新 風のふくままに 

写真付きで日記や趣味を書く。プロフィールを変えました。

坪山の遭難事故

2017-12-26 | ハイキング・登山

今朝、山梨の坪山で70代の方々が心肺停止状態で見つかったとの報道があった。坪山ってヒカゲツツジで有名で4、5月頃はハイカーが殺到するポピュラーな山なのだが、どうしてかしらと思っていたら、見つかったのは東斜面だったという報道。

3人とも死亡が確認されたそうだ。ご冥福をお祈りいたします。

確か、私たちが以前行った時、東コースは岩場の難コースだから初心者は西コースを登るようにという標識が立っていたので、私達は西コースを登ったし、一人で登った時ももちろん西コースから登ったので、東コースは分からないが、難所が多いらしい。花も西コースの方が多いみたいだったし。

先ほど東コースを登った人の動画を見ていたが、岩場の痩せ尾根の連続で、凍り付いていたりしたら遭難必至だという。トラロープの連続で(西コースでもヒカゲツツジの多い岩場のところにはトラロープが貼られていたけれど)急斜面も多いみたい。

よほどのベテランで意図的にそちらのコースを選んだのか、気づかずに入り込んだのかは分からないけれど、低山でも危ないコースはたくさんありますね。

昨日のBSでやっていた乾徳山でも若者が一人行方不明になっていると、山梨かどこかの情報に出ていた。都心では凍っていなくても、ハイキング始めたころに登った高尾山の琵琶滝あたりでも凍り付いて滑って怖い場所もあったくらいだから、千メートルあれば、凍っているところもあるかもしれない。

冬に山に入るときは低山であっても相当に準備していかないとだめですね。気をつけましょう。

 

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足柄大野山-忘年ハイキング2017.12.17(写真付き)

2017-12-18 | ハイキング・登山

昨日の日曜日はいつもの山の会の忘年ハイキングで神奈川の大野山に足を伸ばした。総勢6人。

朝7:11の小田急の急行で出発。途中車中からは雪は少ないけれどくっきりした富士山が見えた。8:47新松田着。すぐ前のマニラ食堂の横を通って、JRの松田駅に。

友人がスイカなどは使えないよ、というのでスマホで確認したら確かに使えず、6人まとめて購入したが、窓口で購入しようとしたら、新人の係の方らしく、確認に時間がかかって、端末で買った方が早いくらいだった。

それでぎりぎりにホームに登り、少し雲がかかり始めていた富士山の写真を撮って、電車に乗り込んだ。といってもドアボタンを押し忘れて、すぐには乗れなかったけれど。。。。

最初は山北からを考えたが友人がそちらは斜度がきついところがあるので、初めて参加される方もいらっしゃったので比較的に緩やかで展望のよい谷峨からの方が良いという提案で、お酒を飲むことからピストンにすることにした。私は飲みすぎたことを考えて、タクシーが呼べるかどうか下調べしておいて、山北のタクシー会社から呼べるし、そんなに高くはないことを確認した。

山北でかなりの登山客が下車した。山北から登り谷峨に降りるのかしらね?

谷峨駅で準備体操してから、バス通りを少し進み、右手の下の田んぼの方に出る道に入り、青いつり橋の方に向かった。途中ネギ畑で、友人が取れたてのネギを焼くと甘くておいしいのよねと言いながら見ていたが、残念ながらお声を掛けるような人影はなくて、あきらめて進んだ。

つり橋はしっかりしていて、今日は雪もなく、快適にわたり、川沿いを少し歩き、さらに車道を登って、民家の脇の登山道に入った。

そのあたりはまだカエデの紅葉がきれいに残っている木も多くて、朝日を浴びてきれい。

多少階段状の登山道を進む。落ち葉が積もって時々足を取られたりした。やっと頼朝桜の所にでた。頼朝桜の写真って以前取っていなかったかな?あまり記憶になくて、写真を撮った。

トイレの所で小休憩。風はそれほどなくて助かる。上の方の白っぽくなったところが大野山の頂上付近だが、色が飛んでしまいました。

それからまた登山道を辿り、車道の所に出た。反対側に休憩所があり、その前に木製の雉が出迎えてくれる。白いボックスの中に、漬物やジャムに柚子やサトイモのゆでたものが置かれていて、無人販売所になっていて、私は柚子を買い求めた。

重い荷物は若い男性軍に持っていただいたが、食材がかなり重い。鍋類も入れてある。腰と胸のひもをしっかり締めないと登りにくかった。

それから枯葉をサクサクと踏みしめながら登り階段の所から、左の舗装道路は行きどまりと書かれていて、一体どこに行くのかなと思いつつ、直進した。

階段状の登山道をしばらく歩くと展望が開けてきて、振り返ると富士山が見えるようになるが、雲がどんどんかかってきていた。反対側には海も見えた。

すすきの原の中の登山道を辿ると、634メートルの所の木製のウサギの像と標識があり、リーダーはどんどん登って行ってしまっていたが、私たちは記念撮影をした。

それから以前の牛の餌やり場のあたりに来たが、その施設はなくなり、柵だけが残っていた。

若い女性が使っていなかったこの牧場を利用して、去年あたりだったか、牧場を始めたとネット情報で読んだけれど、牧場は東側の方で、こちらからはよく見えなかった。途中の針葉樹に絡まった木の実。足元にも落ちていたが、黄色の果皮の間から赤い実が見えていた。ツルウメモドキのようだ。

やっと展望の良い東屋に着いたが、あいにく先客が陣取って食事中。横のテーブルは空いていたが日蔭で、風も結構吹いていて寒いので、相談の結果、頂上まで行くことにした。

そこから頂上まで平らかなと思ったが、ちょっと箱根竹の茂みの間の階段状の道がちょっと急だった。酔っぱらってここを降りるのはどうかしらね?ちょっと心配。ほんのわずかの距離だけれど。

それで登りきると何かのアンテナ?があり、舗装道路に出て平らな道を進むと丹沢湖の青い湖面が見えて、その先は檜洞丸の方かなの山々が見えていた。(写真には写っていませんが)

頂上からはすっかり雲がかかった富士山の裾野の方が見渡せた。

幸い東屋に二人だけいらしたが、大部分は空いていたので同席させていただいて、鍋の用意。私たちがいろいろとコンロや鍋や食材を広げだしたので、その方たちは早々と退席なさり、申し訳ないことをしてしまった。

最初は風がやんでいて、順調にお湯を沸かして、鍋の材料もよく煮え、アルミのすき焼き鍋でソーセージなどをソテーできたのだが、風がどんどん強くなってきて、バーナーが消えたり、火力が風のせいでよく効かなくなり、なかなか煮えなくなってきてしまった。それに何回も器が風で飛んだりしたけれど、楽しいひと時を過ごすことができた。

美味しい獺祭や真澄にワインを頂き、お野菜やキノコに豚肉とカキ、豆腐など入ったごま豆乳鍋、野菜や肉類のソテーなど寒さに震えながらも楽しくいただくことができました。火を入れて油を切って持参したプルコギもなかなかの評判でしたね。サンチュを家に置き忘れてしまいましたが、えのきだけとも相性が良かったです。

吹きっさらしの強風の中、手袋しないと手がかじかんでしまったのだが、何とか宴会を続けて、ワインは温まるようにほっとワインにしたが、最後は煮えすぎてちょっとアルコールが飛んでしまったようだ。

ともあれ、うどんを投入してほぼ材料を食べつくし、最後に残った昆布もリーダーが丈夫な歯で全部召し上がって無事に宴会は終了。片付けする間も手はかじかみ、大変だったけれど、何とかザックに仕舞うことができた。

その後、酔っぱらい集団が日当たりの良い芝生の上で足を上げて集合写真を撮ったり、リーダーは地元の酒蔵のTシャツを着て記念写真撮ろうとしたが、いくら探しても見当たらず、あきらめて下山開始。

リーダーはホッピーで割った焼酎までお飲みになって、一番酔ってしまって足元がおぼつかず、危なかったが、何とか皆さんのサポートで下山。途中でストックを使った方が良いという友人の提案でストックを出して降りた。先がとがっているのでかえって危ないかもと思ったが、確かにストックは役に立っていた。

車道に出たところでリーダーはストックをしまってしまったが、まだまだ道は続き、しかも私たち3人は分かれ道のあるところを右に入って、少し降りた行ったら行き止まり。途中はお互いのザックのひもをもって電車ごっこ状態。突然どこからか汽笛一声新橋を、の鉄道唱歌のメロディーが流れてきて、笑ってしまった。行き止まりはこうなっているというのを確認してから、やむを得ず坂を上って元の所に出たけれど、階段状の所を直進すればよかったのに、どうして曲がってしまったのか?不思議。20分位のロスかな?

とりあえず、下のトイレのある休憩所で他の方は待っていてくださったが、相当に寒かったことだろうと思った。お待たせしてすみません。

それからまた少し階段状の所もあり、気を使いながら降りて行った。

リーダーに付き添ってゆっくりと歩いたので、私たちは相当に遅れて、駅の近くになったら、友人が次の電車の後は1時間くらい電車がないからと急ぐように言ったが、なかなか早くは歩けず、駅では切符売り場がなくうろたえた。友人が電車が来るから早く早くというので、私は先に進んだが、リーダーは酔っていて、遮断機が下りてしまい、くぐって渡ってもらったけれど、もう反対側の電車が見えて来ていて、ハラハラ。若い仲間がサポートしてくださり、何とか間に合ったけれど、私がリーダーを先にして渡ればよかったなと反省。こちらも少し酔っていて、判断力が鈍っていましたね。

ともかくこちら側のホームの遮断機も閉まってしまったが、何とかくぐり抜けられた。

まあ、無事に乗れてよかったです。もう山北のさくらの湯に入る元気もなく、皆で松田に直行。切符は車内販売で、松田駅で回収だった。小田急の急行もすぐに来たので、新宿まで直行して帰宅した。

リーダーは、大宮の火事の影響か電車が少し遅れたみたいだったが、無事に帰宅できたようで安心した。

皆さん今日が仕事なので、早めに帰れてよかったです。皆様ご協力ありがとうございました。楽しい忘年会でした。

 

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認知症の診断と証券口座の封鎖

2017-12-11 | 社会

この間、親が少しばかり持っている株の配当のことで一般的な話題で証券会社に電話したら、本人を出してくださいと言われ、ちょっと体調がおかしいというのに出てもらって答えてもらおうとしたが、とっさのことで少し混乱し、うまく答えられなかったら、認知症を疑われてしまったようだ。

それで言われたのが、本人と面談して、判断能力があるようだったら、家族を代理人にすることもできるが、判断能力なしと見なされたら、認知症ということで、口座は封鎖され、成人後見人を選定しないと、何もできなくなるのだそうだ。

まだ判断能力が全くないわけではないので、早めに代理人の指定をしないとならないようだが、まずは代理になる人がその証券会社に口座を設定しないとならないそうだ。そういうことが分っていたら、もっと前に解約するとかできたのだが、いつもバタバタしていて、考えてみたら親も相当な年齢になってしまった。

お金に関わることだから大事なことなのかもしれないが、ややこしい世の中になったものだ。

そういう情報って、新聞も取らなくなってしまって、前にテレビでやっていたような気もするが、あまり知られていないような気もする。もう少しいろいろ勉強しておかないと大変なことになりますね。

 

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LINEが消えた?それとLINEのバージョンアップのこと

2017-12-11 | インターネット、パソコン

知り合いのラインが消えて、使えなくなったという話を聞いた。最初は乗っ取られたのかと思ったが、どうも登録時の電話番号を使わなくなったのに、そのままにしていて、その電話番号を新たに使いだした人がラインのアカウントを作ったために、以前の持ち主のラインが消えたらしい。

私もネット検索してみたが、そういうことが起きることを知ったのだが、一般には電話番号が変わったら、変更をしておかないとならないことはよく知られていませんね。使いながら使い方を知るという使い方が多くて、ラインの公式サイトなど、覗いたことがなかった。今回それを見るといろいろなバージョンの情報も書かれていた。

その方の場合はたぶん復旧は難しいのではないだろうか?一からインストールして新しいアカウントを作らないとならないのかもしれない。

実は昨日、その連絡をもらってからしばらくして、ラインのトーク画面が変わっているのに気づいた。バージョンアップされたらしい。それで、バージョンアップの時に不具合があると、ラインが消えることもあるとネット情報には出ていたので、そういう可能性もあるのかなと思っていた。

そのバージョンアップというのが、トーク画面のメール入力の所が変わっていて、なんだか写真の形と風景の形のものが出ていて、メール入力画面が狭くなっていたし、スタンプを送る場所が右に変わっていた。公式サイトを見たら、ラインの画面から写真をすぐに撮れるように変更したようだ。

プラスの印で前は写真を送れたが、今はファイルが送られて、いちいち開けないと見られなくなり、風景の形で送ると写真がそのまま見える形で送られるのだ。まあ、写真がだれでも見れる形でない方が良いこともありますね。

しかもメール入力などするとそれらが引っ込んでしまうので混乱する。

どんどん複雑になって行って、大変だ。

 

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