黄昏どき

老いていく日々のくらし 心の移ろいをありのままに

戦争のない平和な世界を

夫の旅立ち その三

2024年11月17日 | 旅立ち
気温は高いが荒れた天気

寂しい気持ちになってます





夫が旅立って



私は 悲しむだけでどうすることも出来なかったが


生前から家族葬にとの希望通り 誰にも知らせず身内だけ


長女の婿さんが施主をつとめ


娘たち夫婦がすべて行ってくれた




 

14日の夜は神楽の斎場に安置されたが

私の病室からは 池 忠別川を隔ててほど近い

窓際に立つと それらしい建物が見える

手をあわせ

安らかにと ひたすら祈っていた





15日午後 柩を乗せた車が 斎場へ向かうとき


氷点橋を渡って行くという 


二女がラインで教えてくれ


 ゆっくり橋を渡る白い車を


病室の窓ぎわで 祈り見送った





大好きだったサラブライトマンの曲が流れ


通夜 葬儀は 滞りなく行われた





葬儀の日 2023年11月16日は 小春日和だった


お棺には

夫の母が紡いだ着物を着せてもらい


スイス旅行の二人の写真も入れてくれた





2023年 11月16日 リハビリ病院にて



二女の婿さんが ラインで動画や写真を送ってくれたので


参列は出来なかったが 参列したような気持になっていた




ラインで届いた大雪山










日暮れは早く  窓の外に三日月が・・・・


 急に


冷たい寂しい気持ちで胸がいっぱいになってきた


夫は

 遠い 遠い 遥か遠い 知らない世界へ逝ってしまった



寂寥感に包まれ ただ涙があふれてきた

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夫の旅立ち その二

2024年11月16日 | 旅立ち

霧の朝

今日も小春日和になりました




夫の旅立ちのこと



転院した夫は

短時間の面会が許され

娘たちは時々会いに行っってくれたが

食べられるるようにはならず

徐々に衰弱して行ったようである




私は ようやく歩行の許可が出

見守ってもらいながら

 トイレまでつたってやっと歩けるようになり

14日にリハビリ病院への転院が決まった




2023年 11月10日

入退院を繰り返していた 長女のお姑さんが亡くなられた

表装をはじめたころ画家を紹介し下さったり

夫も私も随分お世話になっていた


12日お通夜が行われ

悲しいが 

ベット上でご冥福をお祈りすることしかできなかった




13日葬儀の朝

夫の容態が急変したとの連絡があり


長女 二女夫婦は 葬儀に参列できないまま


夫の病院へ駆けつけた



娘から連絡を受けたが どうすることも出来ず


ただ涙が溢れるままでいた



様子を知った看護師の K さんが急いで枕元にやって来て


「ご主人に会わせてあげるから待っててね」と言ってくれる


ナースステーションでは娘と電話でやり取りしている声が


やや暫くして 

「ご主人と繋がったから・・・沢山お話ししてくださいね


何時間でもいいですよ」と





iPadの画面には


目をつぶった夫の姿があり


苦しそうに呼吸しながら時々声が漏れてくる


泣きながらiPadの中の夫に語り掛けた


私の声がわかるらしく


「長い間ありがとぅ」と言うと


「う~~ん」と返事をする


一緒に沢山旅行できてよかったね・・・・・

「うーん」


後は何を話したが覚えていないが


最後に

疲れたでしょう もう休んでいいよ 


「うーん」 と返事をしてくれた



夕方

容態は少し落ち着き楽そうになったと連絡があり


安心した






11月14日 朝

夫の容態は落ち着いており 昨日より楽そうだからと

二人の娘は私の病院へ来てくれ

リハビリ病院への転院に付き添ってくれた


手続きが終り 


病室へ入るのと同じころ


見届けたように


旅立って行ってしまった

つづく

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夫の旅立ち その一

2024年11月15日 | 旅立ち
昨日14日 お昼の大雪山









 夫の旅立ちのこと




昨年  私が心筋梗塞の治療を受け



ICUから一般病室へ移った 10月8日ころである




発熱して入院したことを 娘が電話で知らせてくれた




夫は


8月半ばから施設でお世話になっていたが


COPD が悪化して酸素吸入中であり


心房細動に 脳の病気 加齢黄斑変性による失明などで


要介護 5






誤嚥性肺炎 だった




元気な時から延命治療は行わないと 医師に伝えてあったが



肺炎の治療はしていただいた



どちらの病院も面会謝絶



娘からの電話で 容態を知らせてもらったが



私も心不全を併発して 苦しい日々が続いており



 どうすることも出来なかった





10月末には 熱が下り 肺炎は軽快したが


食べるのは無理な状態であった



11月初めに 療養病棟のある病院へ転院した


寝台車で 寝たままの状態だったが


「バアサンはどうした? どうしてる?」


と 娘に聞いていたそうである



つづく


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