>■選別・品定めという愚行
> 学校ではテストの点や成績の状態、教師の命令に忠実に従っているかどうかなどで「良い子」「悪い子」という判断が下されます。
そうですね。子どもを対象にした ‘上と見るか・下と見るか’ の判定が行われていますね。
>しかし、これは本来とても馬鹿馬鹿しいことです。
そうですね。日本語の階称 (言葉遣い) に操られた行いですね。
>本来ならば学習の成功とは、学生ら全員が学ぶ事の楽しさや大切さを見出し、子供たち1人1人に自ら進んで学習する意欲を持たせることが最も重要なはずです。
そうですね。個人の個性を伸ばすことが重要ですね。
>しかし、頭が良い子だの悪い子だのというレッテルを学校が貼り付けていれば、学校に反感を抱く人間ばかりが出てきてしまう流れは必然だと言えます。
個人の尊重に欠けていますね。
>それなのになぜ学校という場所では「クラス分け」や「成績による分別」などで子供たちが差別されているのでしょうか。
授業の進行についてゆけない子どもが出ると学校が困るのでしょうね。
>私はこれが物凄くおかしなことだと思うのです。
そうですね。個人の尊重になっていませんね。
>■学生(子供)に等級付けなど必要ないはず
>確かに、一般企業などではこの等級による区分け・格付けというのが有意義になっていることも多いと思いますので、一概に全てを否定するつもりは全くありません。>そこに意味と価値があるのであれば、ランク付けなども別に存在してもいいと思います。
そうですね。スポーツ界にもランクがありますね。
>しかし、学校においてはそんなことをする必要性があるのかというのが私の考えです。
そうですね。子供個人の育成が大切ですね。
(略)
>よく言われるのが「競争させて他者に勝とうとすることで学力を上げさせるのは大切じゃないか」 ・・・という意見です。>勿論、考え方は人それぞれですからそうした考え方の人は別にそれはそれで言いと思います。
問題は、この国中の皆が教育とは人間の格付けと思い込むことでしょう。
>しかし、長年国際学力ランキングで世界第一位だったフィンランドなどをはじめとして、テストなどで競争させずに優劣を競わせないという方針を取り入れている国だって存在します。>それならば、学校において競争を強制させる意味など本当に有るといえるでしょうか。
序列の順位を争う励みは、我々の日常生活にも通じていますね。
> 私自身はそうではありませんでしたが、テストでいい点を取らなければ両親に酷い文句を言われて殴られるという家庭も存在するという話を聞いたことがあります。>こんなことが未だに起こっているとすれば、子供があまりにも悲惨です。
そうですね。両親の子供の教育に対する無理解ですね。子供個人が無視されていますね。テストは、序列社会形成の手段でしかありませんね。
>こうした家庭の子供が心の底から何かを学びたいと思えるようになるとは到底思えません。
そうですね。
> 学ぶ事への失敗=恐怖というおかしな図式が出来上がってしまっているのです。
失敗したら笑われる。ただ、それだけですね。
> 日本ではこうした傾向が特に顕著ですが、そろそろ無目的な「競争」から目を覚ますべきではないでしょうか。
そうですね。日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。ですから、’上と見るか・下と見るか’ の判断は避けられません。上下判断に長けていなければ、日本語会話にも不自由することになります。
日本人の礼儀作法も、序列作法になっているので、上下判断をする必要があります。そうでなければ、礼儀正しい日本人に成れません。’人を見損なってはいけない’ という想いは強迫観念の域に達していて、四方八方に神経をとがらせて頑張っています。ですが、’序列なきところには、礼儀なし’ です。何か、おかしいところはありませんか。
> 子供にランクを付けて品定めするという学校の方針が、多くの人々にとってプラスになっているとは私はとても思えません。
そうですね。日本語の特性に人々が操られていますね。我が国の序列社会を維持するための学校による人間序列の作成ですね。
> 卒業してしまえば何の役にも立たない「学校の成績」などよりも、本当に大切にするべきことは他にも山ほどあるはずです。
そうですね。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy. 無哲学・能天気で暮らす日本人は、教養をつけるべきですね。自己判断のできない日本人は、情けない。
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