黄昏どき

老いていく日々のくらし 心の移ろいをありのままに

戦争のない平和な世界を

手編みを身につけ

2018年01月31日 | つぶやき

1月も今日で終わりだが真冬日が続く

部屋の中は暖かくても 温かいセーターを着る

今日のわが身は

娘の編んだセーターの上に 編物の先生から頂いたベスト

 姉の手編みの靴下

心のこもった手編を身に着けている


 

姑は器用な人だった その血が夫へ また娘へと受け継がれ

長女は編物が大好き いつも手を動かしている

出来上がった作品にはあまり執着がなく

私に回ってくることが多い

「母さんが夜なべ―をして 手袋編んでくれた―」

我家は真逆である(笑)

大分前に編んだセーター

私のお気に入りだが 温かすぎる

しばれた日 出かける時に着る

 

母親失格だが

子供たちが小さい時 ボンボコついた帽子くらいは編んだ

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楽しみの後は

2018年01月30日 | つぶやき

ご馳走を沢山いただき おしゃべりし過ぎた 昨日のつけが・・・

今日はひねもすおとなしく

春はまだ遠い真冬日

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北海道の方が快適です

2018年01月29日 | たより

日本列島に寒波襲来

 いつもは雪のふらない本州も軒並み雪景色

氷点下の日が続いているようである

 

北海道の我が地方は連日氷点下二ケタ気温で雪が降る

外は寒いのがあたり前だが 家の中は暖房が効いて暖かい

夜はストーブを消して寝るが 朝は20℃くらい 寝室は18℃の適温である

日中は24℃に設定しているが お日様が出ると暑くなりすぎる

壁は断熱材で覆われ 窓は二重のペアガラスで外気が入ってこない

寒い部屋がないので 食物の保存に困るくらい

灯油代金の値上がりが痛いが 夏の冷房の電気代は少ない


札幌の娘の家は室温18℃で過ごしているが

東京へ行った時 朝寒くて布団から出たくなかったそう

札幌ではいらない 厚い毛糸カバーを履く

冬は北海道の方が快適です

 外にあまり出ないので運動不足

美味しい物が沢山あるので 

食べすぎ 太りすぎに 注意が必要

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ネットが繋がらなくなった

2018年01月28日 | つぶやき

パソコンを開くとネットがつながらない

ルーターの接続をみても変わりない 差し込み口を変え

電源を入れ直してもダメ

Windows10のパソコンを開いてみたが同じ状態 

こうなったらお手上げ NTTのリモートサポートに電話する

若いお兄さんは どちらのパソコンでもよいから 有線のコードを繋いでみてという

コードを探し出し繋ごうとしたが 繋ぐ穴ががわからない

探し当てたが中々差し込み口に入らない

やっと有線コードをつなぎ言われるままに NTTのモデムの電源を入れ直したり 

モデムを繋ぐコードの差込口を変えたり

様子を見るのに 2台のパソコンを行ったり来たりして操作

私がウロウロ動いている間 お兄さんは のーんびりした声で指図

10のパソコンから 無線ランの バファローにアクセスし再接続を試みた

やっと繋がった 

リモート操作はしないで終わる

原因は

NTTのモデムから 無線ランバファローへの接続が

正しくされていなかったらしい

1時間以上もやり取りしていたが 終わったら汗びっしょり

昨夜エクセルの問題は解決できたのに

\(^o^)/

疲れた


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百人一首でエクセルの勉強

2018年01月27日 | 勉強

毎年1月のパソコン講座は

百人一首を使ったエクセルの勉強である

先週に続いてくりかえし教えていただいた

ふりがなをつけ 目次に歌の最初の読み1文字を関数で表示する

関数は苦手で教わってもすぐ忘れるが

(LEFT)や(PHONETIC)関数を使ってどうにか出来た

姫(女) 僧侶 殿 別に表示したり ややこやしい

最後の集計は出来ないまま時間切れで終わった

出来た人もいるので悔しい

復習なんてしたことがないのに 今日はエクセルのおさらい

読みたい本があるが おあずけ

今日だけは相撲も観なければならない

取り組みではなく

西の桟敷席で観戦する旅友さんの姿である

 

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引揚げ寮の生活(よろこび)

2018年01月26日 | 戦争

貧しい過酷な生活だったが けして暗い気持ではなかった

戦争に負け形のある物はすべて失ったが 

母や姉がいて守ってくれる安心感

 

空襲や敵が攻めてくる恐怖から解放され 

何でも自由にものが言える喜びが大きかった

 

私は健気な少女ではけしてなかった

楽しみは読書

活字であれば何でも読みたかった 

読むことでイメージが膨れあがり

自分だけの空想の世界に浸ることができた

姉が借りてくる小説を片っ端から読む 

母にみつかると まだ読むのは早いと取り上げられる

 何故早いかわからないが 読みたい気持ちがもっと強くなる

 トイレで隠れて読んだり 母のいない時をみはからって読む 

姉の借りてくる本は多種多様だったが

「モーパッサンの女の一生」などが印象に残っている

 

夢中になるあまり子守がおろそかになり 

目を離した妹が二階の階段から転げ落ちたこともあったし

銭湯に連れて行き 浴槽に落としてしまったり ドジが多かった

 

引き揚げ寮での経験で得たことは 

どん底から這い上がる強い力となって今も残っている

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引揚げ寮の生活(その二)

2018年01月25日 | 戦争

引揚げ寮の一団は 

小さな町では異様なよそ者とみられていたようである

 

ひとつの家族の様に

お互いに助けあい 労わり合うことも多かった

母親たちは毎日食料の買い出しに数キロ以上遠くへ行く

 他の大人は勤めで 子供たちは留守番

炊事の係り と云ってもジャガイモの皮をむき塩煮にするだけだが

 

小学生高学年の子供たちは 

駅近くの材木置き場へ出かけ丸太の皮を剥ぎ

線路に落ちているコークス拾いなど 燃料の調達も欠かせない仕事である

SLの機関車が捨てた線路上のコークスを拾おうとして

「危ない」と 怒鳴られたこともあった

 

赤ん坊のおむつ洗いは 小川の氷を割って振り洗いする 

手がかじかんで感覚がなくなる 貴重な一枚を流してしまったことがあった

4歳の弟は栄養失調でおできだらけになったが おとなしい子だった

1歳の妹はお腹を空かせてよく泣く 

ジャガイモをつぶし食べさせたが痩せて這うことも出来ない

 

ほかの子供たちも弟妹同様に 年上が面倒をみるのはあたり前だった

 

「Yちゃんがトイレで泣いているよ」と 呼びに来た 

1階にあるトイレは

コンクリート作りで冷たく寒い もちろん汲み取り式である

みると肛門からピンク色の異様な物が出ている

痛くはないらしいが気持ち悪くて歩けない(後で脱肛と知った)

困ったが お母さんも他の大人は誰もいない

考えたあげく 

新聞紙をもんで柔らかくし お尻に当て静かにさすってみた 

続けるうちに肛門にすっぽり収まった よかった 

Yちゃんは泣き止みケロッとした顔をしている 

それが毎日になった トイレで泣くたびに誰かが呼びに来る

 

物が何もなく チリ紙もない トイレットペーパーなんて知らない時代である 

トイレには新聞紙を小さく切ったのが置いてあり 

用が済んだ後はそれで拭いていた 

 

私の怪しげな手当は専門職になった(笑)

もう一人 

同じ3歳のHちゃんも脱肛が出るようになった 

Hちゃんは痩せて小柄 脱肛も小さい 

大きいYちゃんと 毎日の二人のお世話は暖かくなるまで続いた 

脱肛も栄養失調からだったのだろう

 

4月になり新設された町立女学校の 1年生になり 

貧しいが希望に満ちた学校生活を送れるようになった

 

父が帰国した昭和23年11月以降も翌年秋まで

引揚げ寮の生活は続いた

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引揚げ寮の生活(その一)

2018年01月24日 | 戦争

 敗戦後はじめての冬1946年(昭和21年)

樺太から引揚げた後 道北S町にある元料理屋の引揚げ寮に住んでいた

私は女学校1年(現在の中学1年)だったが休学中

大寒の頃は-30℃以下まで下がる厳寒の地である

18畳の大広間に4家族15人が暮す 

他の小部屋にはそれぞれ数家族合わせて婦女子だけ数十人の暮らしであった

大部屋だけは石炭ストーブがあったが小部屋にはない

ストーブのない家族は拾ったコークスを七輪で燃やし暖を取っていたが

 一酸化中毒で ふらふらになった人が多く 部屋では焚かないようになる

 

大勢が一日中大広間のストーブにあたりに来る

 

その中にお腹の大きなS小母さんがいらした

 けだるそうでむくんだ顔をしていた 

ある日産気づいて部屋に戻りまもなく男の子が生まれた

4人目だったが小さい子だった

4年生のお姉ちゃんがお産扱いや弟妹の世話をしていたようである

 

産後の何時かは覚えていないが 

大広間でストーブに当たっていた時のことである

急にガタガタけいれんがはじまり気を失ってしまった 

目はつりあがり強張っている

近くにいた母より年上のおばさんが「箸!わりばし! 何かちょうだい」

と叫んで意識のないS小母さんの口をこじ開け 

舌をかまないように歯の隙間に箸をさしこんだ

息ができるように顔を横に向かせて見守った

「「子癇(しかん)」だよ そのうち治るよ」と落ち着いた様子で話す

しばらくして S小母さんは意識が戻った

病院にもかからずに徐々に回復して行き 

生まれた小さな男の子も無事育っていった

 

子癇は妊娠中毒症のひどいもので命を失う人が多いと知ったのは 

ずっと後のことである

 

食べ物も何もない暮し 着るものは軍隊払い下げの軍服・毛布 

一日の糧は 母親たちが 毎日の買い出しで交換した 

ジャガイモ・カボチャ・でんぷん でんぷんかす

 

いつ引揚げてくるかわからない父親たち 

殺伐とした暮らしの中で 女同志の醜い激しい喧嘩も多かったが

 母は決して加わらなかった 

何時も愚痴の聞き役 慰め役だった 

傍で見聞きしていて 私も母の様になろうと思った

つづく

 

 

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大雪交通の乱れと裏腹に

2018年01月23日 | つぶやき

最低気温が-15℃まで下がったが日中は-2.5℃

無風で雪も降らない穏やかな日だった

本州の大雪交通の乱れ被害はうそのよう

元美女?4人でのおしゃべり会食

見渡すと周りも同じような女性グループで満員

4人共夫は家で留守番

我夫はおにぎり Yさんのご主人はパン

Hさん宅はお餅と皆質素な昼食

ご馳走食べておしゃべりでストレス発散

楽しい日でした

 

帰り鍼治療へ

ペンギン歩きだが道路もあまり滑らないが

写真摂る気にはならない

 

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手袋をはく

2018年01月22日 | つぶやき

今朝は-12.4℃としばれたので

手袋をはいてゴミなげに行ってきた

普段あたりまえに使っている言葉だが

北海道弁で内地の人には通じないらしい

最近気をつけて

ゴミなげとは言わずゴミ出し と言うようにしているが

しばれた(寒かった) 手袋をはく(手袋をはめる) は

あたり前のように使っている

先程 もうすぐ87歳になる姉から

手編みの靴下が送られてきた

午後の詩吟稽古に はいて出かけよう

靴下も 手袋も 同じ(履く はく)である

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