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呉座勇一氏  

2022-11-09 14:23:29 | 文化

>『武士道が日本経済の足を引っ張っている』呉座勇一が気づいた日本人の欠点   > 日刊SPA! 2022/11/09 08:51  

>売り上げが見込みにくいとされる歴史書の分野において、著書『応仁の乱』が48万部を超える異例のベストセラーを記録した呉座勇一氏。   

>最新刊の『武士とは何か』では、武士の「名ぜりふ」から彼らの精神性を読み解くという新たな試みを行った。   

>「今回の挑戦の動機は、ライフネット生命保険の創業者で、実業家でもある出口治明さんとの対談です。   

>『日本人は江戸時代の武士を模範としているから、内向的で海外に後れを取るのではないでしょうか』と質問され、ハッとしました。   

 

日本人には世界観がないから、目先・手先の事柄にしか気配りができませんね。外向き姿勢にはなれませんね。   

 

>一般的に武士といえば忠誠心に厚く、和を尊ぶ存在だと考える人が多いでしょう。   

>しかしこのイメージは、平和な江戸時代に生きた武士たちの価値観でしかなく、戦国以前の武士にはあまり当てはまりません。  

 

そうでしょうね。   

 

>むしろ正反対といってもいい。   

>そんな中世武士の性質を抜きにした“武士道”を日本人の国民性と捉えてしまうと、組織に埋没しやすい性格に育ってしまいますし、イノベーションにも消極的になりやすい。   

 

日本人には意思がない。受動があって能動がない。だから、指示待ち人間になっている。社畜のようなものか。     

 

>これは日本の未来にとっても良くない傾向だと思ったんです」

 

そうですね。未来社会の内容を想定できない日本人は良くないですね。    

 

>◆中世武士の精神は「個人主義」だった!?  

>普段は言及されることの少ない中世武士の本質を多くの人に伝えていきたいという呉座。   

>彼らの精神性とはどういったものだったのか。   

>「自分がどうしたら輝くかを重視する、かなり個人主義的な人々でした。   

 

そうでしょうね。   

 

>生涯同じ主君に尽くすという発想もありません。   

>自分の魅力を発揮できない環境ならすぐに主君を代えますし、チャンスがあるなら独立だってします。   

>自分らしさや自分の価値の最大化を追求し、良い意味で自分主体。   

 

そうですね。自己実現の可能な時代でしたね。    

 

>そんな彼らの姿勢はベンチャーマインドとも重なり、中世のように予測不可能な時代の今こそ見直されるべき存在かと思います」   

 

中世は正解のない世の中ですね。現在も正解のない時代ですね。      

 

>◆武士道=忠義という考え方が広まった理由   

>終始にこやかな面持ちで、日本史のインタビューに答える呉座氏。   

>武士道=忠義という考え方がここまで広まった理由は、昭和との相性がよかったからだと呉座氏は分析する。   

 

江戸時代には礼儀作法として序列作法が普及しましたね。  

 

>その真意とは?   

>「平和な江戸時代には、個性の突出よりも組織への順応が重視されました。   

 

序列順位の設定には没個性の比較であることが前提になりますね。オリンピック競技のような結果では人間序列は作れない。   

 

>これがアメリカの保護や終身雇用制度により流動性の乏しい昭和とぴったり重なり、格好のモデルになったのだと思うんです。   

 

そうですね。日本人の無意志・能天気が非流動性の日本人社会にぴったりでしたね。   

 

>さらに昭和は右肩上がりの時代ですから、『日本人には江戸“武士道”が合う』という成功体験になってしまった。   

>この経験は時代が変わった今も尾を引いているのではないでしょうか?」

 

そうでしょうね。成功体験からは学ぶところが少ないですね。人々は有頂天になるばかりでしたね。       

 

>◆成功体験を捨てられた伊達政宗のスゴさ   

>過去の成功体験が強烈なあまり、価値観のシフトに踏み切れない現代人。   

 

そうですね。賢い人は「純粋によく観察する」が、そうでない人は「自分の期待したもの」しか見ようとしない。   

 

>呉座氏はこのジレンマを克服した存在として、「独眼竜」の愛称で知られる伊達政宗に注目する。   

>「政宗は若くして東北で頭角を現し、戦国を生き抜いた成功者です。  >しかし江戸時代になると価値観を大きく転換します。   >そのことがよくわかるエピソードがあります。   >政宗は徳川家康の死の間際、謀反の疑いをかけられたことがありました。   >伊達家家中が騒然としていたところ、家康の側室から『一刻も早く弁明したほうがいい』と手紙が届きます。  >謀反の言いがかりに加え、女の勧めで家康に弁明しに行くというのは、武士の常識からすれば耐え難い屈辱。  >家臣たちは猛反対しましたが、政宗は家康のもとへ急行し、必死に弁明して謀反の疑いを解きました。   >ここで名誉や見栄を気にした家臣たちはとても中世武士的で、当時からすれば当たり前の判断。   >しかし政宗ただ一人だけが先の時代を歩いていました。   

 

そうですね。見栄と外聞を気にしていたら自己の個人判断は実行不可能になりますね。政治には時代の先取りが必要ですね。      

 

>徳川の天下が決した今、面目ばかり気にしていては生き残れないとわかっていたのでしょう。   

>自分の名誉や反骨心を捨て、徳川家への忠誠を率先して行った政宗の行動は、江戸の武士らしい価値観を先取りしたものです。   

>政宗の本当のスゴさは、己の成功体験に固執せず、時代に合わせて素早く価値観をシフトさせた、その姿にこそあるのだと思います」   

 

そうですね。自己の成功体験に固執しないことが大切ですね。同じ柳の下の泥鰌はいないといいますね。   

 

>バイタリティに溢れ、激動の時代を戦い抜いた中世武士たちの名ぜりふから、我々も現代を切り開くヒントを得たいところだ。  >武士たちの名言から、彼らのメンタリティを読み解き、日本人の核心に迫った意欲作。 >【歴史学者・呉座勇一】   >80年、東京都生まれ。   >専門は日本中世史で、『応仁の乱』(中公新書)や『戦争の日本中世史』(新潮選書)など著書多数。   >最近では自らの知見を活かした知的言論YouTubeチャンネル「春木で呉座います」でも精力的に活動   

>取材・文/齊藤颯人 撮影/清水将之   

 



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