床の間にゆく年くる年の軸を掛けました。
良いお年をお迎えください
年を重ねるたびに時の経つのが早く、動作はスローペースになり
能率が悪くなってきた。
毎年暮れになると、何かしなければと気ばかり焦って落ち着かなかったが、
ふと発想を変えることを思いついた。
家事はすべて手抜きすること。掃除や片付けは毎日少しづつ疲れない程度に。
体力が低下した夫には頼らない。
おせち料理も手抜きの黒豆と旨煮だけ。
以上を心掛けたら随分気が楽になった。今日でだいたい掃除も済み、
黒豆も出来上がり、旨煮の下ごしらえも済んだ。
結婚して半世紀以上経った静かな年の暮れ、机を並べてパソコンに向かっている。
新しい年も二人揃って迎えられそうである。
今朝は-17.7℃ 今年一番の寒さだった。
最近夫と朝ご飯は別々に摂っている。
べつに仲が悪くなったわけではなく、昼や夕食は一緒である。
北見の次女が長イモを沢山送ってくれた。
トロロが大好きな私は大喜びで毎日でも食べたい。
しかし夫は嫌いで食べるのを見るのも嫌だという。
結婚して半世紀以上、ずっと食べるのを我慢し続けてきたが、
ふと食べる時間をずらせばよいことに気がついた。
それからは、夫が朝食を済ませた後、長イモをすりおろす。
生卵と混ぜたり、味噌汁に入れたり、澄し汁でのばしたり
、ドンブリ飯で悠々と食べる。至福のひと時である。
もう2週間以上続いているがまだ飽きそうもない。
ねばねばしたものを食べると風邪に罹りづらいとの新聞記事を読んだが、
効果があるのか今のところ風邪も引かない。
ちなみに、長女は触るのもいや、次女は大好きと好みが両極端である。
今日は冬至一年中で一番昼が短い日。
南瓜と小豆を煮たが、夫は僅か食べただけ。
昔ジャガイモと南瓜をいやというほど食べたので嫌いになったそうだ。
1945年、樺太(サハリン)から引揚げ、母と子供たちが身を寄せたのは、
道北の士別だった。食べるために、母は毎日4km位も雪道を歩き、
買い出しに出かけた。姉たちは勤め家計を助け、子守と炊事が私の仕事だった。
何軒も農家を回り、ようやく分けてもらうリックの中身は南瓜かジャガイモだった。
お米の顔は見たこともなく、南瓜かジャガイモの毎日だった。
冬至の日も南瓜、小豆もなく砂糖など全くない塩味の南瓜だったが、
お腹いっぱい食べられ、母の愛に包まれ辛いとは思わなかった。
夫も引揚者なので、同じような経験をしたらしい。
ノーダラ村のビスノちゃん。
10歳だが子守りや店の手伝いをして、けなげに働いていた。
父親は亡くなったらしい。
僅かな時間だった仲良しになった。
今どうしているのか、時々思い出す度に胸が痛む。
聖なる山マチャプチャレ(6993m) ノーダラの丘(1423m)から
↑
ノーダラ村にて
↑マチャプチャレ ↓アンナプルナの朝焼け
今朝の旭川は氷点下12.9度まで下がる。
ヒマラヤは人々を寄せ付けない厳寒の季節だろう。
数年前の12月はじめネパールへ行き、憧れの山々を眺めてきた。
ポカラで観た朝焼けに大感動!!!
12月も半ばになり、今日も真冬日で雪が降り続いてる。
「雨はすべてを洗い流す」の林先生といっしょに活動している看護師さん。
「訪問看護ステーションモモ」は、看護師のTさんが、今の医療や看護に矛盾や疑問をもち、
お母さんを家で看取ったことがきっかけで、
2004年に開設した。
それから5年、活動範囲は広がりスタッフも増え、末期の在宅患者さんを
支え癒し、看取り、献身的な看護を続けている。
そんな若い彼女を尊敬し見続けているが、
近い将来私たちも、彼女のお世話になりたいと願っている。
人生の黄昏時を迎えつれづれ思うこと。
今年ご近所でお二人が永遠の眠りにつかれた。
お二人とも夫と同じくらいの年齢であった。
今の所、元気で趣味に没頭し、ボケる暇がないくらい充実した生活を送っているが、
何時か訪れる旅立ちの準備を具体的にしなければと思うこの頃である。
少し前のテレビで、「雨はすべてを洗い流す」という番組が放映され、深い感銘を受けた。訪問診療に取り組み、家庭で最期を迎える患者さんをサポートしている、旭川の林先生の献身的な様子と、患者さんと家族との関わりや、葛藤などを描いたドキュメント番組である。テレビには映っていなかったが、ドクターをサポートし、最期の看取りに関わっている素晴らしい訪問看護師さんの存在も大きい。
以前から、延命治療などはいらない、病院でなく家で自然な死を迎えたい、
と思っていたので、その思いがますます強まった。
ただし夫が先の場合で、私が先の時は無理なようだが・・・
昨夜、笑いながら語り合った。