今日から秋のお彼岸
手抜きだが"おはぎ”を作った
買った漉し餡で作ったおはぎは
甘さが足りないと 夫の評判が悪い
戦争中甘いものはほとんど食べられなかった
砂糖も配給
何時も甘いものに餓えていた
小豆も手に入らず お手玉の小豆を使ったこともあった
敗戦後
引揚 士別の引揚寮で生活した
士別には甜菜工場があったが
砂糖は手に入らない
母は甜菜大根を手に入れ
私たちが
鉄道線路で機関車が落とした石炭の燃えカスや
工場の灰置き場から拾ってきたコークスで
煮詰めたが
臭みがありかすかな甘さしかない
それでも
カボチャを餡にして
でんぷん団子のお汁粉を作り
嬉しくて食べた
砂糖が手に入ったのは
翌年(昭和21年)だと思う
進駐軍の放出だったらしいが
お米の代わりにザラメ砂糖が配給になったことがあった
今は飽食の時代
"食べマルシェ”ではあらゆる食べ物が並んでいる
これも 戦争のない 平和な時代だから
頂いた写真で作成