>朝日新聞デジタル >野田元首相、小沢氏に代表選出馬を報告 小沢氏は来週に態度決定 >朝日新聞社によるストーリー・ >14時間
> 野田佳彦元首相(67)は30日、国会内で小沢一郎衆院議員(82)と会談し、立憲民主党代表選(9月7日告示、23日投開票)への立候補表明を報告した。
>小沢氏は来週、自身が率いる党内グループ「一清会」の会合を開き、代表選への対応を決めると応じた。
派閥政治ですね。
> 代表選をめぐり、野田、小沢両氏は7月に2回会食し、意見交換を続けている。
飲食政治ですね。
>関係者によると、野田氏はこの日、「ご指導、よろしくお願いします」と伝えたという。
>小沢氏は、野田氏が29日に千葉県習志野市のJR津田沼駅前で出馬表明したことについて、「駅頭での表明で、びっくりした」と感想を語ったという。
> 小沢氏はこれまで、野田氏のほかに、枝野幸男前代表(60)や馬淵澄夫元国土交通相(64)、江田憲司元代表代行(68)らとも会談。
立憲民主党の代表選は賞味期限切れの人材ばかりですね。いったんトップを退陣した者が復帰するような組織は硬直しますね。
ましてや枝野や野田は民主党政権を潰した『戦犯』でしょう。日本人には意思が無い。だから、日本人には加害者意識 (罪の意識) がない。深い反省に陥ることも無く何時も天真爛漫としている。そして過ちを繰り返す。
>泉健太代表(50)以外の候補者の中から推す人を決めるとしている。
老人政治ですね。古いものなら何でもある。若者は政治の中心から外れていますね。これでは我が国は時代に取り残されますね。
>(松井望美)
<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)
日本人は思考を停止している。それで、自分自身の意見を持たない。マスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら情報を流しても、それが社会の木鐸 (世人を教え導く人) の役割を果すことはない。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。
何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。
‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)
マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。
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