>346392 個人主義社会は、自分自身を省みる機会も能力も無い、「唯我独尊」の人間を大量生産する >別所彦次郎 19/06/01 AM09 【印刷用へ】 >Books&Apps( リンク )より引用 > ***
>■個人主義社会は、自分自身を省みる機会も能力も無い唯我独尊の人間を大量生産する社会
考える習慣のない社会の個人主義は、守るべきもののない主義でしょうね。
> 私たちは今、相互不干渉が通念として定着した、誰かに叱られたり注意されたりしにくい生活空間で暮らしている。 > 赤の他人から叱られる機会は非常に少ない。
そうですね。日本人の社会には批判精神 (critical thinking) というものがないですからね。批判精神は個人に対する干渉になりますね。
日本人には現実ばかりがある。非現実 (考え) の内容というものがない。
‘現実’ 対 ‘現実’ の比較結果は序列判定になる。これにより日本人の社会は序列社会になっている。
‘現実’ 対 ‘非現実’ (考え) の比較結果は批判精神になる。非現実の内容は考えの内容であって、’あるべき姿’ (things as they should be) を示している。現実を捨ててあるべき姿を採ることにより人類の進歩が期待できる。しかしながら、非現実の内容を文章 (考え) にするためには文法に時制 (tense) というものが必要である。残念ながら、日本語の文法には時制というものがない。だから、日本人は現実のみを考える。別世界への飛躍が考えられないので閉塞感に苛まれることがしばしばである。 Google, Apple, Facebook, Facebook, Amazon の各社は、別の世界に旅立つことを決意した。
>近所の人や地域の人から「おまえ、そんなバカなことやってどうすんの」などと言われる筋合いなどどこにも無くなった。
考えそのものがないのであるから、議論にもならない。何事も、お変わりのないのが良いことで。
> 万が一そのように言われたとしても、「どういう筋合いでお前はそういうことを言っているのか」と反感が先立つのがおちである。
そうですね。’問答無用・切り捨て御免’ ですね。
>そして年を取り、何らかの地位に就いていれば、ますます叱られにくくなり、注意も忠告もされなくなる。>コミュニケーションの失敗確率が高くなるような言動を繰り返していても、面と向かってそれを注意してくれる人はそういない。
そうですね。’叱ってくれる人もなし’ ですね。停滞は避けられませんね。
>「お互いに争わない」「お互いのストレスを回避する」といった言葉は、相互不干渉を貫く恰好の大義名分になる。
何せ、考えることは骨の折れるとですからね。無哲学・能天気が社会の基本ですね。
> 家族や兄弟ですら、3度も言って変わらなければ「もう言うだけ無駄だからなるべく離れて暮らそう」になってしまうし、一人暮らしをしている場合などは、誰も! 本当に誰も! 自分を叱ったり注意したりしてくれない。-
日本人には、批判精神がないですからね。現実からの脱出は不可能ですね。
> 相互不干渉を是とし、お互いのしがらみを最小化し、アトム化した個人主義者として皆が暮らしていく社会ができあがったことによって、私たちは、他人から叱られる・注意される・忠告されるといった学習ルートを失ってしまった。
> 失ったと言って言い過ぎだとしたら、「そういう学習ルートが希少になった」と言い換えていただいて構わない。
問答無用ですね。序列の絆を失えば、序列協力もできなくなります。これは、海外に移住した日本人と同じ状態です。
>そのような社会では、むやみに争うこともないし、ストレスも回避できる一方で、自分自身の言動のまずい点を省みる力が乏しければ自分の言動が改められない。> 信頼できる他人から叱られたり注意されたりすることもなしに、自分自身の言動を省みるのは非常に難しい。
そうですね。日本人には、批判精神がないですからね。序列に基づく協力が頼みの綱でしたね。
>そして自分自身の言動を省みることに慣れていない人は、かりに誰かから何かを言われても、えてして自分自身の言動を省みない。
そうですね。思考停止の状態ですからね。第二の天性のようなものかな。
>だとすれば、この相互不干渉の浸透した個人主義社会は、自分自身を省みる機会も能力も無い唯我独尊の人間を大量生産する社会、になってしまっているのではないだろうか。
無哲学・能天気の社会では、相互干渉はあって不要なものですね。お釈迦様だらけの世の中か。個人の考えを守るための個人主義でないと良くないですね。
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