昨日美容室で
時間つぶしに週刊誌を5冊も読んだが
収穫もあった
生姜酢が体に良いと云う記事
体に良いことは何でも試してみたい
早速新生姜を買い作ってみる
分量も適当だが効果が楽しみ
今日はお友達が見え 愉快な時間を過ごす
頂いた特大のシュークリームをぺろりと平らげ
夕食の時間になってもお腹が空かない
東京では桜が満開のニュース
Excelのイラストでフレームを作ってみる
昨日美容室で
時間つぶしに週刊誌を5冊も読んだが
収穫もあった
生姜酢が体に良いと云う記事
体に良いことは何でも試してみたい
早速新生姜を買い作ってみる
分量も適当だが効果が楽しみ
今日はお友達が見え 愉快な時間を過ごす
頂いた特大のシュークリームをぺろりと平らげ
夕食の時間になってもお腹が空かない
東京では桜が満開のニュース
Excelのイラストでフレームを作ってみる
呼び出し音
アメージンググレースが聴こえる
急いで受話器を取り上げる
大分元気になってきた夫は
一人でホールまで歩けるようになった
用事を思い立つとすぐ電話をするらしい
注文が多くなり 今日も行く途中に かかってきた
私が 病院へ行く回数が減った分
電話が多くなった
大好きな曲だが聴くたびに
ドキッとする
Il Divo - Amazing Grace
詩吟の自主研修
と言っても今日は2人だけ
春の温習会に何を吟じたらよいか
幾つも吟じて汗だくになる
帰り久しぶりに歩く
雪が融けた陽だまりに
フクジュソウが咲いていた
道路わきの日陰にはフキノトウが・・・
山並みも美しく見える
山はまだ冬 わが家のベランダから
留守に電話があったのでかけ直す
いつもの長電話 相槌をうっていただけだが
終わってみたら55分15秒
本州ではお花見シーズンを迎えたが
こちらはまだ先のこと
エクセルでお花見のイラストを描き一足早いお花見を楽しむことにした
テキストを参考にするが
お手本通りは苦手である 大きな桜の木は違う形にすした
色々アレンジしてみるつもりでいる
昨日開通した新幹線のニュースが続いている
北海道の玄関口となった 木古内駅
70年前の敗戦後直ぐに樺太から引揚げ
僅かな期間だったが
木古内の伯父(父方)の家に身を寄せていた
函館のO女学校へ汽車通学をしたが
2時間もかかった
朝 まだ暗い5時半の列車に乗り
帰宅も暗くなってから
鬱蒼とした杉林の寂しい道が怖く
母が送り迎えしてくれた
満員列車から眺めた海や函館山 トラピスト修道院が思い出される
母から聞いた祖父の時代のことを記してみる
仙台藩士だった弥平(母の祖父)は
明治維新で藩政が崩壊し生活が苦しくなったため
蝦夷から北海道と名を変えた北の地に行くことを決めた
幼かった亀冶(母の父)を親戚に預け
妻のちえと二人で函館の湯の川に旅立つことにし
生活が落ち着いたら亀冶を呼び寄せる約束だった
明治9年(1876年)生まれの亀冶が数え年9歳の時のことである
数か月が過ぎても迎えが来ない 父母が恋しくてたまらなくさびしい毎日
我慢が限界に来た10歳の春のこと 亀冶は一大決心をした
勉強道具を風呂敷に包み僅かなお金を握って親戚の家を出た
人が誰も通らない獣道の山越え 心細いが
父母に逢いたい一心でひたすら港を目指し歩き続けて数里以上
夕昏近くなり体力も限界にきて泣きながらとぼとぼ歩いていると
偶然猟師に出会った
「わこさん何処さ行くんだ?」地獄に仏とはこのことだった
いきさつを話すと 親切に港まで案内して送ってくれた
船は出帆間際で はしけは岸を離れていた
「オーイ!オーイ!と叫び はしけを呼び戻してくれ、やっと間に合った
体格が良かった亀冶は 大人の料金を払うように云われて困り
教科書を見せて子供であることを納得してもらった
何日経ったかは覚えていないが無事函館に着いた
気の大きくなった亀冶は人力車に乗って湯の川の両親の家へ急いだ
「ごめん下さい」と声をかけると
「亀冶か?」の声 虫の知らせがあったらしい
弥平は病に臥せっていたそうである、
私の4歳の時に亡くなった祖父は この話を何度も母に聞かせ
そのたびに涙を流していたそうである
母(明治40年 1907年生まれ)も私たちにこの話を何度もしてくれた
亀冶が船に乗った港は定かでないが
大震災で大きな被害があった三陸沿岸 宮城県の牡鹿半島の荻の浜港らしい
青函連絡船は明治41年に運行を始めたが
ずっと前の明治10年代の頃の話である
1988年トンネルが開通し 新幹線が今日開通した
天国の曽祖父母 祖父母 たちは 夢にも思わず腰を抜かしているかも・・・・
ちなみに 朝がきたのモデル「広岡浅子」は 亀治より27年早く生まれている
亀治の父母
亀治
終わりに近づいた朝ドラで
娘の千代が婿養子を迎えた
戦前は跡取りの男子がいない場合は婿養子を迎えるのが常であった
夫の家も私の実家も婿養子
どちらの父もお婿さんである
実家は子供が母一人だったので三男の父が婿養子になったらしい
かかあ天下とよく言うが 子供心にも母の方が権力が強く見え
母の方が怖かった
父は戦争に行ったり 抑留されたり 6年間も不在だったので
そうならざるより仕方がなかったのかも知れないが
父に怒られた記憶はほとんどなく 優しかった
夫の父は結婚前に亡くなったのであったことはないが
リンゴ農家の次男で教師になり
跡取り息子が亡くなった家の婿養子になったそうである
田舎で子供が8人に年寄もいる家庭
義母が中心になっての生活だったらしい
わが家も女の子が2人の女系
二人とも結婚して家を離れたが 戸籍が新しくなる今では当然のことである
離れても最近は何かと面倒を見てもらっている
娘二人の婿さんたちが優しいので有難い
ふと気がつく
定かでない結婚記念日が今頃だった
数えたら59回目
我家はカカア天下でないと思っている・・・
ベルギーの首都ブリュッセルで爆弾テロが2カ所も起き
多くの犠牲者が出た
2012年の4月
ブリュッセル空港に降りた
街も平和で治安も良く
夜二人でグランドプラスの美しい夜景を観たり音楽を聴いた
王宮の植物園や美術館なども観光したが
一番印象に残っているのが
郊外のハレの森
ブナ林の中にブルーベルの可憐な花と
野生のアネモネなどの絨毯に
心が安らいだことが強く残っている
二度と起きてほしくない忌まわしい事件が繰り返される
世界が平和でいられるのは夢なのか
胸が痛む
何時も通るたびに気になっていた看板
「えんのしたの居酒屋」
よく見ると
2階がスナック「えん」下が「のしたの居酒屋」である
横の壁いっぱいに愉快なイラストが描かれている
入ったことはないが流行っているのかも・・・・・
もう1カ所美味しそうなケーキの店の看板
10年位もかかった道路の拡張工事がやっと終わり
車の通りが多くなった近くの道路沿いの店である