黄昏どき

老いていく日々のくらし 心の移ろいをありのままに

戦争のない平和な世界を

住んでいた我が家は?

2012年08月31日 | 旅行

一番行きたかった所

豊原市西5条南5丁目の鉄道官舎

夫は年代が違うが 西5条南6丁目に住んでいた

駅の北側にあった住居跡は 開発から取り残され

道路もガタガタデコボコ 水たまりがあったり 鬱蒼とした木々の中に

朽ち果てそうな家があり 野良犬がたむろする

うらぶれた暗い不気味な雰囲気になっていた

日本時代の建物は一つも残っていないそうで

正確な跡は何処か とうとうわからなかった











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懐かしい鈴谷川は?

2012年08月30日 | 旅行

学校の近くを鈴谷川という大きな川が流れ 西大橋がかかっていた

校歌の2番の歌詞にもあり 清らかに澄んだ川だったが

キムさんの案内で見た川は

 濁り淀んで 両脇には鬱蒼とした木々が生い茂り 昔の面影はなかった

橋も 埃っぽくて汚く 思っていたより小さく がっかりした









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懐かしい豊原第三小学校のあと

2012年08月29日 | 旅行

眞岡の帰り 別行動をとり キムさんというガイドさんの案内で思い出の場所を回った

夫が一年生から五年生まで通った 豊原第三小学校 

年代は違うが 

私も五年生 六年生を過ごした(国民学校と名前が変わっていた)学校は

今も小学校だったが 運動場もなくなり 周囲には立派なビルが立ち並んでいた

夏休みで校門も閉ざされ 人影もなかった

 

ここで学んだ時を思い出し 懐かしさで涙が溢れてきた

校長室の上が広い裁縫室で 放課後 コックリさんという占い遊びをしたこと

当時珍しかった 鼓笛隊の太鼓を練習したこと など次々に浮かんでくる

夫も同じ思いだったらしい










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懐かしい女学校のあと

2012年08月28日 | 旅行

私が通った樺太庁豊原高等女学校の跡は

サハリン総合大学 東洋学大学になっていた

ホテルから近く 朝霧の中散歩してみた

夏休みで門は閉ざされ人影もなかったが

草むらに カラフトマンテマ がひっそり咲いていた

校庭にタコツボという防空壕を掘らされたことを ふと思い出す








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詩吟の交流大会

2012年08月27日 | 詩吟

昨日は詩吟親睦会の交流大会 60名の集い

プログラム作成から関わり 司会 吟詠も一生懸命したので

充実感を感じている

 

「氷雪の門」を

 サハリン旅行での感じた思いを語ってから吟詠したが

吟じながら胸が熱くなった






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サハリンのバカンス

2012年08月25日 | 旅行

子供たちの夏休みは6月から8月末まで3カ月もある

手作りのダーチャという別荘を持っている人が多く 野菜を作り 週末や夏の間過ごす

ほぼ自給自足の生活をするようだ



川では カラフトマスのシーズンで 家族連れで マス釣りをしていた

この日は最高気温29℃くらいまで上がり 太陽がじりじり照りつけていた










ホルムスクへのバスの中から見た ダーチャ




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ホルムスクの街かどにて

2012年08月24日 | 旅行

郵便局近くの通りは賑やかで活気があった

花屋が数軒並び色とりどりの花が売られている







野菜も豊富 見ごとな白菜が並んでいた 写真はダメというのでこっそり写す




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真岡(ホルムスク)の街

2012年08月23日 | 旅行

ホルムスクの街は平和な暮らしぶりが伺えた

港は憩いの場として整備され美しくなっていた

 少し離れた所には 旧王子製紙の廃墟が無残な姿をさらしていた





旧王子製紙の廃墟




真岡神社の石段は きれいに整備されて残り

登ると小公園になっていた









ジャコウアオイ

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引揚げ船三船遭難と熊笹峠

2012年08月22日 | つぶやき

昭和22年8月22日 引揚げ船 小笠原丸 第二新興丸 泰東丸の三隻が

留萌沖でソビエトの潜水艦に攻撃され 沈没 大破し 1700名以上が亡くなった

 

その少し前 私たち家族が乗った 白龍丸は 留萌沖を通っていた

甲板上にいたので 緊迫した様子がひしひしと感じられた

 船長 乗組員の緊迫した声が耳に残っている

 

船はエンジンを止め 長い間波間を漂った

船酔いでフラフラになりながら 何もわからないまま 早く危険が去ってほしいと祈っていた

戦争が終わったのに 何故?という気持ちでいっぱいだった。

三船の遭難を知ったのは ずっと後のことである





真岡の海が見える熊笹峠

ソビエト軍と戦った跡が残っている

ソ連軍は1945年8月20日真岡に上陸、真岡占領後豊原を目指して進軍し

日本軍との間に8月20日から23日にかけて熊笹峠を舞台に激しい戦闘が繰り広げられた

 

日本軍のトーチカの残骸 悲しい悲惨なことは ここにもあった


ソ連軍の戦勝記念碑


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真岡郵便局九人の乙女を偲ぶ

2012年08月21日 | つぶやき

敗戦後の昭和20年8月20日 ソ連軍の侵攻の中

真岡郵便局の電話交換手9名が青酸カリを飲み集団自決した

昨日稚内市で50回目の祈年祭が行われた

 

サハリンの旅で 今はホルムスクとなった街を訪れた

郵便局は同じ場所だというが 知らない平和なよその国の街

海を臨む小高い丘の墓地の址に建てられた鎮魂の碑は 

この地で亡くなった多くの人たちの望郷の想いがこめられていた

「戦い敗れて 残りし山川 氷雪砕けて 又来る春にも

再び帰らぬ 9人の乙女の 御霊に捧げん 北国の花」

“氷雪の門”  星野哲郎 

  詩吟を口ずさみ 九人を偲び 平和を祈る








ホルムスクの郵便局 海岸から近いが 建物で遮られて海は見えない



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