サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

単行本『サッカーならどんな障がいも超えられる』発売

2016年10月15日 | 障害者サッカー全般

『サッカーなら、どんな障害も超えられる』 

今年
41日に発足した障がい者サッカー連盟のキャッチフレーズだ。各障がい者サッカーの大会には必ず横断幕が掲げられ、パンフレットの裏表紙を飾る。そして『サッカーなら、どんな障がいも超えられる』という本が講談社より発売された。

著者は旧知の江橋よしのり氏。「購入しなきゃなあ」と思っていたところ献本していただき早速読了した。

 

 内容は、ブラインドサッカー、アンプティサッカー、電動車椅子サッカーの選手などへの取材を軸にあたかもオムニバス青春小説(本人談)のようにまとめたもの。

 ブラインドサッカーは男女含めて4名の選手が取り上げられ、幼いころから見えない選手やある程度の年齢になって失明した選手などを織り交ぜブラインドサッカーが多面的に浮かび上がってくる。アンプティサッカーは、エンヒッキ・松茂良・ジアス選手の半生を通して日本のアンプティサッカーの歴史そのものが見えてくる。冒頭で取り上げられた電動車椅子サッカーの永岡真理選手からは競技に対しての強い想いが伝わってくる。もちろん競技への想いの強さは他の選手たちにも共通するものだ。

 
 
またブラインドサッカーと対比してデフフットサル(及びサッカー)の植松博美選手夫婦を取り上げたコラムでは、聞こえづらさの多面性や顔を上げないとプレーできないデフフットサル(サッカー)の独自性にふれられている。
 その他ソーシャルフットボール(精神障がい者のフットサル)に関しては医師の立場からのコラムが掲載。知的障がい者サッカー、CP(脳性麻痺)サッカーは紹介だけだが、7つの障がい者サッカーへの入り口としては最適な本だ。


 
この本は女子サッカーにもこだわった本になっている。そういった意味でも興味深い。著者の江橋氏は、なでしこジャパンが一躍有名になる以前より地道に女子サッカーの取材を続けてきた人であるし当然の流れでもあるだろう。
 
 ちなみに私も知的障がい者サッカーのドキュメンタリー『プライドinブルー』を制作した後は“ろう者サッカー女子日本代表=もう一つのなでしこジャパン”を追った『アイ・コンタクト』を制作。その当時、障がい者サッカーのなかで唯一の女子日本代表チームだった。そしてその後“もう一人のなでしこジャパン候補”と遭遇、それがこの本でも取り上げられている永岡真理さんである。現在彼女を中心とした電動車椅子サッカーのドキュメンタリーを制作中だ。

 また著者の江橋氏や編集担当の矢野氏はかなり以前からブラインドサッカーなどの取材をおこなっている。
2011年末に宮城県で開催されたブラインドサッカーロンドンパラリンピック予選にも江橋氏は姿を見せていたし、矢野氏がブラインドサッカーを初めて観たのは2005年だという。(私は2006年です)。矢野氏はブラインドサッカーの試合を観に行くと必ずいるし、ミックスゾーンでも鋭い突っ込みをしていた。
 そういったコンビが作った本であるから安心して読むことが出来る。

 

 以下は『サッカーなら、どんな障がいも超えられる』アマゾンのURL
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%81%AA%E3%82%89%E3%80%81%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E9%9A%9C%E3%81%8C%E3%81%84%E3%82%82%E8%B6%85%E3%81%88%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B-%E6%B1%9F%E6%A9%8B-%E3%82%88%E3%81%97%E3%81%AE%E3%82%8A/dp/4063787184


 以下はこの本への批判ではないが、常々感じていることを少しだけ。
 7つの障がい者サッカーを初めて見るとすると、一般論として圧倒的に魅力を感じやすいのはブラインドサッカーとアンプティサッカーだ。「凄い!」と言いやすい競技とも言える。体験しやすいという共通点もある。メディアも同様にこの二競技には集まりやすいだろう。ことにブラインドサッカーは東京パラリンピックで開催される唯一の障がい者サッカーということもあってダントツの注目度である。もちろんブラサカ関係者の長年にわたる努力の結晶でもあるのだが。アンプティサッカーは今はまだ注目されていなくとも注目されやすい要素はあると思う。
 
 電動車椅子サッカーは迫力もあり派手とも言えるが競技の特殊性故に入り込みやすいとは言えないだろう。
その他の競技は、はっきり言って地味だ。あるいは障害的にもわかりにくかったりする。
 その壁は高いと思う。

 

 自らの経験で言えば、知的障がい者サッカー選手に話を聞く際、こちらの観念がしょっちゅう空回りしていた。そういう時はサッカーボールを取り出して無心に蹴り合うことでなんとかコミュニケーションを図った。デフサッカーに関しても手話や聞こえない人々の世界への理解が必要だったが、サッカーという共通言語がなかったら一歩も前に進めなかっただろう。

 

 きっとサッカーならどんな障壁、障害もきっと超えられる、だろう。健常者側からも障害者側からも。



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