シンリンオオカミは元気に動き回っていた
どちらが親か子供か区別がつかない
もぐもぐタイムで 骨付きの肉をくわえた一頭が 横になって食べはじめた
カリカリ骨をかむ音が聞こえる
ゆっくり時間をかけて最後は骨まで食べつくす
白いオオカミが奪おうとしたが抵抗して取られなかった
晴れで暖かい予報だったので動物園へ出かけた
朝のうちは濃い霧に覆われ気温も低い
駅前から9:40分発のバスに乗る
台湾らしい外国人も大勢いてずらりと行列
バスが予定より早く着いたので10時半の開門まで
立ちんぼしたが寒く手足が冷たくなる
11時のペンギン散歩の前にカバ館へ行ったが
百吉君は動く気配もない
散歩の頃は寒さがやわらいで太陽がでてきた
今日のペンギン散歩は キングペンギン12羽+1羽の
ジェンツーペンギン 愛らしいしぐさに頬が緩む
ホッキョクキツネは 以前のと種類が違うらしく真白くないが愛らしい
ソチのオリンピックアルペン会場
青空が広がり 白い山並みが美しかった
アナウンサーの説明で コーカサス山脈だと知った
黒海からカスピ海まで連なる コーカサス山脈(カフカス山脈)
山脈の北はロシア 南はグルジア アゼルバイジャン の領土である
コーカサス地方には 様々な言語 文化 宗教をもった民族集団が暮らしており
紛争も度々起きている
ふと旭川ゆかりの彫刻家 中原悌二郎の
“若きカフカス人”像のことが浮かんできた
中原悌二郎が 大正8年に製作した彫刻
ニヒルで暗い表情の像に強烈な印象を受けた
モデルは満州を放浪の末 日本に来て 新宿中村屋に寄宿していた
カフカフ人のニンツェという青年
革命で逃れた来たのか 苦難の生涯を送ったのだろう
ソチのオリンピックが終わった
沢山の感動を与えてくれた選手の皆さんありがとう
メダルは取れなくとも一生懸命頑張った皆さんアリガトウ
4年後も 欲張って東京オリンピックまでも元気でいられるよう
努力しよう
ソチの冬季オリンピックも今夜閉会式が行われる
昨夜のスピード女子団体追抜きも健闘したが4位に終わった
選手たちの懸命にすべる姿を応援しながらふと 遠い昔を思い出した
1954年(昭和29年)の1月
札幌でスピードスケートの世界選手権大会が開催された
日本ではじめての大会で 会場は円山競技場
姉の婚約者から切符をプレゼントされ札幌へ出かけた
一番人気の選手はアンデルセン 背が高くかっこよかったが
総合優勝したのは ソビエトの シルコフ
グリシン ゴンチャレフ等の 忍者のようなソビエト勢の活躍が目立った
日本選手は 五味選手 浅坂選手 だったと思うが はるかに及ばなかった
記念のプログラムは大事に残しておいたが 引っ越しの際処分してしまう
若くして亡くなった姉の婚約者の優しさと 競技の光景が浮かんでくる
グリシン選手
今日は何の日 2月22日は ネコの日
ニャン(2)ニャン(2)ニャン(2) という猫の鳴き声の語呂合わせということで
猫の日制定委員会が1987(昭和62)年に制定したそうである
友人の家で最近子猫を飼った
ご主人に懐いて いつも抱っこされ いうことを聞く
80歳を過ぎ何もすることがなくなったご主人だが ネコのおかげて活き活きしてきた
公民館のパソコン教室の日
朝から青空が広がり心地よい
徒歩5分の距離になったので のんびり出かける
通りすがりの柳の芽が沢山膨らんでいた
待ち遠しかった春の兆しが嬉しい
浅田真央選手がフリーで渾身の演技をして6位入賞
オメデトウ
金以上の感動を有難う
10年くらい前だった 旭岳の紅葉を観た帰り
勇駒荘のお風呂に入ったことがある
晩秋の肌寒い日だったが露天風呂は 心地よく温めてくれた
ロビーにスノーボートの選手の写真が飾ってあったが名前は覚えていない
ソチのオリンピックに旭川から竹内選手が出場することは知ってはいたが
あまり期待はしてなかったし 市民の熱もなかったように思う
銀メタルの朗報に はじめて実家が勇駒荘だと知り
あの時の写真を思い出した
竹内智香選手 オメデトウ
これからは熱心に応援しますからね
旭岳温泉が 勇駒別と呼ばれていた頃
バスもロープウェイもない時代に
天人峡から登り 勇駒荘に一泊して 初めて旭岳に登った
あの時のお風呂の温もりもはっきり覚えている
勇駒荘に又行ってみたくなった
k
旭川出身の竹内智香選手が
スノーボードパラレル大回転で銀メタル
日本女子はじめての快挙である
ハラハラドキドキしながら実況を観ていた\(~o~)/
試合後のインタビューの動画です