>■共同で創造する「共創(きょうそう)」
>現状ある多くの仕事は機械によって代行されていくと考えられています。>今の子どもたちは、30年後、僕らが想像もつかない仕事に就いていることでしょう。>これからの社会では、人間にしかできないこと、つまり共同的な創造性が最も大事になっていくのです。
そうですね。人間にしかできないことへの期待が寄せられますね。
>人間は本来、共同的で創造的です。
そうですね。人間は、社会的な動物ですね。
>しかし、現状の教育では、正解がひとつだけで、他はすべて不正解という問題の訓練ばかりです。
そうですね。正解が一つだと採点がしやすいからですね。暗記で正解が得られますね。
>逆に、自由な発想や他人と違った行動は、まちがったものとして矯正されます。
個人の考えが抑制されていますね。極端な場合には、為政者から刺客を送り込まれたりします。
>それによって、無自覚に間違えを恐れ、本来の創造性を失っていっていくのです。
そうですね。為政者と別な考えを持つことが難しくなりますね。
>実際の社会に出ると、正解がひとつだけで、他はすべて不正解だという問題なんてありません。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。
正しい (矛盾を含まない) 文章は、全て正しい考えを示している。だから、正解は一つではない。いくらでもあります。
>そして10年前の正解が、今不正解になっていきます。>他人が喜ぶ新たな解答を創り出すことによって、新たな正解が生まれていくのです。
日の下に、新しきものなし。されど、人は考えを変えることが出来ます。ですから、考えは限りなく進歩します。
>創造性こそが、正解も不正解もない問題を乗り越えていくのです。
矛盾を含んでいない考えは、すべて正しい。正しい考えを創造しようではありませんか。
>そして、現状、テストは個人で受け、個人の能力で評価されます。>知らずに、個人主義を徹底的に叩き込まれているのです。
個人主義は、個人の考えを護るためのものです。現行のテストは、個人の考えを問うものにはなっていません。他人の考えを受け売りのための暗記力のテストです。ですから、没個性の競争です。反個人主義です。
>さらに、現代の多くの人々は、スマートフォンに夢中になっています。>身体は徹底した個人になってしまっていて、共同性を育む機会が減っているのです。
個人同士が’来るべき社会’ に関する内容をスマホで議論しませんね。これは、世界を考えたことが無いからでしょう。個人が ‘宝の持ち腐れ’ になっていますね。
>人間は、自由な他者と共に、身体を動かしながら身体でものを考えています。>そして、人間は、他者と共に創造的な活動によって、この世界を創ってきたのです。
人間は、助け合って生活する動物ですね。大同を考えないと、小異の争いに翻弄されて、新しい社会の建設に協力することができませんね。ですから、無哲学・能天気ではいられません。
>共創の体験こそが、今、人々にとって非常に大事なのではないかと考えています。
そうですね。それには、自由な意見の交換が必要ですね。
>チームラボのアートの「人々の関係性を変化させ、他者の存在をポジティブな存在に変える」可能性にフォーカスを当てることによって、往々にして個人的になりがちな創造的な活動を、他者と互いに自由なまま、共創的な活動に変えることができるのではないかと考えているのです。
未来社会の建設に協力する個人同士になる必要があります。それには、考える人を育成する必要がありますね。考えのある人たちは、自分の意見を交換できます。協力も可能になります。
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