gooブログはじめました!

日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

徳川家康

2018-04-08 05:48:46 | 政治
>アメリカ人の見た徳川家康 ~日本合衆国を造った男・徳川家康~
>アメリカの著名なコラムニスト、マイケル・アームストロングの「アメリカ人のみた徳川家康」(日新報道出版部刊)から家康分析を簡単に紹介したい。

平和の人・徳川家康は、今こそ学ぶに値する男ですね。平和が無ければ、難民が出る。

>彼は徳川家康の成功の秘密を次のように述べている。>要約すると、家康は日本で初めて「大帝国」をつくりあげ、基本理念をはっきりと掲げ、一国の管理運営に成功した偉大な政治家であるという。

そうですね。今こそ世界の管理運営に成功する偉大な政治家が必要な時ですからね。

>その家康が造った「大日本徳川帝国」成功の秘訣を、次の五点に要約して説明している。
>1.小さな効率的政府(徳川幕府)の樹立>家康が造った徳川幕府は、各藩に司法・行政を委ねて一国の独占管理は幕府が掌握し見事な中央集権制度によって効率的に近世社会に変身したというものである。

そうですね。中央政府と地方政府の関係を確立しましたね。地方のことは、地方に任せましたね。

>2.経済の活性化と幕府財政の再建>貿易や金銀銅その他米などの独占によって、家康は国富の増大で財政を安定させた。

幕府は、独占により利益を独り占めしましたね。諸藩も、殖産興業に力を入れましたね。世の中が平和だからこそ専念出来たことです。

>3.力による平和路線の継承>家康の制定した武家諸法度によって、「軍縮条約」を整備し「力による平和」の政策を推進した。

そうですね。力は正義ですね。Might is right.

>4.抜群の統治能力>軍事努力と、管理された幕府の情報収集能力で国内を治めた。

家康は、諸藩に軍備の増強を許しませんでした。隠密がスパイ衛星の役割をしました。

>5.技術革新の積極的導入>製鉄の増産や造船、さらには大砲などの大々的な西洋技術の導入によって、ヨーロッパ諸国と並ぶ技術革新に成功。

我が国には、西洋の技術が導入されました。しかし、科学 (哲学) は無かった。今日でも似たような傾向が続いています。
鎖国のために、国民の意識は時代遅れになりましたね。特に西洋人との付き合い方を学ぶことが出来ませんでした。
日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。
日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。
 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。
 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)

>アームストロングは、日本人が今まで気づかなかった家康の成功の秘密をこのように指摘した。
>家康は戦国時代に終止符を打ち、「平和」をもたらした裏側では苛烈(かれつ)な情報戦によって平和を支えた。>彼は、こうした意義を重視しない家康論は不毛であり、家康の駆使した「諜報戦略」にこそ「家康の成功」の謎を解く鍵があるという。

同感です。彼の全国に放った隠密は、現在のアメリカのスパイ衛星の先駆けのようなものですね。大先輩の家康がいたにもかかわらず、我が国は彼から大切なものを学ばなかった。そして、先の大戦でアメリカとの情報戦に敗れた。

>家康の時代を世界的視野で眺めても、家康に比肩(ひけん)しうる国際的リーダーは見当たらないとまで評価した。

彼は、この世を平和に保ちましたね。力のある者には、権力を与えなかった。権力のあるものには、財力を持たせなかった。今日の世界とは、違っていましたね。

>この点家康の業績について考えると、彼の功績は今日のノーベル平和賞を超えると評価した。

ノーベル平和賞に値しますね。日本は島国だったから、出来たことですかね。

>コラムニストらしい発想とはいえ、家康の核心を鋭く突く内容である。>確かに家康をこのように評価する見方は少なく、これまでの日本人の研究家からは聞いたことはない。

日本人の研究家は、薩長政府の教育方針により徹底的に洗脳されていますからね。鎖国と時代遅れだけを強調します。

>アームストロング自身も、家康のプラス的評価は日本人には今まで少ないと述べ、むしろ欧米諸国、とりわけアメリカ人の間では正当な家康の評価が今始まっているという。

そうですか。遅すぎた感がありますね。

>家康について、彼はまた別の評価を与えた。>それは「関ヶ原の合戦」についてである。>家康の天下統一を形成したこの戦いは、アメリカの南北戦争と同一の意義を持ち、家康の業績はリンカーンと同様であるばかりか、アメリカ独立の父ワシントンや法令の整備をしたジェファーソンというアメリカ三大巨人の業績を、家康は17世紀の「駿府大御所時代」に一人占めにしたとまで言っている。

そうですね。彼は、この国の権力を掌握に成功しましたね。国土がアメリカのように広くなかったことが幸いしたかもしれませんね。だが、彼は民主的ではなかった。

>このことを考えると、USA(アメリカ合衆国)の成立よりUSJ(日本合衆国)の方が早くできたと言うのである。

そうですね。中央政府は、外交と軍事を担当しました。

>アームストロングの家康研究は、多くの外国に残る史料や古記録を基に調査し、日本人のこれまでの家康像を完全に塗り替えた論考といえる。

薩長政府の見解は、我田引水が強すぎましたね。自己の成功に有頂天になりすぎて、後の破たんを来たしたのか。難民の溢れる現代の世界は、家康の平和工作を学ぶ必要があるかもしれませんね。エルサレムは、国連の天領となるか。



.



 



日本式の個人主義

2018-04-07 15:14:58 | 教育


>■「日本式の個人主義」=「selfish(利己的)」(≠「個人主義(individualism)」)
>日本人は「集団主義」の国民性である、という自己認識はどうも誤解のようです。>米国の文化の中で育った人間からすると、組織より個人を優先させる傾向は、欧米人より日本人の方が強いと感じることがあります。

同感ですね。個人がなくて利己がある。他人個人は優先されませんね。

>「日本人の残業が多いのはなぜ?」と私が聞き、ある日本人は「上司や同僚の仕事が終わらない間は帰りにくい雰囲気がある」と答えました。

序列作法に関係が有るのでしょうね。

>私は重ねて聞きます。「じゃあ先に仕事を終えた人がまだ終わってない人を手伝えば良いのでは?」と。>その日本人は「自分の割り当てではない仕事を手伝う例はほとんどない」と言いました。>なぜなら個人主義が浸透しているからで、しかもその個人主義の文化は「欧米にならって始まった」そうです。

昔の日本人は、個人的なことは言ってはいけないことになっていたのでしょう。

>まず、欧米の職場には日本人が言うところの「個人主義」なんていうものは存在しません。>成功している組織では、先に仕事を終えた人間は自然と同僚を手伝います。>仕事の遅れには必ず原因があります。>仕事の分配量に誤りがあるか想定外のトラブルが発生しているかです。>当事者が解決できない問題であれば、周囲の人間が助けなければと考えるのが、チームワークを重視する欧米人の感覚なのでしょう。

そうでしょう。合理的な考え方ですね。

>どうも日本人が使う「個人主義」は、困っている人を放置してそれで良しとする「selfish(利己的)」に意味合いが近いように感じられます。

そうですね。自分の利己主義 (egotism) を正当化するために、日本人は自分が個人主義に基づく行為・態度をしているのであると言い訳しているのですね。

>本来、英語で言う「個人主義(individualism)」の意味とは、集団に所属する一員としての役割や権利を相互に尊重しあう立場のことで、「私利」が「他利」に優先されるというワガママを容認してしまっては成り立たない概念です。

そうですね。恣意 (私意・我がまま・身勝手) は、許されませんね。

>■「暗黙の了解」が個人を組織から孤立させる
>対照的に日本人は互いの常識を「暗黙の了解」で共有できる極めて同質性の高い社会で生きてきた結果、コミュニケーション・コストを軽視してきた経緯があります。

そうですね。高文脈文化 (high context culture) の国民ですからね。重要な事柄であっても言外にしていることがあります。正しい (矛盾のない) 文章と正しい理解を得るための努力に欠けていますね。

>誤った解釈で輸入してしまった「個人主義」という言葉は隣の席で困っている同僚を助けることができないほどに個人を組織の中から孤立させてしまったのではないでしょうか。

日本人には、世界観がありません。ですから、あるべき姿の内容を提示して説得を図ることが難しい。お互いにあるべき姿の内容を共有して協力し合う事が困難な状況にあります。

>一子相伝の技術を「目で盗み」、一人前になるまでに10~20年かかるのが当たり前だった時代は過ぎ去っています。>グローバル社会を生き残るには「暗黙の了解」ではうかがい知れない様々の常識に耳を傾け、自らを改め続けなければなりません。

そうですね。以心伝心・不立文字の世界は過ぎ去りましたね。

>日本式の個人主義はそんなとき、いかにも足かせになる概念です。

そうですね。日本式の個人主義は、自己利益を確保するための主義・主張ですからね。無哲学です。

>新しい仲間が何か相談してきたらどうしますか。 >「自分でやってみろ」と突き放したり、「俺はもっと大変だったぞ」と苦労自慢したりするだけの応対は、仲間のためになるのでしょうか。>チームのためになるのでしょうか。>私には、後進を育てる手間を嫌う、あるいは自らの職域を奪われることを避けるための利己的な応対に感じられてなりません。

そうですね。序列社会 (縦社会) の滅私奉公を続けていては、日本人社会は失速・破綻するでしょうね。



.



実践英語

2018-04-06 14:35:15 | 教育


>まず、日本の英語教育の問題点ですが、恐らく10年前の英語教育と現在の英語教育が極端に変わっていないことだと思います。

英語教育は不変ですね。

>実践的な英語が重要だという声が高いにもかかわらず、いまだに、受験英語が優先さる現状にあります。

日本語教育の場合と同じでしょうね。

>入試英語が実践重視型の英語とリンクしていれば良いのですが、中心はリーディング、ライティング、文法力を測る問題となり、スピーキング、 リスニング力をはかる問題はその次になっています。

そうですね。正統的な言語の教育方法ですね。

>また文部科学省の規制が強く、必ず検定教科書を使わなくてならないのが現状です。

自由に学ばせたら良いですね。文部科学省に指導されなくても、英語の習得は可能であるはずです。

>教科書会社は同じ作成規定(ページ数、単語数など)のもとで教科書を作成しています。>これは自由競争の原理に反し、教科書の質の向上を妨げているように思います。

そうですね。教員の個人的な力量を反映していませんね。文部科学省主導の同次元・序列の競争ですね。

>ネイティブの先生方から、学校で使われている教科書はたいくつだ、というような声も聞きますがどうなんでしょう?

いっそ、ネイティブの先生方に、全てをまかせてしまったら良いでしょうね。授業が退屈でなくなります。

>日本の検定教科書、特に中学校のものは実際の生活に基づいたものではない場合が多く見受けられます。>例えば "Hi , Emi. This is a book." "Yes, Ken. It is a book." と言うような文を見ることがあります。>これは現実の世界で起こりえる会話でしょうか?だれが見ても本は明らかに本だと分かるのではないでしょうか?

学校の生活は、実際の生活にはなりませんね。でも、ネイティブの先生方の教え方は、実際の生活になりますね。

>即使える英語、すなわち実社会でネイティブスピーカーが使うような表現をもっと取り入れなければならないのです。

ネイティブの先生方は、そのような表現を良く知っているはずですね。宝の持ち腐れにならないようにネイティブの先生方を活用しましょう。

>日本の英語教育はどうしても文法中心、書き言葉中心となるので、ネイティブたちからすると、自然な英語ではなく、堅苦しいぎこちない英語に聞こえるのかもしれません。

日本語の教科書も同様な出来具合ですね。特に、日本人は文法の学習を敬遠するようですね。Grammar school は、西洋の伝統ですからね。英会話での、小言・片言・独り言をお望みですか。もしそうであるなら、文法はいらないですね。文章の解釈は必要なくて、単語にまつわる忖度 (推察) が必要になります。英語式の考え方からは、ますます遠くなりますね。

>実践英語への切り替えをスローガンにしている割には、まだまだ、現実が追いついていないのが現状です。

実践英語は、日常生活で覚えるのが効率的ですね。どこの国でも、子供はそうして母語を覚えているでしょう。



.








翻訳

2018-04-06 12:08:48 | 教育
>落合陽一「日本再興戦略」より引用。
>===========
>結論から言えば、語学は出来たほうがいいに決まっています。>特に英語のスピーチをするなら英語が流暢にできると有利です。>英語の幼児教育も、やらないよりやったほうがいいでしょう、LとRの発音は絶対音感みたいなものですので、幼少期に身に付かなかったら、ずっと身に付きません。

そうですね。残念ながら、私もずっと身に付かない口です。

>しかし、今後は日常生活に関しては、自動翻訳技術が飛躍的に向上していますので、ロジカルに話せるだけで十分だと思います。>今、語学がコンプレックスなっている人たちも劣等感を感じずにコミュニケーションが取れるようになります。

そんな時代が早く来ると良いのですがね。

>一方、英語が話せる「中身の薄い人」の化けの皮がはがれてしまうかもしれません。>これまで以上に、中身が大事になってくるのです。

そうですね。英米人でも、高等教育を受けていない人が大勢いますからね。

>よく考えて、意味が分かる言葉でしゃべることは、英語を勉強することよりも重要に成ります。

はたして、そのようになるものでしょかね。

>話し言葉にしろ、書き言葉にしろ、機械翻訳がちゃんとできるように、伝わりやすい表現を心がける必要があります。(中略)

それは、そうですね。

>日本語にはよい動詞、よい表現がそろっています。

私には、これは意味不明ですね。

>ちゃんとした日本語が書ける人は、英語もちゃんと書けるものです。

そうであると良いのですがね。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。
意思は、未来時制の文章内容であります。日本語文法には、時制 (tense) というものがないので、日本人には、意思 (will) がありません。ですから、優柔不断・意志薄弱に見えます。
日本人には、意思は無いが、恣意 (self-will) が有ります。恣意 (私意・我がまま・身勝手) は、意思と違って文章にはなりません。バラバラな単語 (小言・片言・独り言) のまま、存在します。恣意には、意味もなければ、矛盾を指摘することもできません。聞き手は、忖度 (推察) によって、現実対応をします。忖度は、聞き手個人の勝手な解釈でありますから、発言者には、責任が有りません。とかく、この世は無責任であります。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

>だから、英語を苦労して習得するよりも、ちゃんとした日本語の文を書けるようになったほうがいいでしょう。

日本語を介すことなく英語を学ぶと、その高等教育において正しい考え方を身につけることができるのではないでしょうか。There is no royal road to learning.


.