少しずつ、親の部屋を片付けてはいるのだが、暑い日が多かったからあまり進んでいない。
中にはからからに乾燥した包装紙に包まれたままで開けてもいないものがあったので、開けて見た。新しい掛軸かと思ったら、古い掛軸の装丁を直したらしい。その絵は見たことがあると、親戚の人が言っていた。なーんだ!落款から作者を探ってみたが、バブルの時はともかくとして、今はたいした価値はなさそう。特に保存状態が悪くて筋がついているし。がっかり。
デスクの引き出しに大切そうに入っていたのは東大寺長老と書かれた色紙。しかし、ネット検索したら、そういうものはゴマンとあって、千円にもならないらしい。これまた、がっかり。
まあ、断機と書かれていて、その意味が分からなかった。調べたら、中国の儒学者が子供の時に、勉強を止めようとしたときに、母親が織っていた機織りの手を止めて、せっかく織った生地をバッサリ切って、今勉強を止めることは、それと同じになると諭したとのこと。中途半端に辞めると何にもならないということで、あきらめずに頑張る、ということになるらしい。勉強になったから、良しとしよう。孫にでもあげようかな?
埃だらけだけれど、立派な木の箱に入っていたものは、シミだらけで、、今や価値はなさそう。
結局はどれもガラクタですね。
国境なき医師団が、書画骨董も引き取って、活動資金にするというチラシが入っていたが、こんなガラクタでも役に立つのかしらね?海外で売れば日本よりは高くなるのかな?少しでも役に立つなら、送ろうかしらね。
バブルの時の頂き物は今や価値はほとんどなさそう。ブームが去ったら二束三文だ。
しかし、送るにしても掃除して、いろいろ梱包しないとならない。ゆっくりやりましょう。