マッチ箱
走る列車の窓から沿線の状況を見てみると、マッチ箱のような家が鈴なりになってつながっている。このマッチ箱を得るために日本人は己の生涯をこれに費やす。
人の一生のエネルギーはマイホーム(西洋人にいわせればウサギ小屋)につぎ込まれて終わる。それが現実であるが、庶民の本当の願いだろうか。
江戸・明治・大正・昭和と、時はなお流れたが、住宅事情が明治や大正と余り変わらないというのなら、政治が悪いとしかいいようがない。
というのはいつの時代も庶民は勤勉であり、投資の集団ではない。
にもかかわらず、この世に生れてきて、これだけしか残せない、というのはどこかがおかしい。
GNPが一位、二位だと誇らしげにいっている連中はこの現実をどう説明するのか。