新 風のふくままに 

写真付きで日記や趣味を書く。プロフィールを変えました。

平泉中尊寺と毛越寺

2012-07-08 | 旅行

仙台の駅に戻り、次は一関から平泉を目指す。仙台から一関への高速バスは朝しかない。普通電車で行っても時間がかかるので、ここは新幹線を使うしかない。

それでやまびこで一関に向かったのだが、なんとまた居眠りしておりそこなった。はっとしたら停車しているので、慌てて出入り口に向かったが、ドアーは閉まった後だった。どうしようと立っていたら、ちょうど車掌さんが来て、事情を話したら、間違えて下りられなかったので、この先の水沢江差に行って後戻れば良いとおっしゃってくださった。ありがとうございます。

また寝過ごすわけには行かないので立っていようかと思ったが、荷物が重いのでドアのそばに座って水沢江差に行った。

水沢江差という駅名は初めて聞いたが、駅舎には鹿踊りの衣装が展示されていた。鹿踊り有名なのかしらね。田んぼの中の駅舎だったけど、乗降客もちゃんといたので、何があるのかしら?と気になった。

とりあえず次の登りの新幹線をぼーっと待って、一関に。また寝てしまわないように携帯のアラームをセットしたが、その前に気付いて、無事下りることができたが、約30分のロス。まあ、特に予定はないから良いのだが。一関から平泉までのバスもあることはあるそうだが、時間が開きすぎ。

平泉まで東北本線に乗り換えた。、すっかり接続が悪くなり、30分待たされる。2両編成の電車はホームに入っていて、乗ることができた。ほとんど人が乗っていない。座席で、松島海岸で買った萩の月をおやつに食べた。2駅目だから、寝る訳には行かない。

    

平泉の駅前に小さな観光案内所があったので、バスのことを聞いた。そしたらるんるんバスが15時半にでるという。これまた待ち時間がある。路線バスで行けなかったのかしら?路線バスならすぐに出たのがあったのだが。

ともかくもるんるんバスが来たので乗ったのだが、結構下りる人が多くてびっくり。今日は土曜日だし、世界遺産だから、見に来る人も多いのですね。

バスの運転手さんが、男性にこれから毛越寺と中尊寺に行くなら、あやめ祭りをやっている毛越寺に先に行って、さっと見て、次のるんるんバスで中尊寺に行く方が良いといっていた。中尊寺は16時半くらいには金色堂の受付をしないと見られないし、坂を20分ほど登らないとならないから、遅れないようにね、と話すのを聞いて、私は毛越寺は後にしようとそのまま乗って、中尊寺まで乗った。毛越寺は近かったが、そこからは温泉を通って、山道を登り降りしてやっと中尊寺の下のバス停に着いた。これは歩いて移動するとか、貸自転車で移動するのは大変だったな、と思った。幸いサイクリング施設は閉まっていたので、使わずに済んだけれど。

実は毛越寺も最終受け付けは4時45分までだそうだった。行けるかな?

登り道の参道を歩いていると、観光客か誰かが、観光バスで来ると上の駐車場に止めてくれて、下りるだけで済むが、個人できた人は、登って下りないとならないから大変だと話していた。

しかしその参道、緑豊かで気持ちが良い。杉やカエデや桜などの大木の森林浴の山道だった。ところどころにいろいろなお堂が立てられて時々見学というかお参りをしながら歩く。悪天候の割には人出もそこそこにあった。

本堂

緑がきれい

一か所見晴らしの良い展望台があり、北上川などが見渡せたが、天気が悪いので、遠くの山々までは見えなかった。

 

                   

  

銭洗い弁天の横の池にはモリアオガエルかもしれない蛙の卵(白い泡状のもの)が枝にぶら下がっていて池にはオタマジャクシがたくさん泳いでいた。

     

                     

やっと金色堂の拝観受付に着いた。天気が悪いせいか、拝観料(800円だったかしら)を払うのに並ぶことはなかった。それで時間が押しているので、そのまま金色堂に向かう。

大きな建物の裏側から中に入ると、金色堂が光り輝いていた。昔の修学旅行の時には古い覆いの建物だけが見えて、つまらなかった印象だけしかないのだが。

金箔とはいえ、燦然と輝いたお堂は立派だった。中側には仏像三体がまつられて、説明を聞くと藤原三代の棺が納められているらしい。柱には螺鈿で美しく仏像や花々などが装飾されているそうだ。

こちらも金色堂の撮影は禁止。じっくり拝見させていただいた。その後、昔の覆堂を見て、私が見たのはこちらだったのね、と思いながら出口に出て、受付横の讃衡蔵という博物館を覗き、大慌てで参道を下りた。

松尾芭蕉像

   

睡蓮の花

        

別の古そうな鐘楼

降りたところあたりに弁慶のお墓という立札があったので、そちらも見学。

              

その後、バスは来なさそうだったし、あの坂道を歩いていたら受付に間に合わないので毛越寺まで、待機していたタクシーを利用した。途中毛越寺の手前の池のことを運転手さんが説明してくださった。毛越寺の池が藤原公のために作られ、そのお妃さまのために舞鶴ヶ池が作られたのだそうだ。その間の広い通路は牛車が通る道だったとか。

汗びっしょりで途中の悠久の湯という公営の温泉に入りたいものだと思いながらも、毛越寺に行ってもらった。受付で拝観料(500円)を払う。もともとは慈覚大師が開いたお寺だそうだが、奥州藤原の基衡が庭園やお堂を建立したそうだ。

現在の本堂

境内は中尊寺とは打って変わって、平ら。護摩を焚いて本堂を拝んでから、「夏草や兵どもが夢の跡」の句碑を見てから庭園に出た。

庭園は大きな丸い池で大泉が池というそうだが、海を模しているとか。船も浮かばせてあって、昔の人が舟遊びを楽しんだろうかと思った。浄土庭園だそうだ。

 

荒浜とか州浜とかがあり、荒々しい磯を模したところと対照的。丸石が敷き詰められていて、入り江などを表していたが、雑草を除去する作業の方々が仕事をしていらして、浜に草一本なく整備されているのに頭がさがっった。

そういえば京都の石庭などもそういうたゆまない努力があって維持されているのだろうと、改めて草取りの作業を思った。

      

          築山 

          

池の北側の部分に菖蒲園が作られていて、そろそろ終わりだったが、まだたくさん咲いていた。この菖蒲、明治神宮から分けていただいたものだと書かれていた。今年も明治神宮の菖蒲園には行きそびれたが、偶然にもその子孫の菖蒲を見ることができた訳だ。

        

                 

      

       

                   

               遣水

               

庭の反対側にはいろいろな伽藍の遺構が残されていて、全部復元したらすごいだろうなと思った。池の周りに植えられていたキキョウの紫が雨の中とても鮮やかだった。萩なども植えられいるようだった。

本堂跡  

       経楼跡

         

            常行堂と法華堂跡 

                  

 州浜     

    

   荒浜を模した岩

           

植えられたキキョウの紫がきれい。

       

一回りして外に出て、舞鶴が池の方にも足を延ばし、そのまま駅まで歩いて戻った。こちらは平らな道を10分程度で着く。自在王院跡というそうだ。こちらは基衡の妻が建立したとか。

  

      

         

                            

このあたり一帯の遺跡やお寺が全体として世界遺産として認めらたのだそうだ。

コインロッカーから荷物を出して、電車に乗ろうと駅舎に入ったら、なんと次の電車は30分後。バスで一関に出るよりは早い。平泉から仙台までの高速バスは15時だけだし。

平泉駅の記念撮影サイト

それで待つ間に、お蕎麦でも食べるかと横の蕎麦屋に入った。わんこそばというのも初めてだし食べてみたい気もしたが、量が多そうなので、すぐにできるという山菜そばにした。ずっと野菜不足だったから。

お蕎麦はなかなかおいしかった。山菜も塩気が抜けていて食べやすかった。一人中年女性がわんこそばセットと格闘していた。ボリュームが多そうだった。

ころあいになったので、また駅に戻り切符をスイカで買おうとしたら、岩手県ではスイカは使えないのだそうだ。それで仙台までの切符を購入。帰りは鈍行で帰ろうと思っていたのだ。

平泉から一関にでて東北本線の仙台行を探したが、どのホームにも仙台行の電車の案内が出ていない。鈍行で行っても7時半ごろには付くと駅の人が行っていたのに、どこから乗るのかしら?

それで分からないので新幹線のホームの方に行ったら、東北本線の電車もあるとのことだったが、もう疲れ果ててしまって、新幹線で仙台に戻ることにしてしまった。あーあ、お金が飛んでいく。ただ、次の新幹線ははやてで、本来は全席指定だが、自由席で乗れるという。誰かが乗ってきたら移動しないとならないが、とのこと。それでそのまま乗った。

はやてに乗ったら、ぐったり疲れてこのまま乗り続けたら、東京なんだわ、と思う。あっという間に東京に着くのに、何で私は格安ホテルなんて予約したんだろう。ホテル代とバス代合わせたら、新幹線も大した差ではないのにね。

でも今からキャンセルしたら、キャンセル料がかなりかかる。仕方がないから仙台で下りた。寝てしまうといけないので携帯のアラームを使って無事下りられた。明日は天気が良くなるかもしれないし。

宿まで行くのにちょっと道を間違えて遠回りしてしまったが、予定よりは早くついた。途中で買ったおにぎりを食べ、小さな浴槽につかって疲れを癒した。その晩は熟睡できたから助かった。

次は青葉城址と東北大学植物園に続く。深夜になったので、続きは明日書こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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仙台―松島海岸・瑞巌寺

2012-07-08 | 歴史

夜行バスの寝心地悪くはないのだが、音がなんといってもすごかった。耳栓も用意すれば良かった。座席は最後部のみ4列で、その前はすべて3列。レースのカーテンで一応仕切られていた。女性専用のやや値段の張る座席。私が乗ったのは最後部の4列の端。

後ろの方が音が大きいのかな?それでも疲れ果てていたので、一回目の休憩は気づかず、一度止まったまましばらく休憩していたようなのは覚えているが。何分運転手さん1人乗務なので、すべては運転手さんにかかっている。

4時半ごろの休憩で、席を立ってパーキングに出た。小ぶりだが雨は続いていた。

時間通りに6時50分に仙台駅前東口に無事着いた。雨が降っていて、バスターミナルなどはないので、すぐ近くの地下道の入り口まで傘を出してさした。

東口は仙石線の入り口に近くて、そのままホームに。用事の前に、松島海岸を見ていこうと思ったのだ。仙石線はスイカが使えるというので、小銭を用意するために入金したスイカを使った。

仙石線は地下になっていて、学生さんなどがホームに並んでいた。電車は苦竹という駅のあたりで地上に出た。

窓から見る限りは、多賀城あたりも震災の爪痕はほとんど分からなかった。塩釜のあたりはちょっと寝てしまった。陸前浜田の港の近くにはボートが乱雑に放置されているように見えるところがあって、あれは震災の影響なのかなと思ったが、詳しくは分からなかった。

そのあたりから海岸が多くなって、雨の中でも島が見えるようになった。

松島海岸に8時前に着いた。この先の高城町(たかぎまち)から矢本の駅までは震災の被害を受けて現在も不通で代行バスが出ていると書かれていた。私はてっきり高城町からバスが出ているのかと思ったら、高城町のバス停は駅から離れているらしく、この松島海岸から出ているとか。高城町まで行って見ようかなとちらっと思ったけど、止めて置いて正解だった。それは後でわかる。

駅を出たら、コインロッカーがあったので、小さいけれど重い荷物を入れた。300円は高いけれど、雨がひどいので、レインコートと傘だけ出して、残りは置いて行った。

もう駅前に芝生の広場が見えて、その先に船着場があるようだった。右手の横断歩道から国道を渡るとマリンピア松島水族館があったが、もちろんまだ開いていない。営業は震災後一か月程度で再開したらしいが、朝は9時から営業とのこと。

      

 カモメのたくさんいる島が見えた。

                    

人気のない海岸べりに出ると、あらっ!観光船が準備している。もう営業しているのかしら。何やら放送しているみたいに聞こえたが、雨音でよくわからない。船からは傘をさした男性が下りてきていた。観光船がたくさん並んでいる。芝生の広場には津波避難の経路図の立て看板があった。この広場も、国道沿いのお店も皆津波で泥だらけになったと後でわかったが、今はすっかりきれいになっていて、痕跡も感じられなかった。

それから海岸に沿って歩く。松島の島々は雨に煙ってぼんやりと見えた。海岸べりにあるのだが回り込む道があったが、震災の影響か通行止め。

それで国道側にでて歩いていくと観潤亭・松島博物館という入り口があったがこちらは8時半からしか開かない。お抹茶も飲めると書かれていたが、何しろ瑞巌寺を見てから10時までには仙台に戻りたいので、先に進んだ。大欅と大きな楓の大木があった。

                  

   

その先には張りだした小さな島の先に建物があったので、せっかく来たからと寄ってみた。

日本三景の碑

朱塗りの橋を渡ると古い単層宝形づくりのお寺の建物があった。それが瑞巌寺の五大堂だそうだ。これは松島のシンボルなのだそうだ。晴れたら景色の良いところだろう。ここには若い女の子の二人連れが見学に来ていた。

 

                       

ブイにカモメがとまっていたが、最初はカモメの像の付いたブイかと思ってしまった。

   

後戻って、瑞巌寺に向かう。途中入り口手前の土産物店で帰りの道順を聞いたが、その店にも腰の高さまで津波が押し寄せたとか。しばらくは大変だったことだろう。ついでにお菓子を少し買い求めた。

瑞巌寺の入り口からは杉並木が続く。途中杉木立の間にごみが集められているところがあったが、調査中だから触らないようにと書かれていた。津波の堆積物でも調べるのかしらと思ったが違うかもしれない。

 

          

長い参道を歩くと受付の向こうに本堂があるが、現在修復中で見学はできない。これは前からの平成の大修理と地震の影響の修復も重なっているらしい。そのために大書院に、本堂のご本尊様や他の仏像、ご位牌などが一堂に収められて見学できるようになっていた。

           

ご本尊様は小ぶりの観音様で、品格があり美しかった。写真撮影がだめなので残念だったが。

その後案内の方が、奥の正宗の正室の愛姫様の霊廟を見ると良いですよ、本堂修理中の今しか公開していないから、とおっしゃるのでそちらに向かった。

石の門を通る。

 

非公開の道場などが見える。

小高いところに立てられていて、階段状の小道を登らないとならず結構疲れる。しかし、その見事さには目を奪われた。黒の漆塗りの建物に金や螺鈿細工で飾られていて、それは見事な霊廟だった。桃山様式なのかな?正宗の霊廟がそうだと他のパンフレットに書かれていたから。

  

近づいたら写真撮影禁止と書かれていた。

後からわかったのだが正宗の霊廟は仙台市内にあるそうだが、その情報に気付かず、見に寄れなかった。こちらも黒の漆塗りで立派なものらしい。

珍しい木があった。

    

ひょうたん木の赤い実(二つつながってひょうたん形に見えるからだそうだ)

  

石斛がついているという杉の大木(どれか分からなかったが)

それから受付横の道をたどると円通院がありこちらも名古刹らしいが松島海岸駅を9時ごろに電車に乗らないと本来の用事に間に合わないので、素通り。隣の天麟院を過ぎ、国道に出て、また松島海岸駅に戻った。

  

コインロッカーから荷物を出して、駅舎に入ったのだが、高城町と松島海岸駅間で土砂崩れがあった模様との説明を駅員さんがしている。まだ情報が入らないので状況が良くわからないという。ともかくも2台の電車が高樹町に行って、それがこちらに来れるか分からないとのこと。

それで、東北線の松島に出れば、9時7分の電車で仙台に10時前に着くという。しかし、タクシー乗り場に来たタクシーが一人乗せて出た後はタクシーも来ない。しかもタクシー乗り場に雨の中立とうかと思っていたら、雨宿りの人2人がタクシーで松島駅に行こうとしているとのこと。

別々に乗ったら、時間がかかって仕方ないので声をかけて3人一緒に乗らせていただくことにした。一人は中年男性だし、一人は若い女性なので、この二人だけだったら乗合はできなかっただろうが、私が一緒なら大丈夫だということになった訳。

さっき行ったタクシーが戻ってきて、3人一緒に乗って、松島に着いた。何とか9時数分だったが、すでに電車が止まっていた。慌ててホームに向かったら、それはやはり土砂災害を恐れて慎重運転で遅れていた一台前の電車だったようだ。

ノロノロ運転だったので、10時にやっと仙台に着いたが、私は雨の中走り回ったのでうとうとしてしまい、駅についてもう出発直前という時に降りることができた。しかし、時間が無くなって仕方なしにタクシーで会場に向かった。

その後知り合いの方々にお会いしたが、皆さんお弁当持参とのこと。私は弁当を持ち合わせていなかったし、平泉に向かいたかったので、知り合いの皆さんとは別れて駅に戻るが、こちらもバスが不便そう。居合わせたタクシーを使うことになってしまった。仙台のタクシーは安いけれど、ワンコインというわけには行かなかった。

次は平泉に続く。

 

 

 

 

 

 

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