新 風のふくままに 

写真付きで日記や趣味を書く。プロフィールを変えました。

雲取山―三峯神社から鴨沢縦走2017.10.7-8詳報・写真付き

2017-10-09 | ハイキング・登山

10月7日(土)から雲取山荘どまりで、8日にご来光を見ようと土曜日の天気予報は悪かったのだが、8日は山小屋も満員で変更できず決行となった。

1日目

天気は午後あたりからは晴れそう。秩父あたりはもうちょっと早くから雨が上がるかもしれない。

早朝に起きだしたときはかなりの雨音で、この中出かけないとならないかと心配したが、出かける直前になって雨音は止んで、小雨さえ降っていなくて助かった。

自転車置き場のおじさんが、(この天気で)山登りですか?と呆れたように聞いてきた。本当に呆れますよね。

池袋に集合して、特急の秩父1号にのった。途中雨模様の所もあったが、西武秩父ではやんでいた。西武秩父に8時15分着で30分発のバス乗り場を探して並ぶ。てっきり立ち席の人もいるのだろうと思ったが、定員を超えた人たちは臨時バスがでて、皆座れるようにしていたのでびっくり。まあ75分乗るから、配慮は必要だろう。

私は前日あまり寝られなくて、今朝は5時間くらい熟睡したので大丈夫そうだったが、バスの大半は寝ていた。秩父湖のあたりで目が覚めて、木々が色づき始めた三峯神社へのくねくね道のあたりを見ながら進んだ。

9:45三峯神社着。見覚えのある駐車場に着いたが、トイレはすっかりきれいに改装されていた。

標識に従って、雲取山方面へ車道を進んだが、何か変。ついてきた若者たちに、これが正しいかしら?と聞く。先行した人たちも道がないことが分り戻る。

途中にシャクナゲの説明が書かれたところがあって、一瞬こっちが登山道かなと思ったのだが、脇の小さな標識を見逃していた。

ここを通り過ぎてしまったわけ。

それでそのシャクナゲや移築された昔の建物を横目に進むと、以前に見た鳥居があり、社務所側から歩いていらした登山者が登山ポストで記入していた。私たちはバスを待つ間に書いておいたメモを投入口に入れようとしたが、結構満杯で、無理やりに突っ込んだ。遭難でもないと開けないのかなと思った。

ガスが濃くなったり薄くなったりする中を歩く。鳥居の先は杉木立で鹿よけネットが張られている。しばらく歩いて奥宮の鳥居を見る。そちらにも行ったことはない。

しばらく進むと二股杉の標識。以前もどれが二股杉か分からなかったが、今回も分からなかった。左手の細く二股になった杉があるが、皆はそれは違うだろうというし。

間もなく炭焼き小屋跡に着く。記念写真は撮ったけれど、炭焼き小屋跡の写真は撮っていなかった。

緩急取り交ぜた登山道を進むと小さなお地蔵様の祠があり、地蔵峠に着いた。

この辺りは広葉樹が多くなり、少し色づきだしていた。

また少し急斜面を登ると展望が開けた場所があるけど、霧で真っ白。すぐに霧藻ヶ峰に着いた。秩父の宮記念碑がある。

その先の休憩所では、抜きつ抜かれつしたハイカーたちが休憩していらした。晴れていたら両神山も見えるけれど、こちらも真っ白。

11時半ごろだったので私たちも早昼を食べようと荷物を開きかけたら、管理人さんが、中で食べてよいよと言ってくださった。署名も求められて、署名した。雲取山に設置した2017年2017メートルの標識の撤去日程を延ばしてほしいというものだったが、反対する理由もなかったので。。。小屋の中のベンチでカップラーメンに持参のお湯を注いて、少量ずつ持参したおかずと一緒に頂いた。しかしまだ3分の1程度。先が長いので30分程度で切り上げて出発。

少し紅葉している木もある。

一度下降するとお清平についた。ここは太陽寺への分岐があった。

ここからやや急な斜面を登ることになった。新しい鎖も設置されていたがなくても登れる。足場が少し狭いから滑った人でもいるのかもしれない。

階段もあった。霧でぬれていて滑りやすい。

針葉樹が増えてきて、フィトンチッドがたくさん出ているみたい。急坂にハアハア言いながら、登って行った。

この辺りの岩場にはダイモンジソウが見られ、あたりにはシロヨメナ?の花が多い。

13:10ごろ白岩の肩に出た。

紅葉もところどころに見られるが霧の中だ。

苔の間にシャクジョウソウが出ているのを友人が見つけた。やや黄色みが勝って秋に咲くので、ギンリョウソウとは違う。

さらに頑張ると前白岩山についた。記念撮影だけして、標識を撮るのを忘れた。

ちょっと下ると休業中の白岩小屋があった。14:05ごろ

裏手に何か杭のようなものが並んでいたので見に行ったが、やはり霧で何も見えず、あまり休憩もせずに出発。急斜面をもう一度登ると白岩山だった。14:45

ベンチがあったのでフルーツやおやつを頂く。下見に登っているという方々に会う。この分だと雲取山荘に16:00には着かなさそうなので電話を入れないと、と思ってスマホで検索するが、ネットがつながらず、探せない。その方たちが電話番号をご存じだったので控えさせていただいた。ただ圏外で電話もできない。

鹿が多くて、出てくるかもと霧藻ヶ峰の小屋の方に伺ったが結構ハイカーが多くて鹿はいなかった。

私たちは地図を見間違えて、まだ2時間以上かかると思っていた。

しかし一休みしてから白岩山を下るとなんと5分程度で芋の木ドッケについてしまった。芋の木ドッケってドッケってどういう意味かしらね。調べたらピークの事のだそうだが頂上という感覚はなかった。昔は白岩山の双耳峰と見られたこともあるそうだ。

そこからやや明るく開けた場所を下る。雲取山は2017メートルというのに、どれだけ下るの?

そのあたりトリカブトの紫の花が多かった。

巻道のような狭いトラバース道を行く。実のついた色づいた木があったが、何の木か分からなかった。

西日が差しこみ、霧と樹木が素敵。

間もなく、まだかまだかと思っていたオオダワに出た。15:40

しばらくするとまた分岐があった。私たちは雲取山荘という方を選んだ。16:00ごろ あと約30分だわ。

最後の登りが大変だったという記憶は男坂だったのかしら?緩やかな登りが続く。それでもバテバテの私にとってはつらかった。

ふと見ると屋根が見えて、ああ小屋に着いた。一登りだわと思ったのだが、道はどんどん小屋から遠ざかる。こんなに大回りしたかしらといぶかっていたら、しばらくして、霧の中、前方に雲取山荘のテント場にテントが張られているのが見えた。

薄っすら小屋も見える。万歳、小屋に着いた。16:10ごろ。なかなか優秀? その後も続々と到着する登山者がいて暗くなった山頂からライトの光が点々と見えていた。

小屋で手続きをして、荷物を置いて、外に出た。私は元気なつもりで山頂踏破してから食事にしようと思っていたが、山ベテランの友人が疲れすぎになるからやめようと言って、パートナーもやめておこうというのでやめて、外のベンチでハイボールとかビールなど頂き、私は主に緑茶を頂いた。これも眠れなくなる原因だったかも。アルコールを少しだけ分けて頂いたが血液循環が良くなるほどではなかったかな?

そうそう、ジローの山岳救助保険の会員証か石井スポーツの会員券で宿泊料が安くなるとホームページに出ていたので、持参してきたので割引が適用され、バッジまで頂けた。(ジローの方はどうも会員証がコピーだったみたいでダメだと言われたけれど、両方持参しておいてよかった)。ところで正式の会員券ってどこに仕舞ってしまったのかしら?帰って探さないとね。

外にいる間に一時的に霧が晴れて、青空まで見えた。

小屋の前のクルマユリと雲海

明日はご来光が見れそうだと喜んでいたのだが、あっという間にまた霧に包まれてしまった。

小屋の作法など

寒くなってきたので部屋に入った。眠りかけのパートナーのために布団を出して敷いたのだが、食事前に布団敷いてしまおうかと思って、布団のことを受付にいらしたおじさまに聞きに行ったら、布団は食後に説明するから敷かないように言われ、敷いたら元に戻してと言われた。

しかしいろいろな荷物を広げてしまって、しまわないまま食堂に行って食事をしたのが良くなかった。

食事は評判通り小さめのハンバーグに冷ややっこ少しとサラダにわらびらしいお浸しかな、にみそ汁だったが、誰かのブログに書かれているよりは美味しく頂けた。若い人にとっては小さすぎるけれどね。ご飯だけはお替りできると言われて、山菜をおかずにお替りする若者が多かった。

私にとってはみそ汁も、サラダも美味しくいただけた。交代制なので、食べ終わったらすぐに退出した。

明日の朝はご来光を見ようとお弁当に変えてもらっていたので8時に受け取りにいかないとならない。

その間に布団の説明におじさまがいらした。布団が広がっているのを見て叱られてしまった。そんなに怒らなくても良いのにね!大体受け付けた時に説明もなかったし、部屋に張り紙でもあれば分かるのに!お酒の勢いもあって、不平たらたらになった。

豆炭が入ったこたつは出すように言われたが寝る直前までそのままにしていたが、3人組の方が入られて布団の説明はまだかしらというのでお話しして、こたつ入れたまま休む人もブログにはいるみたいだけれど…と話したら、豆炭で一酸化炭素中毒になることもあるので、必ず出すように言われた、と別の方が話されて、そのあたりは私は聞き逃したのかな?皆納得して、注意された置き方で、若い方々が出してくださった。

今日は天気予報が悪かったせいで、少し空いているのだそうだ。それで布団は二つ折りのまま一人ずつ使えるとのこと。それで布団を敷き、掛布団だけ出したが、毛布は、と言われて一応出した。部屋は人いきれで暑くなるのではないかと思ったけれど、そのまま両方かけて休んだら、疲れてほてっている体には熱すぎて、眠れなくなってしまった。毛布の2枚折りだけで十分だった。

でも暗い中だったが、皆さんちゃんとかけ布団をかけていらしたみたいで、自分は疲れで身体がほてりすぎていたのだろう。

そうそうブログなどでは建物から通じるトイレもあると書かれていたが、それは冬用なのか、使えるトイレはないと言われて、皆外のトイレを使わなければならなかった。それも和式なので慣れない人は使いにくそうだった。

小屋の人には明日はご来光見れるかどうかわかりませんよ、食堂からも見られますよ!雨が降ったら山頂で食べるのも大変だ、とか言われて、私たちはちょっとひるんだけれど、もうお弁当を渡される時間も近いし、変更無理ですよね。それで友人に弁当を受け取って頂いて、枕元に置いておいた。

お湯は原則、食事の後で頂けるらしかったが、ご来光登山のために出かける前に頂けるかどうかお聞きしたら、5時に受付で頂けるということだった。

後から3名追加になったのか、部屋はほとんど満員になった。

9時消灯。ついていたライトは自動的に消えた。廊下や、外のトイレと洗い場には一応電気がともっていた。友人がトイレに行ったときは星や月が見えたそうだが、私が行ったときは霧が立ち込めていた。2度目に行ったときは月に傘がかかっていたが星は見えなかった。

2日目

4時には電気が自動的についたらしい。私が目を覚ました時には、ご来光を見ようという人たちはあれこれ準備していて、パートナーも準備中だった。多少なりとも熟睡できたらしい。これなら何とか歩けそう。

ガサガサ音をさせては寝ている方々に申し訳ないと思いつつもどうしても音が出てしまう。とりあえずざっと荷造りして、ロビーに行き、そこで水筒を出してお湯が出てくるのを待った。幸い外も震え上がるような寒さではなく、準備運動などして過ごした。スパッツも身に着けたが朝露に濡れたササや泥濘も多かったので正解だった。幸い筋肉痛は起きていなかったが年齢のせいでまだ出ていなかったのかもしれない。

5時ちょっと前にお湯を分けて頂き、ザックに仕舞って準備完了。かなり朝焼け空だが、足元は暗い。ヘッドライトをつけていざ出発。すぐそばの三条ダルミへの巻道は通行止めになっていた。

岩場を登っているうちに途中ロープを外れてしまい、どこを登ろうかと迷っていたら後続の方々が見えて、戻ってこちらから行く方が良いとおっしゃるので戻った。どこをどう間違えたのかな?何しろ薄暗いからね。

いやー、こんなに急な岩場が連続したかしらと、思いながら、またもやハアハア言いながら登って行った。昨日登らなくてよかったわ。まあ小屋が1891メートルで山頂が2017メートルなのだから120メートルを30分で登るのだから急なわけですよね。

やっと笹原を抜けると頂上にたどり着いた。途中ちょっと風があったので山頂は寒いかなと思ったが、それほどではなく、新たに着込む必要さえなかった。山頂には数十人の登山者が日の出を待っていたが、座るところがないほどではなかった。5:35位

雲があってご来光まで少し時間があったので、記念碑の方に回ると富士山もくっきり。

 

月と記念碑

日の出前の富士山

 少し明るくなってきた東の空

朝焼けの富士山

西の方が谷川岳方面のようだが雲がかかっていてよく分からなかった。

ゆっくり朝日を浴びながらお弁当を頂く。冷たいお弁当はどうかと言っていたメンバーも気温がそれほど寒くなく、風が全くない中、日の出を見ながらのお弁当を頂けて良かったようだ。程よい甘さの卵焼きとウィンナーと魚の甘露煮、キャラブキの佃煮も、ラッキョウも小梅も美味しくいただけた。ご飯はちょっと女性には多かったので私は残したけれど。せっかくのお湯なので、ペットボトルの緑茶をお湯で割って、多少温めて飲むことができたが、フリーズドライのみそ汁一つ持ってきていたのを思い出せば暖かいみそ汁も分け合って頂けたのに、もったいないことをしてしまった。

さて20分ほどもゆっくり食事して片づけて、下山開始。6:15くらいかな

避難小屋の横を通って、展望の開けた崖になった所の登山道をジグザグに下っていく。ちょっと湿り気があるので、かえって滑りにくい。

降りると防火帯の広い山道となる。展望が開けて、富士山も見えるようになるが、残念ながら雲がかかっていた。登ってくる人たちもいるがテント泊の人が多いらしい。

霜のついた針葉樹の幼木と山並みがきれい。富士山が雲の上に頭をのぞかせているが分からないかな?

雲海がきれい。6:26

たまにアザミが咲き残り、カラマツが光を浴びて輝くのに見とれながら歩く。

急坂を下り、奥多摩小屋はまだかなと思うと前方にテントが見えてきた。少し登るのか?7:23

 奥多摩小屋を左に見やり、テントの人たちがテントに着いた露を払ったりしているのを見ながら、ヘリポートについた。富士山が見えていたので写真を撮ったりする。

そのあたりもテントが多い。途中若ものの一団が10時16分のバスに間に合うようにと大急ぎで下って行ったが、私たちには無理だろうと思っていたのだが、パートナーがピッチを上げたのでちょっと大変。

 七つ石山の分岐で友人は寄ってみたい様子だったが、私はバテそうでやめてもらった。何しろ寝不足で体調に自信がなかったのだ。それでなかなかの急坂を下りて行った。黄色に色づいた広葉樹林を通るようになる。七つ石小屋からの分岐を見てマムシ石というらしいが露岩には気づかず、岩場はあったように記憶するが、だらだらと下っていくと、堂所(どうどころ)という標識の所に出た。8:50ごろ

単調な道なので、平の将門伝説に基づいた説明版を設置したみたい。将門の逃走経路だったらしい。

だんだんに緑が青々してきて、まるで新緑を思わせた。次にあったのは茶煮湯という案内板。9:19ごろ

その近くには水場がなさそうだったのでどこから水を持ってきたのかしら、家来が坂を上って運んだのかしらなどと話しながら小休止。

そうしたら水場の案内があって、友人がピカピカの鍋が置いてあるというので上の方を見上げた。確かにピカピカの鍋が置かれて水が出ていた。9:21ごろ。茶煮場からは近かったですね。

どこかで以前は赤いフシグロセンノウを見かけたが、ついに今回は見つからなかった。記憶違いで川苔山の下山路だったかもしれない。雰囲気が似ていますね。

この登山道は道が狭く。続々と登山者が登ってきて、道を譲るので、思いのほか時間がかかった。私は股関節が痛み出し、爪も圧迫されて痛んできて、休み休みがちょうどよかったけれど。

やっと廃屋があって畑の跡が見られ、小袖が近づいてきた。そのあたりでも登りの登山者が途切れることはなく、子供連れもいて、この道が雲取山の最短コースだと言っても、頂上で一泊しても、結構急なところもあるし、明日帰宅しても休む時間がないと子供たちも大変だろうなと思った。

小袖の林道がはるか下に見えたが、まだまだ林道に出るまでは時間がかかった。途中で小屋の陰で湿布薬を塗ったけれど、次第に痛みが復活して来た。

小袖乗越あたりの新しい駐車場は満員だった。きれいなトイレができていたので、そこで湿布薬を貼ってみた。その先の駐車スペースでは車同士がこすったのか、パトカーまで止まっていた。10:50ごろ

ここからは長い林道歩きかなと思っていたら、その辺にいた方に「こちらが近道ですよ」と教えて頂いたという道は結構なゴロゴロの急な細い道で、爪の痛む私にはつらかったが道々花や変わった虫がいて、面白かった。

ソバナ?ピンボケ

エリマキツチグリ

コウヤボウキ(ピンボケ)

クガビル 20センチくらいで黒と黄色の筋があった。 ミミズなどを食べてしまうそうだがヒルの仲間ではないらしい。グロテスクですね。コウガイビルかと思ったが、口先が広がっていないので違った。

降りたらすぐにバス停だと言われたのだが、なかなかどうして急な集落の舗装道路が続き、私は最後は後ろ向きに降りて行った。

民家の脇のアオツヅラフジ?

11時半ごろ、階段を下りてバス停に出ると以前はなかったと思うが待合所があって(バスが来ていて飛び乗ったから実は見ていないのだが)ベンチがあり、その横の方に食堂もあった。道々案内のあったカフェはちょっと離れているみたいだった。

私たちはその食堂で12:20分のバスに間に合うように早くできるというラーメンとかそばを頂いたが、暑いのに冷たい麺類はないとのこと。窓から入る風は気持ちよかった。下山者が次々寄っていらした。私にはそのラーメンは塩分が強すぎて、汁を切って食べたほどだが、吞兵衛の友人にはそれほど感じなかったみたいで、美味しいとおっしゃっていた。もう少し塩分なければ私も美味しいと言えたけれどね。。。。

鴨沢バス停前(奥多摩湖畔)

まあ、何とか歩きとおせたが、6年前とは違って、なかなか大変なコースでした。高尾山と同じような格好の男女が登って行ったが登り着いたかしらね。岩場もあるのだけれど。また子供が大きなザックを担いでいたが途中でバテるのではないかと気がかりだった。

私たちは誰も転ばず、無事に下山できたことに感謝しましょう。同行の皆さん、お待たせばかりでしたが、いろいろとありがとうございました。

バスは奥多摩駅まで熟睡。帰りはもえぎの湯まで10分でも歩く気力もなく、河辺で途中下車して温泉のジャグジーで筋肉をほぐしたが、皆さんのようにアルコールを頂かなかったからか、あまり効果なく、今日は筋肉痛で大変だった。

 

 

 

 

 

 

 

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