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昭和8年  

2025-03-08 14:06:08 | 文化

>現代ビジネス   >昭和の日本は、じつは「昭和8年」に「大転換」を迎えていた…「昭和史のエキスパート」がそう考える理由   >講談社文庫出版部によるストーリー・   >6時間・   

>疫病、戦争、独裁的な政治……2020年代の世界は混乱を深めています。   

>いままさに進行中のさまざまな出来事をどう考えればいいのか、少し引いた目線で考えたいという人も多いのではないでしょうか。   

>そうしたときに役に立つのは、なんといっても「歴史」です。   

>ノンフィクション作家の保阪正康さんは、その長いキャリアなかで多くの時間を割いて「昭和史」を取材し、多数の作品を世に問うてきました。   

>なかでも多くの読者を得たのが『昭和史 七つの謎』という著作です。   

>資料の山に分け入り、昭和史の深層を描く『昭和史 七つの謎』からは、昭和史についてのさまざまな学びを得られます。   

>たとえば、保阪さんは、昭和8年に、大きな時代の転換のようなものがあったのではないかと言います。   

>その転換とはどのようなものだったのか。   

>『昭和史 七つの謎』より引用します(読みやすさのため、改行などを編集しています)。   

>***   

>昭和八年(一九三三)年から、昭和の歴史は大きく様がわりしてしまったのではないか。   

>「動機が至純の情にみちていれば行為が善か悪かは問わない」「自分の論がいれられなければ他者とはコミュニケーションをもたない」といった理性、知性の放棄、感情の発露のみが先行する社会。   

>外国を恐れる恐外病、その裏返しとしての外国蔑視の支配する国家。   

>そして軍事のみが国家を支えるのだという歪んだ感情の時代。   

>そういう社会と時代の波は昭和八年から始まったのではなかったか。   

>昭和八年七月二十五日から九月十九日まで、五・一五事件に参加した陸軍士官学校候補生の裁判が陸軍軍法会議で開かれた。   

>五・一五事件とは、昭和七年五月十五日に国家改造運動(具体的には軍部主導政権をめざす運動といっていい)の渦中にいた海軍の青年士官らと陸軍士官学校候補生、それに農村有志(茨城県水戸市にある橘孝三郎の農本主義団体「愛郷塾」の塾生)が、東京市内で決起行動を起こした事件である。   

>中心人物は、首相官邸を襲い、犬養首相を暗殺した。   

>いってみればこれは単なるテロ事件ということもできたが、これを機に日本は議会政治が機能しなくなり、軍部が主導権をもつ時代となった。   

>この事件の陸軍側の参加者十一人が軍法会議にかけられたのである。   

>ふつうならこのようなテロ事件は、加害者が断罪されるはずだった。   

>しかし、陸軍士官学校候補生の軍法会議は異様な裁判であった。   

>七月二十五日から、前述のように九月十九日の判決言い渡しまでつごう八回にわたって開かれたこの軍法会議は、一般にも公開され、傍聴席には回を重ねるに従い、傍聴人が長蛇の列をつくるようになった。   

>法廷では、まだ二十歳になったばかりの被告たちが、「自分たちは信念に従い行動したのだから死はすでに覚悟のうえ、いまさら弁護の力を借りて生き長らえるつもりはない」とか「支配階級は一君万民の大義に背き、農村の疲弊を放置し、国民精神を退廃せしめてついには皇国の精神を危くする」とつぎつぎと涙ながらに陳述を始めると、判士(裁判官)も泣き、検事側の軍人も泣き、これを報じる新聞記者も、そして傍聴席もまた泣いた。   

>司法担当の記者たちは、「こんな感激にみちた公判に立ち会ったことはない」との記事を書いたのだ。   

>「公判前までは(減刑嘆願運動は)愛国団体以外には殆んど見るべきものが無かったが、公判半頃より陸軍の論告求刑を境として、つひに大衆運動と化した。    

>そして判決の九月十九日までに三十五萬七千餘通の嘆願書と、奇しくも被告の人数と同数の十一本の指が公判廷へ運び込まれたのである」(「五・一五事件の人々と獄中の手記」『日の出』昭和八年十一号附録)   

>それほどこの減刑嘆願運動は広がりを見せた。   

>陸軍側の被告たちの判決の日には、からひとりの老婦人が起ちあがって、「裁判長さま、どうかお情けのある判決を……」と涙声で訴えた。   

>弁護士のひとりも弁論のなかで、「承るところによれば、判士諸公はいつも閉廷後、別室に退かれたとき、体をふるわして泣かれたと聞く。   

>傍聴席にも嗚咽の声あり、国民皆又泣く… …」といって涙をふいたというのだ。   

>陸軍士官学校候補生たちは純情 心無垢だと新聞記者たちは一様に書いた。   

>軍人の卵としてキビキビした行動をとり、欺瞞も駈け引きもなく、「赤裸々に吐露する態度を見る時、たゞわけもなく涙ぐませるものがあった」と前出の『日の出』の附録にも司法記者の一人が書いていた。   

>彼らはテロ行為の加害者であるにもかかわらず、その判決は一律禁錮四年である。   

>求刑は禁錮八年だったから半分ということになる。   

>(中略)   

>五・一五事件の被告への同情、そして減刑嘆願運動は、どうあれ、「動機が正しければ何を行っても許される」という国論を生むきっかけになった。   

>至純の情こそが尊い、無私の精神に優るものはないというのだ。   

 

人々は誰もが泣きの一手ですね。日本人には理性が無いのですね。      

各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. 欧米人は哲学と意思により人間の行動を説明する。日本人には、哲学と意思がないので、人の行為を ‘建前と本音’ を使って説明する。建前は ‘口実・言い訳・言い逃れ’ である。本音は、’私意・我儘・身勝手’ である。非現実 (考え) の内容がないから、現実の中に人間の行為がうずもれてしまい低俗な感じは避けられない。

我が国では、恣意 (私意・我儘・身勝手) を鍛えて意地・根性・大和魂とする。 そして、恣意を意思の代わりに利用する。日本人は意思決定 (理性判断) の代わりに恣意決定 (盲目の判断) をする。恣意決定は気合と根性による決行である。  

意思に関する討論の代わりに、恣意に関する腹の探り合い (談合) をする。意思疎通の代わりに、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) をする。意思は未来時制の文章内容になるので意味があるが、恣意はバラバラの単語 (片言・小言・独り言) のままで存在するので意味がない。だから行為の説明責任は取れない。理由なき反抗のようなものになる。 そして皆の前で泣いて見せる。それが浪花節になる。これは日本人の伝統と言うべきものであり、何の疑念も生じない。    

 

>***

 

日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答えを出せる人が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。自己の見解を示せば学位 (博士号など) が得られる。自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走し続けて、いつまでたっても何処にも到達しない。だから、若者にも夢と希望が無い。

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

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