
内容を言って聞かせても日本人は受け入れる気配はない。思考していないから、形に拘る日本人の態度は筋金入りとなっている。哲学と宗教の理解が難しいのはこれらが非現実 (考え) だからである。日本語は写生画の言葉であるから、非現実は写生の対象には成らない。だから、日本人の口から考えは出てこない。
印欧語族の人は考える。だから、彼らの系統的な考えは哲学になる。西洋人の考えはスコラ哲学になり、インド人の考えはインド哲学になった。意思があり、加害者意識があり、罪の意識があるので病める魂の持ち主も存在する。悩める魂の救済方法として釈迦は涅槃を教示し、ジーザスは贖罪を教示した。
日本人は無心である。意思がなく、加害者意識がない。あるのは被害者意識ばかりであるから実に恨めしい世の中になっている。罪の意識がないから、悪びれた顔をする人もいない。皆が天真爛漫な顔つきになっている。病める魂の救済を求める人もいない。だから、キリスト教も仏教も民の中にはない。わが国では、印欧語族の哲学と宗教には関係なく、新興宗教が盛んになっている。
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