春光台と呼ばれる高台に水芭蕉の群生地がある
林に囲まれたせせらぎには
たくさんの水芭蕉がいきいきと咲き始めていた
少し離れたところには
若山牧水の歌碑もあり木々の間から
白い大雪の山々も垣間見えた
ザゼンソウも顔を出していた
春光台と呼ばれる高台に水芭蕉の群生地がある
林に囲まれたせせらぎには
たくさんの水芭蕉がいきいきと咲き始めていた
少し離れたところには
若山牧水の歌碑もあり木々の間から
白い大雪の山々も垣間見えた
ザゼンソウも顔を出していた
神々の宿る大雪の山
可憐な春の妖精カタクリの乱舞
エゾエンゴサク キクザキイチゲ フクジュソウ
一番小さい キバナノアマナ
花々と一緒に春を謳歌した
快晴で山々が美しい
花々が一斉に咲き競う 麗らかな春が訪れた
木々の間から大雪山が美しい
Kさんに男山自然公園へ連れて行っていただく
朝は氷点下だったが16℃まであがり心地よい
K さんに感謝
お土産に
ふきのとう味噌とフライドチキンをいただいた
ふきのとうの味噌は I さんの手作り
御飯にのせていただくと
香りが口の中にふわ~っと広がり
春のよろこびを感じる
フライドチキンは
めったに買わないがが大好物
もりもりたべたら力がわいてきた
朝方雪が積もり
最低気温はマイナスの寒い日
家の中でゴソゴソし 画像で遊んで過ごす
一年中連休の二人
いつもと変わりない
今日もおしゃべり会食だった
娘時代の元同僚と
私より若い3人だが
耳が遠い人 認知症と思われる人もいて
会話が中々通じないし 毎回同じ話題のくりかえし
大きな声なので個室をお願いしてあったが
うるさかっただろう
皆さん明るく気持ちは若いくて楽しそう
もちろん私も楽しかった
留守番の夫
昨日はカップ麺 今日はおにぎり1個の侘しいお昼
気がひけるので 鮨折りをお土産にする
次回は6月末に約束する
夏日の様な気温だったが
明日から寒くなり雪マークも
1000円の鮨ランチ コーヒー付いて
2時間もおしゃべり
元女学生だった友とのおしゃべり会食の日
農村のS町に
昭和21年(1946年)に新設された町立女学校へ
再び一年生として転校した
その時以来の友との交流が
中断はあったが今でも続いている
近郊に住む5人 骨折したIちゃんは欠席
73年経った今日の話題は一年生に入った頃のこと
みんな仲良くなって いじめられたことは一度もなかった
勉強はさっぱりしないで
授業時間中に借りた小説を読んでいたのは私
ローソク送電になっても真面目なOさんは
暗い電球の下で試験勉強をしていたこと
今年亡くなったらしい
3人は農家だったので食べ物に不自由はなかったが
引揚者の食べる物着る物の苦労は知らなかったと言う
農村なので援農休暇があったが
私はもっぱら野草摘み
摘みに行った場所は何処だったかわからなかったが
エゾノリュウキンカ(やちぶき)は皆さん食べたことがあった
制度が変わり
女学校が 高校の併置中学校となり3年で卒業
そのまま高校へ進学した人 中学で終わった人
女学校卒業と同じ1年間だけ高校へ行った人
様々だったが深い絆で結ばれている
最後は体の故障の話しになる
鍼治療の予定があり一足先に席を立つ
エゾノリュウキンカ(2015年の写真)
茹でて 茎の皮をむいて食べる
あっさりして美味しかった
断捨離したときにも残した中に 大好きな銘々皿がある
陶芸家の富本憲吉氏のコピーの品
観音様に魅せられた旅のはじめは
1987年(昭和62年)5月
32年前のことであった
長谷寺の宿に泊まり
翌朝長谷寺の長い回廊をのぼり観音様を拝観し
室生寺の観音様にお会いした午後
安堵町にある記念館を訪れた
静かな趣のある記念館は見学者は私たちだけ
素晴らしい作品をゆっくり鑑賞し
豊かな時間をすごすことが出来た
その時有田で作られたという
灰皿と銘々皿をお土産に求めた
姉と妹にもと三組の磁器は重かったが
若かったのも手伝い持ったまま
法輪寺 奈良国立博物館 新薬師寺を周った
灰皿はしまわれたままだが
銘々皿は愛おしく思いながら使っている
夫のアルバム整理をのおかげで
今日も懐かしい思い出に浸ることができた
室生寺 聖林寺 道明寺 法華寺 の観音様に
お目にかかることが出来た旅の寄り道
大雪の山々が美しい
見えると幸せな気持ちになる
春の陽射しが暖かく気温も13.5℃まであがった
市議会議員の選挙に出かける
2~3日低温が続き
黄砂が飛んで来ているのか 濁ったような空だったが
今日は清々しい
ベランダから
旭岳ほか山々はまだ深い雪に覆われている
一番右の十勝岳 今日は噴煙がかすか
二人共パソコンに向かう
ブログの形式が変わった後
いつの間にか
ブックマークの一部が表示されなくなっていたのを
直したり 他にすることが沢山