法然、親鸞の大遠忌 11/09/13
今、京都では、法然上人は800年の、親鸞上人は、750年の大遠忌が行われている。二人が活躍した時代は、貴族社会が崩壊し、武士社会に移行した時代であった。
当時の社会生活がどんなものか、実体験はできないが、今日のように、文明の恩典に浴することなく、飢餓と、病苦と、戦乱の日々を過ごしていたわけだから、どこかに、また何かに、救いを求めていたに違いない。
そんなすさんだ世に、二人は現れて、民衆の救いに尽力した。
法然はこの世の現実を認めた上で、「南無阿弥陀仏」の6文字念仏を唱えることによって、阿弥陀如来による救済にあずかる事をとなえた。
親鸞は阿弥陀仏を信じているときが、すでに救われた状態なのだという。
世の中が乱れて明日の命に、何の安心保証もない時勢のなかで、庶民は念仏を唱えるにせよ。唱えないにせよ、阿弥陀仏に救いを求めたのは、ある意味当然のことであったろう。
彼らが説法する以前の仏教は、貴族仏教で庶民は、仏恩に浴することは無かった。
ここでぼくは考える。
飢餓 病疫 戦乱の中で生活し、次の世での極楽往生を考えることによって、果たして心の底から救われたのであろうか。
文明の発達した今、我が国では、生命の安全を脅かすものは、飢餓であれ病魔であれ、当時とは比べ物にならない。
つまり、現代は、生命の安全が、文明の力によって保たれている。
それがゆえに、宗教、とくに仏教に救いを求めないのであろうか。
公称、1900万人の檀信徒は、このままの仏教を受け入れて、今後減ることは無いのであろうか。僕にはそうとは思えない。仏教が何らかの形で変容し、また生命の危険という差し迫った状況が生まれない限り、衰退していくだろうと推測する。
六道輪廻の世界観は、いずれの時代もあるだろうが、極楽の求め方が、鎌倉時代と、現代では、違う。現代は激動に揺れ動く時代に生きた人々と違って、命の安全が何らかの力によってサポートされているのである。だから差し迫って、仏による救済を求めなくても日は過ごせる。
僕にも先祖伝来の浄土系の宗教があるが、先祖供養する気はあっても、それによって救われたいとはあまり思わない。
つまり、僕が法然やが親鸞の教えから遠ざかっているのである。そして、こういう想いは、多分現代人の共通した。想いではないだろうか。
残暑厳しい9月に、京都の街をぶらぶらしながらぼくが考えたことである。
無関心と言うのか、冷めた目で見ていると言うのか、御堂で行われている法要に足を向けることは無くただ通り過ぎただけだった。
今、京都では、法然上人は800年の、親鸞上人は、750年の大遠忌が行われている。二人が活躍した時代は、貴族社会が崩壊し、武士社会に移行した時代であった。
当時の社会生活がどんなものか、実体験はできないが、今日のように、文明の恩典に浴することなく、飢餓と、病苦と、戦乱の日々を過ごしていたわけだから、どこかに、また何かに、救いを求めていたに違いない。
そんなすさんだ世に、二人は現れて、民衆の救いに尽力した。
法然はこの世の現実を認めた上で、「南無阿弥陀仏」の6文字念仏を唱えることによって、阿弥陀如来による救済にあずかる事をとなえた。
親鸞は阿弥陀仏を信じているときが、すでに救われた状態なのだという。
世の中が乱れて明日の命に、何の安心保証もない時勢のなかで、庶民は念仏を唱えるにせよ。唱えないにせよ、阿弥陀仏に救いを求めたのは、ある意味当然のことであったろう。
彼らが説法する以前の仏教は、貴族仏教で庶民は、仏恩に浴することは無かった。
ここでぼくは考える。
飢餓 病疫 戦乱の中で生活し、次の世での極楽往生を考えることによって、果たして心の底から救われたのであろうか。
文明の発達した今、我が国では、生命の安全を脅かすものは、飢餓であれ病魔であれ、当時とは比べ物にならない。
つまり、現代は、生命の安全が、文明の力によって保たれている。
それがゆえに、宗教、とくに仏教に救いを求めないのであろうか。
公称、1900万人の檀信徒は、このままの仏教を受け入れて、今後減ることは無いのであろうか。僕にはそうとは思えない。仏教が何らかの形で変容し、また生命の危険という差し迫った状況が生まれない限り、衰退していくだろうと推測する。
六道輪廻の世界観は、いずれの時代もあるだろうが、極楽の求め方が、鎌倉時代と、現代では、違う。現代は激動に揺れ動く時代に生きた人々と違って、命の安全が何らかの力によってサポートされているのである。だから差し迫って、仏による救済を求めなくても日は過ごせる。
僕にも先祖伝来の浄土系の宗教があるが、先祖供養する気はあっても、それによって救われたいとはあまり思わない。
つまり、僕が法然やが親鸞の教えから遠ざかっているのである。そして、こういう想いは、多分現代人の共通した。想いではないだろうか。
残暑厳しい9月に、京都の街をぶらぶらしながらぼくが考えたことである。
無関心と言うのか、冷めた目で見ていると言うのか、御堂で行われている法要に足を向けることは無くただ通り過ぎただけだった。