東京滞在の目的は友と出会うことだった
ホテルに来て下さったり
東京駅の傍のビル“KITTE” で待ち合わせ
食事をしながら
ゆっくりお喋りができた
口だけは達者な二人だが
友からエネルギーをいただき 身体の方も元気になってきた
7階の屋上から東京駅や新幹線を眺めることができ
一日楽しく過ごせる
丸の内側の広場も大分整備されていた
今日は帰宅してからはじめてのデイケア
私は友とのおしゃべり会で街へ
旭川も花爛漫の季節になっていた
東京より空気が美味しいし清々しい風である
高崎に2泊し 23日は
前橋のバラ園により
新幹線で
熊谷のMさんに会い東京へ行く予定でいたが
Mさんはホテルまで迎えに見え
前橋の敷島公園へ案内して下さる
バラ園は満開 広い園内は大勢の人で賑わっていた
32℃の炎天だったが
日陰で休めるように椅子も持参し
夫の体を気遣ってくださる
そのまま東京のホテルまで送ってくださった
途中昼食休憩したが 渋滞もなく
1時半には皇居が見えるホテルに着いた
あたたかいMさんの好意に甘え
二人とも元気で
とても楽な旅ができた
感謝! 感謝!
90歳の夫の姉に会いお墓参りが目的の旅
昨夜無事に帰宅した
スロースローで無理をしない行程だったが
それでも疲れ 朝から三度目の昼寝中
32℃の炎暑の中のお墓参りだった
富岡市郊外の丘の上にあるお墓
途中
観音山を通り
足元から観音様を仰ぎ拝むことができた
義姉も思ったより元気で迎えてくれ
姉弟 子供の頃の話は尽きなかった
2009年の5月ルーマニアを旅した
望郷のバラードの曲に惹かれての旅
ローマ経由で17時間もかかり夜遅くブカレストに着く
翌日
はじめての観光がシナイアだった
ペレシュ城は
ルーマニア王国の初代国王カロル1世(19世紀)が建てた夏の離宮で
標高800mの所にある
北海道に似た気候で ライラックが美しかった
城内は靴の上にカバーをはいて見学
撮影は有料だったので夫に任せる
ドイツ・ルネッサンス様式の城は
ルーマニアで一番美しいといわれている
部屋数180
豪華で沢山の武器や美術品が陳列してあった
ステンドグラスは
音楽堂の窓を飾っていたと思うが
あまり記憶がない
明日から数日留守になる
一昨年11月以来であり
お墓詣りや 懐かしい友に出会う
最後かもしれない老夫婦の旅
夫の個展の案内状を作ったが
気に入らないので作り直すことになる
今日は公民館のパソコン授業だが
朝 2時間くらいは余裕がある
天気が良いので大洗濯も同時進行
朝食は一人で適当に食べてもらう
写真を取りこみ 印刷をすませ大急ぎで公民館へ
ぐったり眠く授業はうわの空
終わると一目散に帰り また手直し
昼食もインスタントラーメンを 夫が作る
出来た案内状を郵便局へ出しに行く
他にも諸々の用事
ついでに喫茶店へ案内状を届ける
肩こり疲れがどっぷり
按摩さんへ行った夫を迎えるついでに
私も指圧をしてもらう
ひと休み後手抜き夕食をすませ やっと私の時間
案内状に使った
ルーマニア シナイア ペレシュ城の
ステンドグラス
クロアチア ザグレブ
案内状をつくることで
旅行時の記憶がよみがえってきた
今日は
昭和20年(1945年)5月18日
陸軍の特攻隊で沖縄の海で散った
従兄の命日である
1998年日本がW杯に初めて出場した
フランス大会を前に私の思いを投書した記事である
今も思いは同じ 従兄を偲び平和を祈っている
夫は去年から個展を計画していたらしく
懇意にしている喫茶店を6月に予約していた
表装の仕事ができなくなってからも
意欲だけは衰えていないのは嬉しいが・・・
海外旅行で写したステンドグラスの写真で
個展をするのを知ったのはつい最近
昨日頼まれた案内状 レイアウトを考え
何度もやり直し やっと今朝から印刷をする
考えるのは好きだから嫌ではないが
私の予定は後回し ヤレヤレである
フレーム色々考えるが思うようには出来ない
14日の審査温習会も無事終わった
新人のTさん普段通りに吟じ
努力賞をいただいた
4人での合吟は
Sさんのお姉さんも駆けつけ
怪我からの復帰後はじめでの舞台を見守ってくださる
嬉しかったのは
J子さんが写真を写しに来てくれたこと
記念撮影もバッチリ
私の吟も咳が出ないですんだが
疲れ懇親会をパスして帰った
6月には研修発表会があり
夫の個展が控えている
案内状や諸々頼まれ
パソコンに向かう時間が長い
ぼんやりしていられない