新 風のふくままに 

写真付きで日記や趣味を書く。プロフィールを変えました。

2024.12.14筑波山-忘年登山

2024-12-15 | ハイキング・登山

忘年登山に筑波山に登ろうということになった。この間腓骨神経麻痺で、左足のつま先がよく上げられなくなって間もないので大丈夫かなと思ったが、塗り薬のおかげで、少し上がるようになってきたし、大体平らなところの歩行に影響があったが、階段の上り下りは大丈夫だったので、前泊の宿のキャンセル料もかかるので、13日午後に出かけた。宿は旅行会社の割引と早割及びポイント使用で、私達でも何とか泊まれる2食ともバイキング付きの宿に決めた。忘年会替わりですものね。昔山口に行った時に利用したことがあったホテルが買収してリニューアル記念とか。

てっぱんの晴れ予報だったので、雨具は持たなかった。

秋葉原駅でリーダーと待ち合わせ。秋葉原なんていったことが無いので、つくばエクスプレスの乗り換え改札の中央口の駅前のけばけばしい巨大スクリーンにびっくり。時代が違いますね。

つくばエキスプレスは第三セクターの運営で、株式発行していないそうで、株主優待券の乗車券はないとのネット情報。バスとのセット往復割引券があるというので、購入。無くさないようにしないとね。

約40分でつくば駅に到着。地下深くから出発して、途中は地上に出るものの、つくば駅では又地下深くに到着。なんでつくば駅があんなに地下深くしないとならなかったのかは不思議だった。通勤に利用する人はエスカレーター何回も乗り換えなくてはならなくて大変だなと思った。大江戸線などもそうですが。

つくば駅前のバスロータリーのあたりの郵便ポストはクリスマスバージョン。

向こう側に見えている公園では夕方14.15日とランタン祭りがおこなわれるそう。帰りが16:30過ぎたら見られるのだが、リーダーは早めに帰りたいご様子だった。

シャトルバスは金曜日は15時が最終だった。次の電車でも間に合ったが、少し早い電車で早めに着いた。土日は15:30最終。

宿はバス停からすぐだった。つくば神社前のバス停の山側にきれいな案内所ができていた。お聞きしたら、鳥居をくぐって右側、と言われて、右に入るところはないし。。。と思ったら、直進したところの右側にあった。

入り口の飾り(何かいわれがあるのかな?)

クリスマスの飾りつけは昼間に撮った。

梅園でも散策してから入った方が良いかなと思ったが、もうチェックインできたので、チェックイン。お風呂がややこしくて、3か所の浴場を男性と女性が入れ替わって利用するらしく、今日は7階の展望風呂は男性用だった。シャワーの出も良くないと言われて、下の浴場を利用させていただいた。貴重品は金庫に入れるように案内されていたので入れたが、パスワード式で、忘れたら開けなくなるから、緊張。まあ覚えていられましたが。

格安プランだから、和室。寝具はセルフサービス。広い和室に小さな椅子が窓際についていた。食事は早い時間にお願いして、温泉に入った後すぐに移動。何十種類もあるお料理が並んでいて、目移りしてしまう。茨城フェアの特産のものを利用した料理コーナーに直行して、次々取り分けたら、結構な量になってしまった。いつもは野菜を先に取り分けるのに、野菜は後回しになった。糖尿病には良くない揚げ物が多くなった。

リーダーは1人だけでも飲み放題できるとお聞きして飲み放題にしたが、若干元が取れる4杯は飲めたが、5杯目は無理だった。ピッチ早すぎました。90分あるのです...

結局60分位で退散。飲みすぎで、速攻休まれて、ほとんど朝まで起きなかったので、相当寝不足が続き、お疲れのようでした。登山に響かないと良いのですが。

私の方は暖房の音が大きくて、途中で止めるまであまり寝られなかった。でも朝5時45分まで寝ていられたので驚きだった。窓を開けたら、夜景がきれい。そういえば今日は展望風呂6時から女性が利用できるので、行ってみた。行ってみたら、通路は寒風吹き曝し、着替えの場所も寒く、外に出たら、はるか遠方まで見晴らせるけれど、衝立も何もなく、洗い場は二人分のみで、しかもシャワーの出が悪かった。先に入られていた若い女性が使い方を教えて下さったが、うまく行かず、温泉をかけて入浴。入浴中に突然シャワーが噴き出していた。それも若い女性が止めて下さった。ありがとうございました。

それから日の出までいたらのぼせてしまうし、朝食に間に合わないので、寒いけれど出て、部屋に戻った。窓を開けたら、ちょうど山の上から日が差し始める所だった。

食堂からも富士山が見えたが、窓際の席はもう埋まっていた。富士山が見えるように少し暗くしています。雲が少しかかっています。放送等が邪魔ですね。夜8時ごろ、何回も火の用心の放送が流れていた。

帰りの通路からはすっかり明けた空に筑波山の女体山と男体山がくっきりと見えた。

朝食もバイキングで、少しずつ色々取り分けて頂いたが、やはり食べ過ぎになってしまった。子供も楽しめるようにコロッケとかお菓子や果物も用意されていた。

部屋でお湯を沸かしてポットに入れて、身支度を整えて、余分な荷物を預かって頂いて、バス停に。鳥居を通る時に、鳥居の中から富士山が見渡せることを発見した。

8時36分発だったが若干遅れた。満員だったらどうしようと思っていたら、ほぼ満員の立ち席の人もいらしたが、ほとんどの人がこの神社前で降りられて、つつじが丘に行く人は少なく、座ることができた。

以前日帰り温泉に立ち寄った時に途中までは行ったことがあったが、つつじが丘は初めてだった。山道をくねくね曲がって、10分ほどでつつじが丘についた。車は結構停まっていた。

北側の丘の方に階段状の登山道が見え、ハイカーが何人か登っているのが見えた。その横には巨大なガマの像が。。。ガマ神社として祀られているようだった。手前には遊園地があるみたいだった。

階段状の登山道が続き、ゆっくり登って行った。風が吹き曝しだったら、と厚着して行ったので、それほどでもなく、日差しも暖かくて汗びっしょり。

登につれ、霞ケ浦の湖面が黄金に光って見えた。写真ではそれほど光っていませんが。

写真のやや左手に、雲がかかった富士山が見えているのだが、分かりにくい。

少し森の木漏れ日の中を歩き、下っていくと、弁慶茶屋跡にでた。以前通った白雲橋コースとの合流点だった。

小休憩して出発。岩が多くなる。すぐに弁慶七戻の岩のところに出た。弁慶でさえ、ここを通るのを逡巡したとか。私たちは前に通っていたから素通り。写真は撮った。

岩場をよじ登るように登っていく。からからに乾いているので、それほど滑ることはなかった。胎内巡りの岩の横に隙間のある岩があった。

ついで出船入船の巨岩のところに出た。こちらは離れてみるだけ。

岩を出船と入船にたとえて、航行の安全を祈願したらしい。筑波山は海の航路からは大切な目印だったとか。それで祀られているのですね。

鎖場も設置されていて、その上に出るとややなだらかになり、女体山に出た。こちらはロープウェイで登って降りる人も多いからか、筑波山の標識が立っていた。

神社の建物脇の小さな太鼓橋を通ると頂上の岩場に出た。リーダーは岩場の上に行って、写真を撮ったのだが、携帯のカメラ、動画になっていたらしい。慌てて切り替えようとして何かトラブルになったようで、動画の再生ができなくなり、写真として切り取ることもできなくなった。残念。どうしたら写真や動画として保存できるのか?調べてみたが今の所どうにもできないでいます。

ということで岩場の山頂の写真はなく、お守りを神社の受付で求めてから、御幸ヶ原方面に足を延ばした。神社の岩に溜まった水が凍り付いていた。

しばらくは稜線に木漏れ日の当たる気持のよい道を辿る。ガマ石のところで若い人たちが口に石が投げ込めないかどうかやってみていた。むかし、私達もやってみたような気がする。

セキレイ石の手前の茶屋で、リーダーがバッジを買い求めていた。その横に設置された大きな錨(いかり)は、大正時代に船乗りが奉納のために担ぎ上げたとか。相当に錆びていたけれど。通りがかりの学校の先生らしい方が子供たちに話しているのをお聞きした。

そのすぐ先はカタクリの里と書かれていた。3月下旬から4月中旬くらいまでカタクリの遊歩道が公開されるようだ。今は閉鎖されていた。

御幸ヶ原に出て、北側の展望。栃木の山並み。

霞ヶ浦方面。

ちょっと急な岩場もある男体山に登る。ハイカーが増えている。

頂上の神社脇に出た。神社の受付などはない。神社の建物の南側が展望台になっていた。

霞ヶ浦が見える。

東京方面の海がかすかに

光っていた。

丹沢の方だが富士山は見えない。

回りの方の話では、妙義山が見えているとのこと。右端は浅間山かしら。

神社は開いていないので、お参りだけして、木々におみくじが結ばれているのを横目に降りる。

そのわきに男体山の標識があった。

すぐ下に風が当たらないベンチが空いていたので、カップ麺にお湯を注ぎ、5分待って頂いた。

ちょうど12時半ごろだった。あまりお腹空いていなかったので、麺とミカンだけ食べて降りた。慣れないグループは登り初めの岩場に戸惑っていた。中には赤ちゃんを抱いた父親もいて、ちょっと心配。子供連れの家族には、ともかくも、よく見たら階段状になっているから、段差の小さい所を選んで登ってくださいとお話しした。

それから、すぐにケーブル乗り場に。切符を買い求めて、すぐに発車と思って急いだら、出発まで少し時間があった。

まだ黄色や赤のカエデが見られた。

宮脇駅に着いた。大正時代に関東で二つ目のケーブルカーだそうだが、途中に長めのトンネルもあり、当時の人たちの敷設の意気込みが感じられた。

階段を下りて神社に抜ける途中の紅葉がなかなかきれい。

こちらの鳥居の所から、ケーブル沿いの御幸ヶ原コースに入るらしい。結構急らしい。

太鼓橋が収められた建物かな?

境内のご神木の大木の前で、ガマの油売りの興行が行われるらしかった。

坂を下りて行き宿に入って、荷物を引き取り、お土産を少し購入して、バス停に行ったが、もう10人ぐらいの列ができていて慌てた。つつじが丘でどのくらい乗るのかしら?30分経ちっぱなしは大変!でも少なく、しかもここで降りるグループもあって助かった。夕方になったら座れなかったかもしれませんね。

熟睡して、つくば駅に。まっすぐ、つくばエクスプレス駅に向かい、すぐに発車の快速電車で秋葉原へ。

お天気に恵まれ、予想したよりは風もなく、暖かい一日で楽しく筑波山に登ることができました。残念ながらリーダーは沿線の火災事故の影響で電車がストップしたり遅延して、大変だったそう。私の方は、足の具合が悪化することもなく、ケガもなく帰宅出来、よい一年の締めくくりになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2024.11.30鶴巻温泉―吾妻山・弘法山・権現山・浅間山―秦野

2024-12-03 | ハイキング・登山

11月30日までに小田急の乗車券を持っていた友人に付き合って、春に孫たちと歩いたコースを再度秋に辿った。普通は秦野から鶴巻温泉でゴールして温泉に浸かって帰るコースが一般的だが、秦野から権現山への登りがややきついので、私は逆コースの方が楽かなと思って、友人にもこちらからと申し入れた。

以前は秦野にたどり着いたのが4時近くになっていたが、もう歩けないという孫をなだめながらの歩きだったからもう少し早く戻れるかなと思っていた。でもアップダウンは多いですね。

友人がちょっと勘違いなさって、予定の直行電車に乗れず、町田で乗り換えて、予定より少し遅れて鶴巻温泉に着いた。以前陣屋の先に進んでしまって、少し大回りしてしまったので、陣屋のところで間違わないように、左折。念のため、近くにいた高齢の方に確認してから進んだ。標識などはない。左折していくと東名高速の上を渡る陸橋にすぐ出た。

途中の傾斜地のコウヤボウキの花

渡って左手に進むと見覚えのある畑の脇の道に出た。標識も出て来た。

まだコンクリートの坂沿いに、以前アケビが咲いていたと思ってみたが、それらしい実は見られなかった。

テンニンソウの種

ナンテンハギのブルーがきれい。

それから、土の道に入るとすぐに以前あった農家の野菜?売り場があった

今日は銀杏とささげ、ピーナツ(殻が向かれていた)と干し柿(ちょっとまだ半生状態で、家で干すように紐付きのままだった)が出ていて、私はそういえば春に買ったささげをまだ使っていなかったなと思って、干し柿だけ購入。少々重かった。

さらに軽く登るうちに、吾妻山に到着した。見晴らしがよい。

東屋は満杯。

大きな木の黄葉が見事。

横のベンチ小休止してから、善波峠方面に向かう。

平らな道が多いが多少のアップダウンがある。木漏れ日の気持のよい道を坦々と進んだ。逆方向からのハイカーが続々通って行った。若い人も多い。

やっと自販機の置かれている善波峠に出た。

そこの銀杏がすっかり色づいていた。

すぐに弘法山だったかしらと思ったが、少し登り降りして、銀杏の強烈なにおいがすると思ったら、大師堂の脇に出た。銀杏が沢山落ちていたが、誰も拾う人はいなかった。ちょっと熟していて、匂いがすごいし、多分粒も小さいですね。

地図読みのイベントの人たちが必死で地図と樹木の位置などを調べていらして、しばらくしたら一斉に走り出した。時間を競っているようだった。

弘法山の頂上は風が吹き抜けて結構寒い。

展望台設置工事中でまだ入れなかった。

ベンチが空いたのでそこに陣取って遅めのお昼にした。私はお湯を持って来て、味噌汁など作って頂いた。おにぎり、冷たいとつっかえそうになるのだが、今日は暖かいみそ汁のせいか、つっかえることなく食べられた。

友人からずっしりとしたパンも頂いて、先ほどの干し柿もお毒見したので、お腹はパンパン。

坂道の途中にトイレがあって入ったが、外側の見た目よりもきれいな水洗トイレだった。

ノアザミかな?

その少し下側に友人がアキギリ系の紫の花を見つけたが、名前が出てこなかった。アキノタムラソウの差生き残りで一段しかないのかなと思ったが...

そのわきの林には赤い外側に黒い実が沢山生っていた。名前何かしらと、念のために裏側に回り込んだら、標識が付いていて、ゴンズイと書かれていた。

反対側にはモミジが多く、小さなモミジが真っ赤で、若者があれがきれいでは?と話していた。見てみたら日の光に照らされて、殊にきれいに色づいていて、確かに!と思って写真を撮った。若い男の子でも、モミジを愛でるのだと、感動?

ドウダンツツジの大木も真っ赤。

坂をさらに下って行った。確かそのあたりに前に春リンドウか何か咲いていたような気がしましたが。そのあたりに熊出没の標識が...

今日は人通りが多いから心配なさそうですが。馬車道の広い道の脇、黄葉紅葉の木の間に、小ぶりの柿が生っていた。柿の実を食べに来たのかなと、見たが、よじ登った爪痕は見当たらなかった。10月末に出たらしい。

以前お昼を頂いた桜の木の園地のあたり、崖に近い方のベンチに行ってみたら、富士山の見晴らしがよかった。以前は気づきませんでした。

今度は坂道を登っていくと、権現山の展望台のところに出ました。そのあたりも階段脇に紅葉にモミジやドウダンツツジがうえられていて、黄葉がきれいでした。ピクニックの団体が何組かテーブルを囲んでいました。

新年会に良いかなとも思いましたが、駐車場は近いのですがバスはないし、歩いて秦野に出るとなると、急斜面を下りないとならないので、酔っ払いにはちょっと危険ですね。もう少し緩い道とかバスが近くまで来ているとかでないと、飲み会には向きません。

広場の回りには桜と一緒にモミジも植えられていて、なかなかきれい。

展望台に上がったら富士山頂上付近は雲がかかっていたがきれいに見えていました。一周する間にも雲が切れてきて、ほぼ頂上が見えるようになった。写真撮ったりしてさらに一周。さらに雲が取れてきました。

それから展望台を下りて、すぐわきの丸太の階段状の下山道に入った。ひたすら階段を下りて行って、道路と交差したところに出た。道路を通ったら?温泉施設に出るようだった。そこまで行けばバスに乗れるのかな?

少し登り返すと浅間山でした。

その少し降りたあたりからは富士山の展望が又見えたのですが、カラスの巣が近いのか、カラスの大群が滑空していました。人に危害をくわえるようなことはありませんでしたが、繁殖期はどうなんでしょうね。

ジグザグの坂を注意してひたすら降りて、やっと登り口の標識のある、小川の脇に出た。

川を渡ったところに大きな標識があったが、公園入口と書かれていて、こんなに急な道と思わず、登ってしまう人がいるかもしれないと心配になった。高齢の杖を突きながら登ってきた方もいらしたから。

葛葉川から丹沢方面

今日は先行するハイカーがいなかったが、記憶をたどって、万葉の湯のホテルの横を通り、大きな川(水無川)に出て、河川敷の遊歩道に降りて歩き、3つ目の橋のところで上に上がったら、ちょうど駅の真前でした。

ただ、秦野土産を買い求める場所が見つからず、何も買わずに家に帰りました。鶴巻温泉の駅前にお土産屋さんがありました。

秋もカエデやドウダンツツジが多く、楽しいコースでした。ストック出さなくて、ちょっと足に来ました。

 

 

 

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2024.11.1榛名山と伊香保温泉

2024-11-03 | ハイキング・登山

11月山予定は後半に立てていたのだが、リーダーの仕事の都合で1日に前倒しになった。普通は連休のあたりは避けるのだが。天気予報があまり良くない。

会社には金曜日午後休で届けていたのだが、予定表は全日休になっていて、確かめたところ、届け出は午後休だったが、間違えたとのこと。全日休も可能と言われて、お言葉に甘えて、朝から出発することにした。もともと午後の利用者の方は入院されて、午後は仕事がなくなっていた。

今回は近いということで新幹線利用はせず、リーダーと待ち合わせて、湘南新宿ラインんで高崎に出た。

予定より一本早い電車に乗れて、早めに到着して正解だった。高崎でトイレに寄っていたりしたら、8:30発の榛名湖直行バスにギリギリになってしまったので、予定の電車だと大変だったわけ。バスターミナルには2階のデッキからロータリーに降りるようになっていたが、1Fに出てしまったので、道路を横切ったが、警備員さんも見逃してくださった。すみません。

雨具やケガや遭難に備えた物品で、ザック軽くしましょうと言ったのにも関わらず、相変わらず重いザックで、とても2Fに戻って大回りする気持ちにならなかった。朝4時過ぎに起きて、寝不足だし。

バスは市内を抜けて田園地帯を通り、かなり奥の方だが開けた街を通り、山の中に入って行った。あたりの紅葉はまだ進んでいなかった。以前榛名湖の外輪さんを巡った帰りにこの道は通ったはずだが、ほとんど寝ていたのだろう。何も覚えていなかった。榛名山神社の入り口を通って、見覚えのある天神峠(以前ここからバスに乗ったのでした)を通り、まもなく榛名湖バス停だった。

榛名富士が湖面に映っていた。

待合所も何もないバス停で、ここでバスはUターンして、高崎に戻って行った。ここにも伊香保温泉からゆうすげの湯に回るバスが停まるらしかったが、バス停の時刻表など見ることなく、湖面に映る榛名富士に感動して写真撮ったりしてから、道路わきの遊歩道を歩きだした。落ち葉が溜まっていて、靴底には心地よい。榛名湖を見渡して、ロープウェイ乗り場まで遠いわね、と言いながら歩く。スワンボートの乗り場が近くにあった。一応営業しているようだった。

途中でバスが通り過ぎて行った。もしかしたら、接続の伊香保行きのバスがあったのかもしれなかった。最初こっち迄、そのバス路線が通っていることに気が付かなかったのだった。

しばらく進むと、湖側の柵に、ホタルの生息地だから、水辺に入らないようにという注意書きがあった。ゆうすげの季節にホタルが見られるのかもしれないと思った。

湖ではボートに乗って釣りをしている人たちも少し見られた。

湖岸から少し離れて、駐車場のようなところを横切るとテニスコートの前に出た。伊香保からのバスはちょこちょこをこの辺に停まるようだった。本数は少ないけれど。

葦原があって、その間に木道があったが、入っていいのかどうか分からなかったし、午後雨かもしれないと思って先を急いでしまったのだが、しばらく進んでビジターセンターが見えて来たあたりに、木道が通じていて、そっちを歩けばよかったと思った。ビジターセンターの近くのドウダンツツジは真っ赤だった。

馬がいた。

このあたりの紅葉はかなり進んではいたが、まだ緑色がかった葉もあり、もう少し後の方が鮮やかになりそうだった。途中馬を引いた人が歩いてきて、一時並行して歩いた。馬糞などは落ちていなかったけれど、ちょっと気になった。

やや右折気味に歩いて、ロープウェイ駅に出た。ロープウェイ駅の前にはやや年季の入ったお土産屋さんが3~4軒並んでいた。

ロープウェイ駅の入り口に人々が並んでいるのにはびっくり。

バスでやって来た一団のようだった。私はその横の方に登山口があり、約1時間程度で登れるから、登る気まんまんだったのだが、リーダーは仕事疲れだったのか、雨が心配だったのか、ロープウェイで登ろうと言って聞かない。最初晴れ渡っていた空に雲が広がり始めて来ていた。確かに雨も心配だった。

それで、ロープウェイ券を買い求めたのだが、せめてゆうすげの湯の方に降りる下山道を辿ってみようと提案したが、とにかく急いで、雨の降らないうちに伊香保観光もしたいということで、結局往復券を購入した。

ロープウェイの列はなかなか減らない。よく見たら、2本のケーブルごとに2台の箱がそれぞれ往復しているだけで、循環型ではなかったのだった。結局4台が稼働していただけで、一台には10人弱乗れるようだった。

しばらくしてやっと乗れて、動き出す。小さいし、距離も短いけれど、逆になんだか不安になってしまった。でもアッという間に頂上近くの駅に到着。

降りると展望台になっていて、富士山も見えるらしかったが、今日は雲があって見られなかった。

マユミの大木にピンクの実が生って、花のよう。

その横を通って、富士山神社に階段状の道を登っていく。登りだすあたりに、榛名山山頂と書かれた標識があったのだが、写真を撮りそこなった。展望も何もない所だったので。

神社近くにニシキギの実が生っていた。葉はまだ真っ赤ではなかった。

アザミが咲き残っている道を辿ると、富士山神社に出た。白壁に赤い柱の神社だった。

お参りして、横の広場の方に降りた。

展望図が置かれていて、左端に谷川岳、日光白根山とか赤城山などが書かれていた。

神社の前のドウダンツツジは見事に赤かった。

反対側の参道の方で、ゆうすげの湯に出る下山道の入り口を探して、しっかりした登山道を確認したが、天候悪化を心配して、やっぱりロープウェイで降りることにした。

広場で登山道から登っていらっしゃった2人組の方がいらっしゃった。登山道を確認してみたら、割と広くてしっかりしている様子だった。

それから最初に皆さんが立ち寄っていた広場に出て、もう一度景色楽しんだ。右手に浅間山らしい姿が雲の下に見られた。初冠雪のころならはっきりわかるのだが。。。外輪山の紅葉がきれいなのだが、雲が多くなってきたせいか、カメラでは色が良く出なかった。

真ん中辺に富士山らしいが見えない。

ロープウェイは、人がある程度集まってから発車のようで、少し待つ。風が通ると結構冷たい。先頭に近かったので、前側に陣取り、眼下の榛名湖を楽しんで降りた。

あっという間に、下駅に着いた。このロープウェイ駅には食べ物屋さんやお土産屋さんなどは何もない。トイレは上駅にも下駅にも設置されていたが。

バスの時間を見たら、まだ50分位あったので、座るところを探して、カップラーメンを作って頂いた。5時前に簡単な朝食だったからお腹ペコペコ。美味しく頂いた。

目の前に乗馬のお客さんを待つ馬が三頭繋がれいたが、私達がいる間には利用者はおらず、狭い場所に繋がれていて可哀相になった。でもお金かかるし時間もないから乗ってみることができなかった。

早い時間にゆうすげの湯行きのバスが通って行った。予定の時間より若干遅れて、伊香保温泉行のバスがやって来た。自動車が結構通っていたから、渋滞気味だったのかしらね。

ゆうすげの入口を経てメロディーラインには気づかないまま、相馬山の近くを通り、ヤセオネ峠を経て、山の中のくねくね道に入る。相馬山と並んでいるのが二ツ岳のようだった。最初は伊香保のロープウェイから、そこに登ろうかと計画したが、人が少ないかもと思い、意外に榛名山が近いことを発見して、以前榛名山の外輪山を回ったので、中央の榛名富士に登ってみようということになったのだった。

車窓から見るカラマツはまだ緑色が残っていた。

ずっと二つの山(相馬山と二ツ岳)が見えていたが、いろは坂を思わせるくねくね道を降りていくと、それらの山は見えなくなり、高根展望台の開けたところを通り過ぎる。

さらに下ると長峰公園入口という所を通った。この辺のバス停はバス会社によって異なり、またコミュニティバスも数路線走っていて、バス停もその名前も違っているのでややこしい。

伊香保というバス停を経て、石段街口に着いた。運転手さんに、ホテル松本楼の近くで降りたいと伝えたら、「ちょうど真ん中辺だけど、登る方と下る方とどちらが良いか?」と聞かれて、もちろん下る方をお伝えしたら、榛名登山口で降りるように言われた。すぐに八千代坂下バス停で、次が榛名登山口バス停だった。降りて緩く下っていくと、近くにファミマがあり、温泉まんじゅうの店があった。その先に左に入るやや急な坂道があった。あんまり下だと嫌だわ、と思いながら降りて行ったら、スナックの先にその昭和レトロな旅館の入り口があった。近くて良かった!

まだ早いけれど、宿に荷物だけ置かせていただこうと入って声をかけた。従業員の方が出ていらっしゃって、荷物を預かって頂いた。サブザックに雨具をいれて背負い、先ほどの道を後戻った。緩やかな坂を登っていくと、バスで通った石段街口に着いた。

けばけばしいいかほの文字だが、皆さんここで写真撮影。自撮り用スマホ台が設置されていた。

階段脇のコマツナギ。くずの花かと思って近づいたら葉も花も小ぶりで違っていた。可愛らしいですね。ツルが駒をつないでもおれなくて丈夫というので着いた名前らしい。

石段街の説明が書かれていた。

365段の階段に戦々恐々だったが、5段目、25段目などとプレートがはめ込まれていて、踊り場ごとにお店があったりするので、思ったよりは楽だった。

直ぐのところにあったクレープ屋さん、地元の素材を使っているとテレビでやっていたので、つい注文してしまった。ミーハーですね。まあ量も多いので半分こにしましたが。なかなか美味しかったです。リーゾナブルな旅館の食事の量は多めと口コミに書かれていたので、昼は軽めにしておかないとね。

最後の365段目で伊香保神社に出た。

手水鉢にはムラサキシキブなどがいけられていた。

神社に回り込んでお参りする。

裏手のドウダンツツジは真っ赤だが、伊香保の方の黄葉はまだこれからのようだった。先に緩く下る道があり、湯元の露天風呂の方に行く道のようだった。

緩く上り坂になり、ホテルなどが崖地に並ぶところをさらに進むと赤い橋が見えて来た。河鹿橋らしい。紅葉橋とも呼ぶらしく、紅葉の名所のようだったが、楓の色づきはまだまだだった。

橋の奥の方に、少し前にテレビ(相葉ヒロミの番組―伊香保というのでたまたま見ていたのだった)で整備するところをやっていたお不動様が設置されている場所に出た。

テレビでは写していなかった場所にもリンドウや白いイワシャジンなどが植えられていた。

奥の広場のようなところのカエデは少し色づいていた。あとで気づいたがそこを横切ると飲泉所の前に出られるようだった。

驚いたのは広かった階段の3分に2くらいを使って茶店?ができていたことだった。階段の上部はテーブルと椅子が置かれていて、飲食できるみたいだった。商魂たくましいですね。

この左手に入っていくと、温泉水が飲めるところがあった。こちらの源頭は、黄金の湯の方で鉄分が多いらしい。一口なめてみたが鉄分と何か複雑な味がした。

さらに緩く登っていくと、脇の崖から水が流れ落ち、道路は赤茶けたりしていた。

 

 

2か所の温泉が流れ出ている場所はかなりの水量に見えたが、源頭という所の井戸のような場所は、それほど強い流れのようには見えなかった。

その先にはラドン発見場所の碑が設置されていた。

研究者の銅像

その手前に露天風呂の入り口があったが、写真撮らなかったようだ。

それからあと戻ったが、途中でコミュニティバスから数人が降り立っていた。バスを探せば、歩かなくても来れるのでした。

その後石段を下りて、行きがけにはスルーした関所とハワイ王国公使別邸を見た。

ハワイ王国公使別邸

南側

下側の庭園のカエデは少し色づいていた。

そのあたり公園になっていて、植え込みのつつじが狂い咲きしていた。

イワベンケイも咲いていた。

石段歩きで、足が痛くなってしまい、バス停広場の所の休憩所で少し休んだ。パンフレットなどを頂いてから、宿の方に移動した。

旅館の温泉は24時間は入れるとのこと。白金の湯を引いているとのこと。大きい浴槽ではないものの、2~3人は入れるお風呂で気持ちよかった。循環式らしいけれど。早めに入ったので、空いていた。驚いたのは、夕食の時間が迫ったら、お料理が沢山並べられ、ほぼ満員だったこと。連休前の金曜日だからでしょうか?明日は天気悪そうなのですが。平日割引で少し安かった。

食事も器は家庭的なものだが、しっかり色々頂けて美味しかった。朝も和食だが、これまた自分の普段の食事の3倍くらいのおかずが付いていて、味も良かった。朝も入れたてコーヒーを勧めて頂いた。インスタントではないし、瀬戸物のカップで頂けて、うれしい。

ただ朝風呂に入った後、右手の親指が腫れてしまった。この間木を伐りすぎて炎症を起こしていたのが少しおさまった状態だったのが、温泉成分の影響か温度の影響か、腫れたらしい。そういえば昔、手を岩にぶつけて痛かったのに温泉に入ったら腫れて酷くなったことを思い出した。単に温めすぎたたせいかもしれませんね。

そういえばテレビで傷に良い温泉と、疲れを取る温泉と2種類の温泉を使い分けていた武将がいたと言っていたような気がした。泉質によって効果はいろいろなのでしょう。

昨日のうちに観光もできたので、9時58分の渋川行きのバスで帰る予定で、今度は、下る方の見晴下というバス停から乗るように出発した。雨も土砂降りではなく、傘を差せばしのげる程度で助かった。

突然時間前にバスが来た。群馬バスではなく、関越交通のバスだったが、確かに渋川に出るというのでそれに乗り込んだ。渋川に着いた後、そのまま赤城自然園に向かうとアナウンスされていた。予定の電車より一台早い電車に乗れて、新前橋で同じホームで高崎行きの電車に乗り換えた。両方でたった5駅くらいなのだが、交通費は大分高くなった。高崎直行バスはもっと高いから、トントンかもしれない。予約が必要だし、遅い発車だったので、直行バスには乗らなかった。

高崎駅で、湘南新宿ラインに乗り込み、2時間近くかかったが、無事に新宿に着いた。

初めて伊香保温泉を見学することができました。宿の前に立っていた大きなホテルらしい建物、夜見たら真っ暗だったので、廃業したらしい。廃墟にならないと良いですが。大きな温泉地は、団体旅行が減ってから、経営が大変で、コロナの頃に廃業したホテルや旅館も多いですね。伊香保も大きなホテルが多いから、大変だろう。多少外国人も見えたが、裏磐梯ほど多くはなかった。

まだ草津も四万温泉も行ったことが無い。いつか行ってみたいですね。できれば源泉かけ流しの宿に。でも源泉かけ流しと言って清掃を怠ったら、レジオネラ菌などが増えた旅館もあったから、源泉かけ流しというだけでは安心できませんね。温泉は流さない方が良いと書かれていたが、やっぱりきれいな水で洗った方が安心です。

渋川駅の待合室には女子高の生徒の作品の座布団が置かれていた。

ホーム待合室もレトロに仕上げてあった。

新前橋行の電車

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2024.10.20.裏磐梯五色沼

2024-10-23 | ハイキング・登山

宿の方に、五色沼も興味があるけれど、時間的に難しいかもしれませんね、とお話したら、入口まで送ってくださって、反対側の物産館のある出口に迎えに来て下さり、さらに駅まで送ってくださるとのこと。五色沼には興味ないとおっしゃっていたリーダーも、荷物は車に乗せて置いて頂けるということで、同行して下さることになった。

朝は基本通りの8時からで、ロールパンに、ソーセージにベーコンやハム、チーズなどにゆで卵のマヨネーズ和え(ただのマヨネーズではないみたいで美味しかった)に野菜サラダ、ミネストローネにヨーグルトのフルーツ缶和えが付いて、牛乳やジュースやコーヒーも自由に頂けた。

おかずがたっぷりだから結局パンのお替りも頂いてしまった。カロリーオーバー。さすがにジャムは使わなかったけれど。

それから準備を整えて、9時に車に乗せて頂き、五色沼の毘沙門沼の入り口で降ろして頂いた。11時に迎えに来てくださるそうだ。4キロというし、2時間もあるから時間たっぷりだと思っていた。宿のご主人が、岩もあるので、こんなところで怪我をしないように気を付けるようにとおっしゃる。

入口の道の駅らしい野菜なども売っているらしいお店の前は結構な観光客で賑わっていた。階段を下りて沼のほとりに出たが、スイスイとは歩けなかった。ぞろぞろと観光客の後を歩いて行く。中国語を話す人が多かったけれど、色々な国の方が見えていた。

今朝は冷え込んで、朝少しストーブもつけさせていただいたくらい。風が冷たい。ヤッケの下に薄手のユニクロのダウンを着込んできてよかった!

毘沙門沼はかなり大きくて、大分歩いてもまだ毘沙門沼だった。

鯉がいた。赤い大きな鯉に見とれた。あとから分かったが、白い魚体に赤いハートマークがついた鯉がいるらしい。残念ながら気づかなかった。

木道もある。

途中の赤い木の実。オオカメノキ

こちらは葉が細い。アキグミらしい。初めて見た。

しばらく森の中の道を軽く登りながら歩く。赤沼まではちょっと距離がある。沼は少しも赤くなく、周りに草が茶色になっていたが沼の水は青かった。宿のご主人に話したら、最近は赤くならずに草の茶色などと青といろいろに見えるそうだった。

それからまたしばらく進む。

みどろ沼とあった。水草の生え方などで、いろいろな色に見えるらしいが今日は青々としていた。

またしばらく森の中を歩く。所々沼のようなものが見えていたが、特に標識はなかった。

弁天沼に出た。展望台のようなところに登ると、吾妻山系が見渡せた。

弁天沼は2番目に大きいらしい。しばらくふちを歩くとるり沼に出た。

そのあたり渓流の流れがすごかった。流れ込んでいたのは青沼かな?るり沼は反対側だから。

青沼は本当に青々としていた。ほとりにも出られるようだったが、写真撮ったりしていたら、出口の物産館まで結構時間ギリギリで、そのまま通過した。

そのあたりだったか、楓のような葉なのに、赤い大きめの実が沢山生っている木があって、皆写真を撮っていたが、誰も木の名前が分からなかった。家に帰って調べたら、カンボクの木だった。実が1センチくらいあって見事だった。

それからしばらくまた森の上り坂を歩いて行くと、最後の柳沼に出た。

細長い沼で、出口近くの対岸に真っ赤な木があって、湖面に姿を映していた。皆さん写真を撮っていらっしゃった。

ノイバラの実が色づいていた。

出口近く、駐車場側に見えた沼は、後から見たら母沼というらしい。

階段沿いにはノコンギクが沢山咲いていた。植栽されたのかな?

物産店のトイレをお借りし、売店を見て、リンゴを試食したら美味しかったので、買い求めた。小ぶりだが7個くらい入って700円。我が家の近所ではリンゴも相当お高くて、しかも味はいまいちが多いのだった。

無事にピックアップしていただいて、猪苗代駅へ。裏磐梯の繁華街?を抜けて田園地帯を通り、駅に出た。今日も磐梯山はくっきり見えて、今日登れれば最高だっただろうと思った。明日朝早くから仕事なので(コロナで長く休んでしまったので、休暇を取るのが難しかった)仕方ありません。ただ昨日は暴風雨だったが、気温が高かったので、薄着でも低体温症にもならなかったが、今日は防寒着がないと大変だっただろう。上の方は、霜が降りたかもしれないそうだ。

猪苗代駅

残念ながら、猪苗代湖には行かれませんでした。駅からちょっと離れていますから。

駅には売店もなく、土産物屋も少し離れていて、時間が心配なので、待合室で時間待ちをして、磐越西線に乗り込んだが、結構混み合っていたが、何とか座れた。

ウトウトして郡山へ。こちらでも少し時間があったからお昼でも食べようと、駅前のアーケードの方に移動したが、実にさびれてしまっていて、開いている店が少なくて、駅に戻った。駅の端にレストラン街があったが、混んでいて、時間が足りなくなるので、新幹線ホームの中の待合室で時間つぶし。サンドイッチを買い求めて昼食とした。朝食べ過ぎていますからね。

ということで、磐梯山もなんとか頂上近くまでは登れて、五色沼自然探勝路も歩くことができ、思ったほどの土砂降りには合わず、楽しい2日間になりました。ペンションのご主人、ありがとうございました。

そうそう、弘法清水小屋の方、毎日午後3時ごろに下山なさって、翌日また登られるのだとか。すごいですね。まあ、私達でも小屋までは2時間半くらいで登れたのですから若い人にとってはそれほどではないのでしょうかね。

泊まらせていただいたペンションそらでは、西大巓から西吾妻山(100名山だそうだ)の登山口まで送ってくださって迎えに来ても頂けるそうだ。今度ぜひ登ってみたいですね。安達太良山の沼尻登山口までなら迎えに来てくださるそうだから、岳温泉から登って、沼尻に降りて、こちらのペンションにお世話になることもできますね。

厨房の上は、子供の遊び場になっているようだったから、子供連れも楽しいだろう。スキーシーズンにはもちろんスキー場まで送っていただけるようだった。乾燥室が完備されていた、

とてもお世話になったので宣伝させていただきました。皆さんも良かったらご利用くださいね。

 

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磐梯山2024.10.19

2024-10-22 | ハイキング・登山

天気予報が晴れのち曇りくらいからどんどん悪くなっていったのだが、当日は意外に午前中は晴れだった。予報では午後から雨なのだが、ちょっと信じられないような天気。それでつい、磐梯山に登りだした。

夜行バスは往復利用しかなく、出発が早いので、私達の足では間に合いそうになかったため、利用を諦めて、新幹線で郡山に出て、磐越西線に乗り換えて、最初は磐梯町からタクシー利用で、八方台登山口に出る予定だった。下山後登山口まで送迎して下さる宿を探して、予約していた。

一週間前になって、確認の電話を入れたのだったが、翌日あたりに「悪天候の予報だが、決行でよいかどうか?」のお電話を頂いたときに、タクシーで八方台に出るので、登り始めが10時過ぎになるので、下山が遅くなりそうだとお話ししたところ、少しでも早く登山口に着くように、なんと猪苗代駅まで迎えに来て下さり、八方台登山口まで送ってくれて、下山時にも迎えに来てくださるという。ありがたいお話につい、甘えてしまった。

猪苗代駅ですぐに宿のご主人を見つけて、ワゴン車に乗せて頂いた。磐梯山はくっきり晴れ渡った空に見えていた。とても午後雨とは思えない天気だった。

余談だが、学生時代に裏磐梯来たことがあった。確か雄国沼に行った時に帰りに裏磐梯に出たと記憶している。その時に五色沼にも寄ったのだったが、果たしてどこにとまったのか、まったく記憶がない。まだ新幹線もない時代だし。夜行列車を使ったのかな?苦労して登ったのに、すぐ近くに自動車道があって、ガッカリしたのだった。

猪苗代駅前から米沢猪苗代線を通り、五色沼入り口の物産館のトイレを使わせていただき、会津若松裏磐梯線(磐梯山ゴールドライン)から八方台登山口に出た。道々のブナの黄葉が見頃だった。

八方台登山口には9:50頃到着。写真を撮って頂いたりしてから、いざ登山開始。余分な荷物は預かって頂けた。

送迎車の中で、ヤマレコをセットしようとしたら、ダウンロードしていたコースが古い方だった。慌ててコースの変更をしようとしたが、登山開始した後でないとできないと出て、アタフタ。なんとか変更できたらしい。コースをたどり始めて、間違っているとはアナウンスされなかった。よかった!

今回は悪天候のことも考えて猫魔ケ岳の方もコンパスに登録してしまったので、下山通知をちゃんと出さないとね。(コンパスのキャンセルの仕方が分からなかった)

今回私はストックを忘れてしまった。今日は私はザックも軽めなので、大丈夫だろう。岩場はストックない方が良い事もあるし。

帰りは中の湯跡あたりなら電波が入るから下山してきたら宿に連絡入れるように言われて、中の湯に出たら、壊れかけの廃業した温泉宿の建物が2棟見えた。あたりは硫黄の臭いがして、温泉だったのか、水?が溜まった池のようなものが見えたが、天候が気になるので、素通りして、弘法清水という標識に沿って、細い登山道を登って行った。細かったのはちょっとの間で、まもなく車が通れるくらいの道になった。階段状に整備されていたり、木道があったりしたが、地味に淡々と登りが続く。ブナの黄葉がきれい。白樺の幹が日に照らされて光っていた。

もう降りてくる人も何組か見られた。5時ごろから登ったら、晴れ渡っていただろう。早く登れれば良かったのだが、前日夕方まで仕事だったから、前泊は無理。月曜も私は朝から仕事だから、早めの時間に帰るように時間を決めたので、日曜日に登るのも無理だったのだ。

ということで、多少大きめの岩もある道を坦々と登って行った。途中檜原湖が良く見える所や、爆裂火口跡が見える場所もあった。少し登ると、檜原湖の他にも湖が見え、さらに登ると檜原湖から秋元湖まで見渡せた。中の湯を過ぎてから風が強くなって、登るにつれ風はさらに強まった。

山肌を撒くように一度高度を下げて、また登りになり、笹の間の道を辿る。所々の紅葉が鮮やかになって来たが、なかなかお花畑との分岐に着かなかった。もう12時過ぎ。途中で雨も降りだしてしまった。

雲がかかった頂上部とナナカマドの実

やっと12時半ごろ弘法清水の小屋のあたりに着いた。

小屋の前から見た櫛が峰

雨はさほどではなかったので、重いザックを茶屋に置かせていただけないか伺って、預かって頂いて登りだしたのだが、レインカバーをしていて、サブザックを取り出すのを忘れてしまった。中に入れて頂いたので、あれこれ言うのもどうかと思って、空身で出発。慌ててレインウェアを着こんだので、下は半袖一枚。頂上付近、大丈夫かしら?お水も少なかったので、弘法清水を汲んで登り始めた。飴一個くらいはポーチに入っているかもしれなかったけど。往復1時間位ある。ちょっと不安にもなってしまった。

ともかくも細い登山道を登る。それほど息切れしなかった。少し登ったり平らになったりして展望の良いところに出た。

頂上部がうっすら見える

幸い霧が晴れて、檜原湖の方に雲がかかるのが見渡せた。海外からの二人連れが写真を撮ってくださったので、私達も彼らの写真を撮って差し上げた。それからまた登るが、風雨がどんどん強まってきて、降りてきた方に伺うと、まだ頂上まで10分かかるようだった。リーダーは送迎の方をあまりお待たせしてもいけないし、この風雨では頂上も真っ白だろうということで、13時ごろに折り返して下山することにした。

帰りに写したロープ部

降りていく中で次第に雨は弱まり、展望地で再度写真をとり、ひたすら降りて、弘法清水に着いた。お茶屋さんには台湾からの団体さんがお昼を召し上がっていた。飲み物などを頼んで、お弁当を食べたようだった。中国語ということは分かったが、話の内容はちんぷんかんぷん。でも皆さん無事に登頂したのかな?途中で合わなかったような気がするけれど。

私達も場所を開けて下さったところに座って、カップラーメンとなめこ汁、手作り生チョコを頂いた。リーダーは二種類の山バッジを購入。

30分ほどで、下山開始。ここは小屋の横にトイレブースはあるがトイレはない。携帯トイレをブースで使う形だ。それで利用はしなかった。

お花畑も興味あったのだが、霧が濃くなって、展望は見込めないし、迷うと危ないので、来た道を戻った。雨で滑りやすいから気をつけながら降りるから、少し時間がかかった。

帰りに写した崩落部らしい場所

カラマツソウが一つだけ咲き残っていたが強風でぶれてしまった。

中の湯にたどり着いて、宿の方に電話をして、普通は30分で登山口なのだが、40分位はかかると思うとお伝えした。電話してすぐに足が攣れてしまって、慌てて薬を飲んだ。幸い酷くはならず、すぐに回復したので良かった。

磐梯山頂への標識(これとほぼ同じ標識が頂上にあるようだった)

ツルリンドウの実

雨も大したことはなくて、最後はほぼ止んだ。中の湯までは結構風もあったのだが、その下は殆ど風もなく、地味に登ってきた道を地味に降りて行った。

行きに池が見えたと思ったあたり。

木道も見えて来た。

苔もきれい。

16時少し過ぎて登山口にたどり着いた。すでに迎えの車が付いていたので、すぐに乗って、宿に向かった。檜原湖から曽原湖の方に向かったあたりで、熟睡してしまって、気が付いたら、宿の前だった。

靴洗いがあったので、どろんこの靴を洗い、宿に入った。まだそれほど寒くはなかった。

荷物を整えて、お風呂に入らせていただいた。足が十分に延ばせる大きさの浴槽で、熱めのお湯で、疲れが取れるようだった。

6時からの食事は食堂で高い屋根が開放的な空間。テレビにはご主人が取られた裏磐梯の自然の写真が流れていた。ジャズがバックグラウンドミュージックとして流れていた。手の込んだ前菜に、サラダ、取れたてのトウモロコシのコーンポタージュが自然の甘さで美味しかった。前菜のアスパラに生ハムの取り合わせが、なかなか美味しかった。

次は白身魚のバターソテー。付け合わせはインゲンとひよこ豆など。程よいお味で美味しい。そしてふとメニューの札を見たら、ステーキまで出るようだ。その上、チョコレートケーキと書かれていた。

ステーキは小ぶりだが、とても味の良い牛肉で鉄板の上に出て来た。人参の小さなグラッセを上げたものとジャガイモの上げたものにブロッコリーが付いていた。

実は私がうっかり日本酒の会津誉の名前に惹かれて、頼んでしまったのがいけなかった。よく冷えた日本酒を頼んだら小さい瓶毎、出されて、私はグラス一杯だけ飲んだだけだが、美味しくてぐいぐい飲んでしまって、危ない状態になっていた。そうそう食前酒の梅酒も頂いていたのです。

学生時代の友人の実家が蔵元だったそうで、今は手放したそうなのだが、たしか会津誉と言っていたような気がしたのだった。

それでチョコケーキは遠慮しますとお伝えしたのだが、軽いものですからと言われて、そのままお願いしたら、立派なケーキに小粒だがイチゴが二つと生クリームが少しついてきた。紅茶もついてきたので、ついつい美味しく頂いてしまった。半分のサイズにしていただいたら良かったわ。

食べ終わって、2階のお部屋に戻る途中で、私はめまいを感じて、部屋に駆け込みそのままバタンキューと相成りました。この頃寝酒としてお酒飲むことが無くなったので(あまり寝酒の意味が無かった)お酒に弱くなっているみたいだった。

しばらく休んだら、体調は大丈夫そうだったが、12時ごろまで、心臓はドックンドックンとして、今度は余り眠れなくなってしまった。

まあ、何とか眠って、朝は6時ごろに起き出した。幸い筋肉痛は起こらなかった。

五色沼編に続く。

 

 

 

 

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